高校生になったら彼氏ができると思っていた。朝、制服のリボンを整えながらため息をつく。学校帰りにデートをしたり。好きな漫画の貸し借りをしたり。そんな未来を夢見たまま、今日、卒業式を迎える。それなりに楽しい高校生活だった。けれど漫画とは何もかも違う。三年間、好きな人すらできなかった。
君は勘違いをしている。「ほんと優しいよね。天使みたい」手を繋いで歩く真冬の帰り道。君は呟くように言った。確かに刺々しいタイプではないと自分でも思う。けれど黙って首を横に振った。これは謙遜ではない。繋いだ手に力を込めた。この笑顔を曇らせるものがあれば、きっとどこまでも冷徹になれる。
絶対に振り向かない人を好きになった。中途半端に優しくされるから苦しくて仕方ない。涙も枯れ、病院に足を運んだ。「あの人のことを忘れたくて」今は治療を受けることで特定の記憶を消せるはず。楽になりたい。けれど医師は「できません」と頭を振った。「この治療は三回までしか受けられないんです」
「夫婦って言ったって、長く一緒にいると、愛なんか冷めちまう。普通はさ」祖父の通夜を終え、祖母は懐から煙草を取り出した。確かに、頑固者の祖父の扱いには苦労したことだろう。「でもねぇ、それでいいんだよ。死んで別れても苦しまずに済むから……」普通になれなかった祖母の頬は涙で濡れていた。
好きな人のアイコンが変わった。幼い頃の写真から、桜の木の下で撮ったツーショットになっている。私には何も言ってくれなかった。SNS上では、さっそく彼の友人から彼女できたの、と指摘されていた。ピースの絵文字だけ返すのが彼らしい。私もDMを送った。もっと写りのいい写真があったのに、と。
「140字の物語」今年の人気作TOP4です。 2020年は私にとって初の書籍化が決定した、忘れられない年になりました。 #2020年の作品を振り返る
「私、料理下手だよ」初めて泊まった彼の部屋でふいに泣けてきた。不安で言葉が溢れてくる。「すぐ嫉妬するよ」彼は黙って私の手を握っている。「子供っぽいし、いいところないよ」なのに彼はそばで笑う。「あったじゃん、いいところ」どうしてだろう、悪い点しか挙げてないのに。「正直なところだよ」
「推しと私どっちが大事なの」ついにこの日が来たか。僕は膨れっ面の彼女に壁際まで追い込まれた。記念日の夜、一人で推しのライブに行ったのがまずかったらしい。「そりゃ、彼女に決まってるじゃん」「ほんと?」ころっと機嫌を良くする彼女の頭を撫でながら、あのライブは最高だったなと考えていた。
ずっと聞けないでいたこと。「私達、付き合ってるのかな」デートはしても、手は繋いでも、それ以上はない。隣を歩く君が「はあ?」と怒ったように足を止めるから、それだけで涙が出そうになった。冗談だよ、と笑うこともできない。「付き合ってると思ってたの、俺だけかよ……」君は両手で顔を覆った。
「貴方の死因になりたいわ」熱い溜め息をついて彼女は呟く。月夜、刃物でも握ってくるかと思ったらそうではない。こんな命、別にくれてやっても良かったが。世話好きで、つまらない話にも笑う、親切で損ばかりする人だった。だからうっかり長生きした。こんな歳になって死ぬのは、まったく君のせいだ。
花を育てている。恋心によって育つ花だ。好きな人ができた時に芽を出し、今では深紅の花弁が光を受けている。綺麗だった。そろそろか、と二人きりの夜に告白した。「ごめんなさい」謝る時まで君は優しい。その夜は泣かなかった。半年経っても花が枯れていないと気づいた時、初めてぽつりと涙が落ちた。
君がいなくなることが別れだと思っていた。でも違った。いつも君が煙草を吸っていたベランダで星を見る。いなくなってしまった。君と手を繋いでいる時は素直になれる私も。君と話す時は本音を言う私も。だからもう誰かの前で子供みたいに泣いたりはできない。深まる夜の中にひとり、そっと涙を隠した。
憧れの部長に手作りのクッキーを渡した。仲間思いで誰にでも優しい人だ。一枚摘んだ先輩は美味しいよ、と笑った。「他のメンバーにもあげるの?」「はい」「気に入ったから全部欲しいな……なんて」そ、それって。ドキドキしつつ残りを全部渡した。家に帰って試作を食べると、悶絶するほどまずかった。
「花は恋に似てるよね。いつか散る」この頃浮かない顔の妹は言った。硝子の花瓶を抱えて。「凡庸な発想だなあ。ドライフラワーにできるのに。手を入れないから散るんだ」僕の答えに、妹はいつもの表情をした。兄はこれだから困るといった顔だ。「この世界にはね、ドライフラワーに向かない花もあるの」
憎い相手よりも必ず幸せになれる魔法をかけてもらった。ここまで辿り着くのには苦労したが、効果は地味だ。「幸せになりなさい」魔法使いは僕の目を見て言った。僕は「優しいですね」とだけ答えた。その後の人生はまさに堕落の極みだった。幸福に繋がりそうな道は自ら閉ざした。それほどの恨みだった。
幼馴染とは保育園の頃からずっと一緒だ。家も近いし、小中高も、習い事も、バイト先まで被っている。けれどそれも今年まで。僕は県外の大学に受かったのだ。「妙な偶然の連続もこれまでだな」トランクを引く僕の横で、幼馴染は静かに微笑んだ。「頭はいいのにばかだよね。偶然にしては出来過ぎてるよ」
2100年、文学部に入った。今週の課題はある作家の研究。私と友人は図書館へ行き調査を始めた。「ねえ、出版後のLINEってページ見て」友人は本を大きく広げて見せた。「このぴえんって、どんな意味なのかな」その後、二時間調べても分からず、教授に聞くことにした。つまらない意味じゃないといいけど。
忘れられない言葉がある。傷つき、全てを失った私に友人が言った。「ここにいていいんだよ」それは優しくて、強い言葉だった。後になって思い知った。「ここ」を持つ人でなければ言えない。人を支える力がないと言えない。生きようと思った。いつか大切な人を、優しいだけではない言葉で救えるように。
全部勘違いだった。君は「可愛い」も「気が合うね」も誰にだって簡単に言える人で。二人きりの帰り道が特別なのは私だけだった。隣に誰もいないと、夕方の信号待ちは永遠に続くように思える。抱えた荷物が重く苦しい。楽になりたいのに。雪が降る道は美しすぎて、浮ついた心の処分場を見つけられない。
家庭的な子が好き、と君は飲み会で語った。わぁ好きそうとけらけら笑った夜の裏側で、私は料理本を買い、誰も来ないのに部屋を片付けた。そんな冬の日がもう懐かしい。「靴下出しっぱなし」ごめん、と君はゲームをしたまま気のない返事。ねぇ、大好きな君の恋人になりたかったな、家政婦じゃなくてさ。
困ったことに、彼女と元カノの名前が一緒だ。今日は初めての家デート。僕は恐る恐るその事実を告げた。「実は元カノも同じ名前で。呼び方は別がいいよね?」そのキリリとした目元がより厳しくなった。「嫌。同じ呼び方がいい」僕は予想外の答えにたじろいだ。「取っておくんじゃなくて、上書きしてよ」
「恋止め薬、飲む?」初めてできた恋人は、小さな瓶を手のひらにのせて言った。飲めば他の人には恋をしなくなる薬。「どうしよっかな」翌朝、机の上には空になった瓶が置かれていた。あの日から五年。結婚が決まった今、心から幸せだと思う。春風の中、笑顔で頷き合った。「あの薬、捨ててよかったね」
「別れよう」その言葉を入力したとき、メッセージを送るのは二週間ぶりだと気づいた。初めての恋人だった。好きになると何だってできると確信した恋が、好きなだけではどうにもならないと教えてくれた。時計の針を横目に送信ボタンを押す。誰からも祝われなかった一周年記念日が、夜の中で泣いていた。