さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(リツイート順)

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隅田川に架かる勝鬨橋のたもとに設けられた、橋の開閉を制御するための変電所。現在は「かちどき 橋の資料館」として一般開放されており、当時使われていた発電設備の他、設計図面や工事写真、橋の跳開を再現した可動式の模型などが展示されています。
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今から28年前に撮影した江ノ電。この頃はまだ戦前につくられた車両も現役で使われているなど、古き良きローカル私鉄の雰囲気が色濃く残っていました。
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今から40年前、1981(昭和56)年頃の町田駅前。当時は東急ツインズの間を通り抜ける広い道もなく、噴水のある広場になっていました。
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今から50年前の町田駅前。築堤の上を走っていた小田急線は高架となり、その下にバスセンターがつくられるなど、景色も大きく変わりましたが、奥に見えるコンクリートの擁壁は当時のまま。
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3年B組金八先生でお馴染み武田鉄矢がボーカルを務めるフォークバンド「海援隊」の1973(昭和48)年に発売された2ndアルバム「望郷篇」のジャケットより、新宿・歌舞伎町周辺。かつて路面電車(都電)が走っていた線路敷は遊歩道として整備されています。
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地図の中に隠れているふたつの廃線跡🛤 見つけられたアナタは廃線探しのセンス有り🔎
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駅前再開発で姿を消す、常磐線金町駅から延びていた三菱製紙への引き込み線跡。
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1975(昭和50)年頃の赤羽線(現・埼京線)板橋駅。かつてはホームの両側に引き込み線が延びており、構内は多くの貨車で賑わっていました。民営化後も細々と貨物輸送は続けられていましたが、1996(平成8)年春に取扱廃止。電車の後ろに見える国鉄アパートも今では高層マンションに姿を変えています。
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趣味で色々な企業の社史を読むんですけど、製品輸送を鉄道からトラックへ切り替えた理由として「運賃値上げによるコスト増」「定時性が確保できない」「取扱駅の削減」はよく挙げられますね。 twitter.com/65_mokei/statu…
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イギリスで暮らす妹から「お兄ちゃんこういうの好きなんでしょ?」と送られてきた、国立鉄道博物館の写真。 …ハイ、大好物です…!
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いまから12年ほど前に撮影した、相鉄線の相模大塚駅より延びていた米軍厚木基地への引き込み線。かつては航空燃料を積んだ貨車がこの線路を通って、基地内へと運ばれていましたが、1998年に休止。その後も有事に備えてレールなどの設備はそのまま残されていましたが、昨年ついに撤去となりました。
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先日のおさんぽフォトより、東京の品川駅より徒歩10分ほどの所にある「クロネコヤマトミュージアム」。ヤマト運輸の歴史を当時の貴重な写真や映像などから学ぶコトが出来るほか、ドライバーさんと同じ制服を着用して集配用のパネルバンに乗れるなど、オトナから子どもまで楽しめる施設になっています。
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いまから60年ほど前、1965(昭和40)年当時に計画されていた、東京都内の地下鉄網。この頃はまだ有楽町線や半蔵門線が計画される前で、田園都市線の直通相手は銀座線、池袋から成増までは丸の内線の延伸が想定されていました。
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WEBマップルで新たに実装された地割図、ホントこれ時間泥棒だわ… 大船駅と今はなきドリームランドを結んでいたモノレールの廃線跡もこんな感じでくっきり。等間隔に並んでいる四角い枠は軌道桁を支えていた橋脚。
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代々木駅前の踏切に今も残るロープの巻き取り台。新宿高島屋の建っている場所にはかつて貨物駅があり、貨車を入れ換える際、開かずの踏切にならないよう、列車通過時のみ作業員がロープを張って人やクルマの流れを止めていました。現在も深夜の保線工事などで使うコトがあるんだとか。
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「君死にたもうことなかれ」 フォントと色が恐怖を誘います。 近頃ではあまり見かけなくなりましたが、年間の交通事故死亡者が2万人近かった昭和時代(ちなみに令和4年は2610人)は全国の至るところに交通安全を啓発する標識や看板が立てられていました。 1975(昭和50)年頃、沼津市多比
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今から24年前、1998(平成10)年に撮影した川崎駅と浜川崎駅を結んでいた連絡線の跡。途中にはレンガ造りの橋台があり、現役当時は京急線を跨ぐ形で鉄橋が架けられていました。オーバーパスしていました。
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今から60年ほど前、高架化前の大阪環状線から分岐していた大阪市場への貨物線。手前の道路には路面電車(大阪市電)が走っており、線路同士が平面交差していました。
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今から50年ほど前、1970(昭和45)年頃の京王線新宿駅。駅の上に建つ京王百貨店は1964年開業の年季モノ。
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昨日、熊谷駅の近くを歩いているときに見つけた廃車体。これは…秩父鉄道?
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安中市内に残る未成線の橋脚と築堤跡。元々この場所には高崎と長野原を結ぶ「上州電気鉄道」という路線が通る予定でしたが、工事の途中で資金不足に陥り、建設を断念。その後、労働者への賃金未払いも加わって会社は破産。完成した橋脚は撤去されることなく放置され、現在もそのまま残されています。
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今から約90年前の1932(昭和7)年に架けられた、JR総武線の神田川橋梁。奥に見える聖橋も変わらず当時のまま。
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先日のおさんぽフォトより、飯田橋駅の近くにいまも残る、かつて相模興産(相鉄の子会社)の砂利ホッパーへと延びていた引き込み線の擁壁跡。建設ラッシュに沸いた高度経済成長期は、コンクリートに混ぜ込む砂利を満載した貨車が日に20両ほど到着していました。