さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(リツイート順)

51
昭和30年代の碓氷峠。今では地中深くを新幹線が楽々と走り抜けていますが、かつては交通の難所と呼ばれ、峠越えの列車は特殊な機構を持った機関車に補助してもらいながら登り降りをしていました。在来線は新幹線開業と同時に廃止、奥の方に見える国道18号もルートの変更で現在は廃道になっています。
52
先日発表された東京メトロ南北線の品川延伸ルート、カーブの連続で方向感覚おかしくなりそう
53
いまや懐かしの押しボタン式自動券売機が並ぶ、駅のきっぷ売場。90年代半ばから現在のタッチパネル形へと置き換わり始め、急速に姿を消していきました。
54
DD12形が牽く横浜港行きのボートトレイン。現在遊歩道として整備されているこの場所に、かつては横浜港を発着していた国際航路(氷川丸によるシアトル便など)の乗客や輸出入貨物を運ぶための線路が延びていました。その後、航空機の台頭で旅客輸送は1960年に終了、貨物輸送も1986年に廃止されています。
55
かつて吾妻線の長野原草津口駅から分岐していた支線の終点・太子駅。元々は群馬鉱山で採れた鉄鉱石を貨車で運び出すために敷設された貨物鉄道でした。閉山後は細々と旅客輸送が続けられていましたが、それも1971(昭和46)年に廃止されています。ホーム脇の巨大な構造物は貨車積み込み用のホッパー。
56
かつて新宿駅の代々木寄りに広がっていた貨物ホームと入れ換えヤード。国鉄末期の昭和50年代後半に行われた貨物輸送の大幅削減で廃止となり、跡地には現在「高島屋タイムズスクエア」などが建っています。
57
京王帝都電鉄30年史より、1978(昭和53)年頃の井の頭線渋谷駅。当時はまだ渋谷マークシティもなく、ホームから空を望むコトが出来ました。右に見えるのは地下鉄銀座線の渋谷車庫。
58
先日のおさんぽフォトより、西日暮里駅前に残る貨物線のトンネル跡。かつて田端操車場から秋葉原貨物駅に向かう貨物列車がここを通っていました。1975(昭和50)年廃止。
59
京王線新宿駅の3番ホーム下に残る旧4番線のレール跡。かつては5面4線(5つのホームに4本の線路)の構造でしたが、車両の大型化や10両編成化にともない現在の3面3線へ改良。その際、支柱の位置は変えずにホームを作り直したため、やけに柱が片側に寄っているなど、不思議なレイアウトになっています。
60
かつて信越本線の横軽区間に存在した旧中山道の踏切。1997年の廃止時まで現役でしたが、廃線跡を利用した機関車の運転体験やトロッコ列車(園内遊戯施設扱い)を走らせるにあたり、法的な障害になってしまったため、廃止後でありながら立体交差化が行われました。いまも遮断機の跡が残されています。
61
今から30年ほど前、1989(平成元)年の伊勢崎駅で並ぶ 両毛線115系と東武伊勢崎線10000系。かつては貨車の受け渡しも行われていたため、構内でレールが繋がっていました。
62
横浜駅前にいまも残る、東急東横線の高架橋跡。20年前の地下化以前はここでJR線を跨ぎ、桜木町駅へと向かっていました。廃線跡を遊歩道として整備する計画はあるものの一向に進んでいる様子もなく、鉄橋は赤錆び、コンクリートの橋台も蔦に覆われています。
63
都営新宿線開業に備え、狭軌用の台車を履き三田線で試運転中の10-000形試作車。新宿線開業後は量産車に混じって運用され、登場から33年後の2004(平成16)年に引退しています。
64
今から65年前の今はなき横浜港駅。背後に見える建物は赤レンガ倉庫。
65
月刊建築1967年3月号より、完成間もない頃の新宿駅西口広場。建ち並ぶビルの先に見える広大な土地は淀橋浄水場の跡(1965年閉鎖)。現在は東京都庁や京王プラザホテルなどが建っています。
66
府中本町駅の南武線上りホームから見える1線分の空きスペース。元々は立川方面から走ってきた貨物列車が武蔵野(南)線に入っていく際の合流線として準備されたものでしたが、それ以外の問題で計画が難航しているうちに貨物列車自体が大幅に削減されてしまい、結局使われないまま現在に至っています。
67
そんなレンガ橋をかつては鉄道が通っていました🚂 RT
68
今から50年前の町田駅前。この頃は背の高い建物もほとんどありませんでした。
69
山手線による環状運転が始まって間もない大正末期の上野駅ホーム。古レールを再利用したトラス構造の柱や梁は当時のまま。
70
今から50年ほど前、柿生・百合ヶ丘間を駆け抜ける小田急線。かつては並走する津久井道に沿うようなルートでしたが、多摩線の開業に伴い新たに接続駅として新百合ヶ丘駅を設けるコトになったため、現在のルートへ変更されました。今でも下を旧線が通っていた箇所だけ橋脚のスパンが異なっています。
71
東海道本線の国府津駅と鴨宮駅の間にある、あやしい踏切の跡と謎のトンネル。その正体は、本線の山側にあった西湘貨物駅から海側にあるクボタや印刷局などの各工場まで、東海道本線の運行を妨げるコトなく貨車の入れ換えが出来るように造られたもの。
72
かつて菊名駅に存在していた、国鉄横浜線と東急東横線を結ぶ、貨物受け渡し用の連絡線跡。廃止後に東横線側のホームがそれまでの対向式2面2線から島式2面4線に拡張され、同時に上下線の間へ折り返し線が設けられたこともあって、いまや連絡線の痕跡はほとんど無くなっています。
73
今から65年前、横浜港駅のホームで出発を待つボートトレイン。米シアトルとの国際航路(氷川丸)に連絡する形でダイヤが組まれていました。1960(昭和35)年の運行終了後は貨物の取り扱いだけが残されましたが、それも再開発前夜の1982(昭和57)年に廃止となっています。
74
戦後米軍より持ち込まれ、1956(昭和31)年に名鉄へと払い下げられたDED8500形ディーゼル機関車。アメリカGE(ゼネラル・エレクトリック)社製で、日本の機関車にはほとんど見られない背の高いボンネットが特徴でした。
75
金町駅今昔。貨物の引き込み線が延びていた三菱製紙の工場は現在、東京理科大学のキャンパスに姿を変えています。線路へ沿うようにして建てられたイトーヨーカドーの形状が当時の名残り。RT