たった一言だった。バイトの給料が入った私に彼が言った。「へえ、じゃあ晩ご飯奢ってよ」何食べよっかなと彼は浮かれ顔だ。ヒグラシの鳴き声が夕暮れの町に響く。気にしすぎかな。私はぎこちなく笑った。けれど頭の中はすうっと冷めていく。留学のために働き続けていると、彼も知っているはずなのに。
彼とリモート同棲を始めた。通話を繋げ続けるだけ、引越しも不要でお手軽だ。家事の分担で揉めることもない。気が向いた時だけ話をする生活は心地良かった。「来年になったら一緒に家を借りようか?」画面の向こうの彼が笑う。嬉しいはずなのに返事に困った。言えない。ずっとこのままがいいだなんて。
眠れない夜に寄り添う本ができました。 「140字の物語」神田澪のデビュー作。 『最後は会ってさよならをしよう』 本日1月21日発売です。 すぐに読めて心に残る、140字の超短編小説集。 本を読むのが苦手でも、忙しくて疲れていても、好きなページをパッと開くだけで想像が広がります。
好きなことを仕事にした。生活は苦しい。好きだったことがどんどん嫌いになって、自分を見失いそうで。あの頃の自分に戻りたくて仕事を辞めた。そうだ、また趣味として楽しめばいい。けれど何を見てもちっとも面白くない。ああ、だったら嫌いなまま「好きだったこと」を続けていれば良かっただろうか。
今夜、大好きな君に告白する。学習机にノートを開き、伝えたい言葉を並べた。好きです。一緒にいると楽しくて……。思い出が溢れる。漫画の貸し借りをした。何度も君の相談に乗った。ペンを置いた時、君からLINEがきた。『元彼とよりを戻せたよ』落ちた涙で字が滲む。ああ、君からの相談を受けすぎた。
「元気に行ってこい!」彼女にドンと背中を押された。春、空港の保安検査場前。僕はそれでも名残惜しくて、最後に彼女を強く抱きしめた。「一緒にいられなくてごめん」「何言ってんの。飛行機に乗ればすぐじゃん」明るい声に励まされゲートの向こうへ。搭乗の直前、彼女からLINEが届いた。『寂しいよ』
徒花みたいな恋だった。疑って傷つけて傷ついて、別れてからボロボロになった自分に気づいた。「新しい彼女、超可愛いよ」写真を見せつける元彼は、今も何を考えているのか分からない。「私に会うのやめなよ」「彼女の前じゃ悪いところ見せられないし」ああ私、別れる前から彼女じゃなくなってたんだ。
「また彼氏と話してたの?」夜、長時間の通話を終えた後で母からそう聞かれた。「そうだよ」「四時間くらい話してなかった?信じられない」驚きすぎでは、と私は首を傾げた。遠距離だし、こういう日もある。「昔は電話代が高くてね……羨ましいわ。ね、あなた」母は新聞を読んでいた父に微笑みかけた。
別れようと言ったら、君は泣くのだと思っていた。「いいよ」けれど返事はそれだけだった。僕らは同じ気持ちを抱えていたのかもしれない。一晩で生活が変わった。半年も経てば寂しさも薄らいで。あっさりした綺麗な別れに思えた。君以外の誰かを好きになるのが難しい心だけが、恋の傷跡に気づいていた。
実家に帰るとぐうたらな子どもに戻りたくなってしまう。「お昼ご飯作ってあげるね」母は扇風機の前で涼む私に声をかけ、台所に立った。ありがたい。一人で住む都会の部屋では誰も料理を代わってくれない。けれど私は台所に近づき「私が作るよ」と言って母の肩に触れた。行動だけは大人になろうとして。
好きな人に彼女ができた。「ねえ、なんであの子と付き合ったの?」雨の日の昼休み。廊下で二人になった瞬間、我慢できずにそう聞いた。プリントを抱えた君は照れもせずに答えた。「そりゃ、告白されたからだよ。他に理由がいる?」本当のことは言えなかった。いるに決まってる、だって私が報われない。
たぶん嫉妬深い方だ。彼が元カノと立ち話しているのを見ただけで死にそうになる。「もう恋愛感情はないよ」その言葉を信じられるようになったのは、彼と離れてから。冬の町を歩きながら思う。こんな気分だったんだね。それから「特別な人ではあるけど」と彼が呟いた理由も分かるようになってしまった。
LINEも電話もこっちから。最後に君からデートに誘われたのはいつだっけ。何かが欠けたまま付き合って一年が経った。「どうしたの?今日は静かだね」買い物中、少し先を歩く君が振り返る。答えられず俯いた。自分でも分からないんだ。昔は違った。愛の大きさが等しくなくても、こんな風に泣かなかった。
親友は叶わぬ恋をしている。「恋愛には興味がない」と公言している人を三年近く想い続けているのだ。そんな彼のことを可哀想だと思っていた。「もう諦めろよ。絶対振り向かないんだし」親友は答える。「振り向いてもらうってそんなに大事?」その口調があまりに穏やかで、なぜだか少し羨ましくなった。
地球を侵略するためにやってきた。人は私を怪物と呼んだ。地球には怪物並みの強さを持つ少年がいて、侵略は難航した。だが、そのうち少年以外の人間は皆いなくなった。「まだ戦うか?」少年は私に聞いた。「人間が残っているからな」少年は攻撃を受ける間際、初めて人間と呼ばれたと嬉しそうに笑った。
彼女からは冷たい人間だと思われている、たぶん。確かに感情の起伏は激しくない。映画を観て泣くこともない。表情がコロコロ変わる彼女とは大違いだ。「私が好きすぎて悶えたりしないの?」「しないね」何を今さら。問1の答えである159という数字から彼女の背丈を想像する、そういう恋をしている。
些細なことで喧嘩をした。十歳下の彼女が、スマホを持ってむくれている。インスタに僕の顔は載せないでくれと言ったらこの調子だ。いつもは賑やかな部屋に、今は洗濯機の回る音がやけに響く。「他に本命でもいるわけ?」「違うよ……」僕はただ思うんだ。幸せって、二人で分け合うだけじゃ駄目なのか?
「元カノってどんな子だった?」私からの問いかけに、彼はレポートを進めながら答えた。「さあ。忘れた」「高校生の時の元カノは?」「覚えてないなあ」いつもとは明らかに声のトーンが違う。嘘つき、付き合う前は涙ながらに語っていたのに。けれど今は、彼の優しい嘘に少しだけ救われているのだった。
私は悩んでいた。付き合って半年になるのに、彼は指一本触れてこない。ミニスカートも艶めくリップもまるで無力だった。休日、彼の部屋。今や私は乙女の皮を被った獣だ。「ねぇ……寒い。あっためて」寄り添う私に、彼は「ごめん、ずっと気づかなくて」と謝った。もはや暑い。3枚も毛布をかけられて。
後輩の誕生日に何を贈るか迷う。雑誌にはネックレスが人気と書いてあったけれど「好きでもない人からアクセ渡されるのは重い」と話しているのを聞いてしまった。無難にお菓子にするか。けれど結局決めきれず、本人に聞いてみた。「誕プレ何がいい?」後輩はニッと笑った。「新しいピアスがいいです!」
「いつか好きな人と花火大会に行ってみたいな」貼り出されたポスターを見上げる瞳は綺麗な薄茶色。「それで浴衣を着るの」思わず君の浴衣姿を想像した。きっと世界一似合う。見てみたい。こんな時、他の人なら君を誘うのだろう。けれどできなかった。僕らはもう、ずっと前に二人で花火を見てしまった。
彼氏は友達から不評だ。将来やりたいこともなく、結婚する気もないらしい。「こんなやつ彼氏で大丈夫?」「自分で言うなし」不真面目な態度が原因で何度も喧嘩をした。春、そんな彼は突然病室で亡くなった。残された手紙には「本当はずっと一緒にいようって言いたかった」と震える文字で書かれていた。
彼は一人でいるのが好きだ。こちらが寂しくなるほど。そんな彼だが、大学の図書館で私を見かけると、毎度隣の席にスッと座ってくる。隣に座るメリットはないはずなのに。図書館は私語禁止でお互い本を読むだけ。私の胸がいっぱいになるのはそんな時だった。彼は私の隣を選ぶ。周りの席が空いていても。
二十歳になった。尊敬するミュージシャンは、同い年で大ヒット曲をリリースしている。だけど僕は趣味も勉強も中途半端な凡人のまま。ネットで二十歳から音楽を始めた有名人のインタビューを見て気持ちを落ち着かせた。あれから十年。三十歳になった僕は、仕事の休憩時間に遅咲きの天才について調べた。