さむ(@urakutenism)さんの人気ツイート(いいね順)

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15年ぶりぐらいに川越線乗ってるんだけど、日進と指扇の間に駅が増えてた…😳
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かつて吾妻線の長野原草津口駅から分岐していた支線の終点・太子駅。元々は群馬鉱山で採れた鉄鉱石を貨車で運び出すために敷設された貨物鉄道でした。閉山後は細々と旅客輸送が続けられていましたが、それも1971(昭和46)年に廃止されています。ホーム脇の巨大な構造物は貨車積み込み用のホッパー。
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かつて信越本線の横軽区間に存在した旧中山道の踏切。1997年の廃止時まで現役でしたが、廃線跡を利用した機関車の運転体験やトロッコ列車(園内遊戯施設扱い)を走らせるにあたり、法的な障害になってしまったため、廃止後でありながら立体交差化が行われました。いまも遮断機の跡が残されています。
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名鉄といえば赤い電車のイメージですが、かつてはパープル1色の時代もありました。
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今から50年前の町田駅前。この頃は背の高い建物もほとんどありませんでした。
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DD12形が牽く横浜港行きのボートトレイン。現在遊歩道として整備されているこの場所に、かつては横浜港を発着していた国際航路(氷川丸によるシアトル便など)の乗客や輸出入貨物を運ぶための線路が延びていました。その後、航空機の台頭で旅客輸送は1960年に終了、貨物輸送も1986年に廃止されています。
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ふと思い出す、群馬へ転勤して初めての冬。乗客が自らドアの開け閉めをしている光景に小田急沿線で育った自分は大いに驚いたのでした。
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京王帝都電鉄30年史より、1978(昭和53)年頃の井の頭線渋谷駅。当時はまだ渋谷マークシティもなく、ホームから空を望むコトが出来ました。右に見えるのは地下鉄銀座線の渋谷車庫。
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先日発表された東京メトロ南北線の品川延伸ルート、カーブの連続で方向感覚おかしくなりそう
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自分の中で相鉄といえば未だにこのイメージ RT
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東京・墨田区の東武博物館に展示されている、かつて東武鉄道の貨物輸送を支えたED5010形電気機関車。写真の15号機は東上線に配属され、寄居や西大家から下板橋へのセメント列車を主に牽引していました。廃車は1984(昭和59)年。製造後60年が経っているとは思えないほど綺麗な状態を維持しています。
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横浜駅前にいまも残る、東急東横線の高架橋跡。20年前の地下化以前はここでJR線を跨ぎ、桜木町駅へと向かっていました。廃線跡を遊歩道として整備する計画はあるものの一向に進んでいる様子もなく、鉄橋は赤錆び、コンクリートの橋台も蔦に覆われています。
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かつて菊名駅に存在していた、国鉄横浜線と東急東横線を結ぶ、貨物受け渡し用の連絡線跡。廃止後に東横線側のホームがそれまでの対向式2面2線から島式2面4線に拡張され、同時に上下線の間へ折り返し線が設けられたこともあって、いまや連絡線の痕跡はほとんど無くなっています。
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山手線による環状運転が始まって間もない大正末期の上野駅ホーム。古レールを再利用したトラス構造の柱や梁は当時のまま。
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戦後米軍より持ち込まれ、1956(昭和31)年に名鉄へと払い下げられたDED8500形ディーゼル機関車。アメリカGE(ゼネラル・エレクトリック)社製で、日本の機関車にはほとんど見られない背の高いボンネットが特徴でした。
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かつて中央線の国分寺駅から府中の東京競馬場まで延びていた下河原線。競馬開催日は東京駅や新宿駅から直通列車が運行されるなど、観客輸送の一翼を担っていましたが、1973(昭和48)年に武蔵野線が開業するとその役目を譲る形で廃止。競馬場駅の跡地は現在公園として市民の憩いの場になっています。
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群馬の山奥の駅にある、かつての特急車両を使ったレストラン
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1932年に鉄道省が発行した「上野駅改良工事概要」より横断面図。二層構造になっているのが分かります。 twitter.com/urakutenism/st…
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横浜線の町田と成瀬の間から見える景色が好きなんだけど、わかる人いるかな…
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まさか9店舗すべて無くなるとは…
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かつて地下鉄銀座線の渋谷駅と外苑前駅の間に存在した神宮前駅のホーム跡。1978(昭和53)年の半蔵門線開業の際、新たに設けられた表参道駅へ統合される形で廃止となりました。
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かつて東海道線の平塚駅から、相模川と沿うように延びていた相模石油専用線。1996(平成8)年に廃止されるまで1日1往復、横浜の製油所からガソリンを運んできたタンク貨車が機関車に牽かれてここを通っていました。
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かつて新宿駅の代々木寄りに広がっていた貨物ホームと入れ換えヤード。国鉄末期の昭和50年代後半に行われた貨物輸送の大幅削減で廃止となり、跡地には現在「高島屋タイムズスクエア」などが建っています。
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今から30年ほど前、1989(平成元)年の伊勢崎駅で並ぶ 両毛線115系と東武伊勢崎線10000系。かつては貨車の受け渡しも行われていたため、構内でレールが繋がっていました。
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かつて三峰口から日窒鉱山まで走っていた路線バスと同じ道を自分も通ってみたいと15年ほど前に現地へ行ったら、まさにダムの底へと沈んでいく真っ最中で結局叶わなかったのを思い出す。RT