さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(いいね順)

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国鉄新潟鉄道管理局50年史より、大阪の百済貨物駅から新潟の沼垂貨物駅まで運転された専用貨物列車「バインダー号」。堺市にあるクボタの工場で生産された稲刈り機(バインダー)が貨車に積み込まれ、日本有数の米どころ新潟へと運ばれました。
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1975(昭和50)年の航空写真より、新橋駅と隣接するように存在していた汐留駅。かつては東京の物流拠点として昼夜を問わず貨物列車が発着していましたが、高速道路網の整備にともない輸送の多くがトラックへと切り替わり、民営化目前の1986年に廃止。跡地は再開発され現在は高層ビルが建ち並んでいます。
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川崎駅前にあるミューザで開催中の企画展「鉄道操車場物語 -新鶴見から塩浜へ-」に行ってきました。会場では川崎市やJR貨物、神奈川臨海鉄道が所蔵している当時の貴重な写真や備品などを中心に展示されています。観覧は無料で開催期間は今月16日(水)まで。車扱時代の鉄道貨物に興味がある方はぜひ。
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今から40年ほど前、廃止間もない頃の横浜港駅。かつて旅客の乗降に使われたホームの跡が長らく当時の姿で残されていましたが、再開発の際、半分以下の長さにまで切り詰められ、傷んでいた柱や屋根も新しいものに替えられました。
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今から50年ほど前、1969(昭和44)年頃の総武線秋葉原駅。かつて線路脇にずらりと建ち並んでいた家電量販店は、時代の変化とともに多くがゲームセンターやオフィスビルなどへと姿を変え、電気街の面影も年々薄れつつあるようです。
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今から40年前、1981(昭和56)年の町田駅前通り。丸井や東急百貨店がオープンして間もない頃です。現在ルミネが建っている場所には国鉄の荷扱所や日通の事務所などがありました。
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今から23年前、1998(平成10)年の秋葉原駅で撮影した京浜東北線の103系。 後ろに見える家電量販店のロケット本店も2005年に閉店となり、跡地には現在レストランビル「チョムチョム秋葉原」が建っています。
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東海道本線の茅ヶ崎・平塚間を流れる相模川にいまも残る、かつての橋梁跡。明治中期の開業時に架けられたものでしたが、1923(大正12)年の関東大震災で倒壊。上流側に新たな橋(現在の旅客上り線と貨物下り線)が架けられるコトでその役目を終えました。
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20年前に撮影した新宿駅東口。かつてはヨドバシカメラと熾烈な価格競争を繰り広げていた「さくらや」や、レストランビルの「じゅらく(聚楽)エイト」も今ではすっかり過去の光景に。
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今から55年ほど前、1965(昭和40)年頃の秋葉原駅。手前を走るのが山手線で、その上を垂直に交わるのが総武線。山手線ホームの奥に見えるのは貨物用の荷卸しホームで、かつては神田市場で取引される野菜や果物が全国から貨車で到着していました。貨物駅の跡地は現在ロータリーや高層ビルになっています。
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かつて新宿駅に存在していた国鉄(現JR)と小田急を結ぶ連絡線。現役当時は終電後にひっそりと貨車の受け渡しを行なっていました。小田急新宿駅の地下ホーム建設にともない連絡線は廃止となり、今ではその痕跡すら無くなっています。
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今から50年前の町田駅前。築堤の上を走っていた小田急線は高架となり、その下にバスセンターがつくられるなど、景色も大きく変わりましたが、奥に見えるコンクリートの擁壁は当時のまま。
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3年B組金八先生でお馴染み武田鉄矢がボーカルを務めるフォークバンド「海援隊」の1973(昭和48)年に発売された2ndアルバム「望郷篇」のジャケットより、新宿・歌舞伎町周辺。かつて路面電車(都電)が走っていた線路敷は遊歩道として整備されています。
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いまから55年ほど前、1968(昭和43)年の国鉄線における黒字路線と赤字路線。赤字路線が全体の8割以上と大幅に黒字を上回る状況でしたが、この時点でさらに8000キロ近い新路線が計画されていました。結局そのほとんどが国鉄末期に事業凍結され、未成線と化しています。
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かつて小田急線から南武線へと延びていた登戸連絡線。貨物輸送の他、終戦直後は空襲の被害によって不足した車両の貸し借りなどにも使われていました。
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今から55年ほど前の新宿駅周辺。当時は新宿高島屋タイムズスクエアの場所に貨物駅があり、歌舞伎町などの歓楽街で消費される大量の瓶ビールが工場から貨車で到着していました。奥に見える背の高い建物は1964(昭和39)年オープンの京王百貨店。
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50年前の横浜・桜木町駅。かつては駅舎の位置がいまと異なり、やや関内寄りにありました。(旧駅舎の跡地には現在JR系列のホテルメッツが建っています) 奥に見えるクレーンの林立している場所は三菱重工の横浜造船所。バブル期に再開発が行われ、"みなとみらい"へと姿を変えています。
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今から約90年前の1932(昭和7)年に架けられた、JR総武線の神田川橋梁。奥に見える聖橋も変わらず当時のまま。
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1974(昭和49)年の航空写真より中央線の西国分寺駅周辺。かつては隣の国分寺駅から東京(府中)競馬場までの支線も延びていましたが、武蔵野線の開業で廃止。この際、中央線と武蔵野線の交点に西国分寺駅が新設されました。線路脇にあった中央鉄道学園(国鉄の教習所)も民営化にともない閉鎖されています。
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かつて大阪環状線の野田駅から近くの卸売市場まで延びていた引き込み線をゆく貨物列車。長崎や唐津、下関などの港で陸揚げされた鮮魚が貨車に積まれ、ここまで運ばれていましたが、昭和50年代以降は急速にトラック輸送への移行が進み、1985(昭和60)年に廃止されています。
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駅前再開発で姿を消す、常磐線金町駅から延びていた三菱製紙への引き込み線跡。
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今から24年前、1998(平成10)年に撮影した川崎駅と浜川崎駅を結んでいた連絡線の跡。途中にはレンガ造りの橋台があり、現役当時は京急線を跨ぐ形で鉄橋が架けられていました。オーバーパスしていました。
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1975(昭和50)年頃の赤羽線(現・埼京線)板橋駅。かつてはホームの両側に引き込み線が延びており、構内は多くの貨車で賑わっていました。民営化後も細々と貨物輸送は続けられていましたが、1996(平成8)年春に取扱廃止。電車の後ろに見える国鉄アパートも今では高層マンションに姿を変えています。
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1975(昭和50)年の航空写真より、旅客化以前に使われていた京葉線の旧線区間。蘇我駅周辺の用地買収に難航していたため、すでに存在していた川崎製鉄の専用線を一部間借りするコトで、千葉貨物ターミナル(2000年廃止)と蘇我駅の間を結んでいました。ちなみに現在のルートで開通するのは1988年のコト。
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再開発前夜の秋葉原駅前。かつて青果市場があった場所は1990(平成2)年の移転後に空き地となり、UDXやダイビルの建設が始まるまで、10年ほど手付かずのまま、バスケットゴールのある運動場として使われていました。