さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(いいね順)

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いまから20年ほど前に撮影した営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の6000系。連結部にはお馴染みの引き戸がなく、開放的な車内が特徴的でした。
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国鉄時代の雰囲気が色濃く残る、沼津駅の改札とホームを結ぶ地下通路。高架化の計画があるためか、未だにエスカレーターが設置されていません。ちなみにこの通路が出来たのは90年ほど前のコト。当時木造の跨線橋が主流だった中、御用邸に向かう皇族の利用もあり、タイル貼りの地下道になりました。
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今から65年前、横浜港駅のホームで出発を待つボートトレイン。米シアトルとの国際航路(氷川丸)に連絡する形でダイヤが組まれていました。1960(昭和35)年の運行終了後は貨物の取り扱いだけが残されましたが、それも再開発前夜の1982(昭和57)年に廃止となっています。
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鉄道による貨物輸送がまだ盛んだった頃に行われていた、貨車を用いたオートバイの出荷風景。 昭和40年代以降は高速道路網の整備が進み、一方の国鉄は度重なる運賃の値上げやストライキによる定時性の喪失などから顧客離れが加速、50年代に入るとこのような輸送も姿を消しています。
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今から70年ほど前、1950(昭和25)年頃の新宿ルミネ前。かつては京王線も地上を走っており、交差点を斜めに横切る形で横断し、次の初台駅へと向かっていました。経済成長期に入り甲州街道の交通量が増えてくると、徐々に渋滞の温床になってきたため、東京五輪を翌年に控えた1963年に地下化されています。
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群馬県と新潟県を結ぶ上信越道の横川サービスエリア(上り)に置かれているキハ58形。すぐそばにフードコートがあり、車内は飲食スペースとして開放されています。ちなみにこの車両、顔の部分だけが本物で胴体はレプリカ。廃車になる前は九州地区で活躍していました。
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かつて国内物流の主力を担っていた鉄道貨物輸送。当時は殆どの駅で取り扱いがあり、発送された貨車は操車場を通るたび方面別に振り分けられ、中継を繰り返しながら目的地へと運ばれていました。しかし高速道路が整備されるとトラックに太刀打ちできなくなり、80年代でヤード系輸送は全廃されています。
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横浜赤レンガ倉庫の前で佇む9600形蒸気機関車。1970年代に入ると海上輸送はコンテナが主流となり、晩年はほとんど引き込み線に貨車が入るコトもなくなり、1982(昭和57)年に廃止を迎えています。
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かつては三ノ輪まで延ばす予定もあった地下鉄銀座線。浅草駅ホームの先には延伸時に本線となる予定だった線路が夜間滞泊用の留置線として使われています。
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かつて全国に3800ほど存在した貨物取扱駅。中には1日1両しか貨車がやって来ない駅も数多くありましたが、それでも道路交通が発達する前は貴重な物流の要でした。1960年代以降、トラック輸送の台頭により鉄道貨物輸送は年々縮小していき、民営化時点での取扱駅は約350と最盛期の1/10以下に…
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相模鉄道の60周年記念誌より、かつて飯田橋駅の近くに存在した相鉄興産の砂利ホッパー。貨車の荷台から高架下へ落とされた砂利はダンプトラックに積み替えられ、コンクリートに混ぜ込むための骨材用としてビルや高速道路の建設現場などへ送られました。跡地には現在都の施設が建てられています。
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秋葉原駅の山手線内回り・京浜東北線北行きホームに今も残る木製の手すり跡。かつてはここに1階の改札口へと下りる階段がありました。のちに動線が整理され、現在は総武線5番ホームに上がる階段となっています。
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かつて菊名駅に存在した、横浜線と東急東横線を結ぶ連絡線。田園調布駅を発着する貨物輸送の他、田園都市線が長津田駅まで延びる前はここで新車の受け渡しが行われていました。
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ク5000形貨車による大量輸送が始まる前の昭和30年代半ば、10トン無蓋車で運ばれていた乗用車。積み下ろしにはクレーンを使わなくてはならないなど設備上の制限や作業の手間も多く、あまり利用されませんでした。
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今から28年前に撮影した江ノ電。この頃はまだ戦前につくられた車両も現役で使われているなど、古き良きローカル私鉄の雰囲気が色濃く残っていました。
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今から48年前の1974年、建設中の新百合ヶ丘駅をバックに、百合ヶ丘から柿生へと向かう小田急線の下り電車。旧線は並走する津久井道(県道3号)に沿う形で勢いよく右へカーブしていました。
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イギリスで暮らす妹から「お兄ちゃんこういうの好きなんでしょ?」と送られてきた、国立鉄道博物館の写真。 …ハイ、大好物です…!
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例えばアナタが荷物を送るとき、伝票に宛先や中身を書いて📦に貼り付けていますよね?これは鉄道貨物も同じで、輸送の際は貨車1両1両に「車票」と呼ばれる荷札が取り付けられ、どこからどこまで何を運んでいるのか分かるようになっています。写真の例は南延岡(宮崎)から丸子町(長野)までの肥料輸送。
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今から40年前、1981(昭和56)年頃の町田駅前。当時は東急ツインズの間を通り抜ける広い道もなく、噴水のある広場になっていました。
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昨日、熊谷駅の近くを歩いているときに見つけた廃車体。これは…秩父鉄道?
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今から45年ほど前、1975(昭和50)年頃の国鉄横浜線・原町田駅前。駅移転後に行われた再開発ですっかり景色も変わってしまいました。奥に見えるダイエーは記念すべき関東進出第一号店。
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山手線の浜松町駅から歩いて5分ほど、海岸通りとの交差部にいまも残る芝浦貨物線の廃線跡。1985(昭和60)年に廃止され、現在はその上を東京臨海新交通(ゆりかもめ)が通っています。
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今から60年ほど前、1960(昭和35)年頃の新宿ルミネ前。かつては京王線も地上を走っており、交差点を斜めに横切る形で横断していました。その後はモータリゼーションの進展から交通量が急激に増えてきた上、京王線も沿線の宅地化で年々増発を重ねていたコトから、現在の地下線へと切り替えられています。
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かつては全国各地ほとんどの駅で行われていた貨物の積み卸し。高度経済成長の中、道路網の整備が進んでいくと、ドアツードアで速達性の高いトラック輸送へ切り替えられ、このような光景も今ではすっかり見られなくなりました。
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高崎線の倉賀野駅にある、ちょっと不思議な跨線橋。何故か1箇所だけ高くなっているのですが、これは倉賀野駅の貨物基地から高崎操車場までの連絡線を高架で建設しようとした計画の名残り。一段上がった部分の下にスロープが設けられる予定でした。