大島浩(駐独大使)と東條英機の関係が興味深い。二人は同じ麹町区の城北中学校に在学、明治32年9月、共に市谷台の東京陸軍地方幼年学校に入校、中尉の頃同じく士官学校区隊長を務め、共に陸軍大学校に入校し、卒業後大尉のとき一緒にドイツで暮らしている。… twitter.com/i/web/status/1…
水野曹長はA級死刑判決翌日の日記で、予想通りの新聞の論調を批判しているが、毎日新聞の東條夫人の手記を載せた記事は高く評価していた。… twitter.com/i/web/status/1…
安倍総理に安倍総理が表敬訪問
東條の、陛下に御迷惑はかけぬという覚悟については、重光葵の「巣鴨日記」にも何度か出てくる。 昭和22年1月8日… twitter.com/i/web/status/1…
震災一周年追悼式典でも、台湾代表は来賓席ではなく一般席に座らされ、指名献花からも外された。 そんな数々の日本の非礼にも、台湾人は「日台関係は揺るがない」と応えてくれた。 台湾人は戦前も、戦中も、日本が戦争に負けても、国交を断絶されてもなお、変わらず親日でいてくれた。 それなのに。
この東條の覚悟は、他の被告も同じ考えであることを、重光葵は「巣鴨日記」に書いている。… twitter.com/i/web/status/1…
それからしばらく後に東條さんは私に、「僕に与えられる刑は初から分り切っている。敗戦の罪を思えば八つ裂きにされてもいとわない。戦争の責任は僕一人で背負いたかったのだが、君等にまで迷惑をかけてすまない。君がどんな刑を受けるか分からないが敵国の裁判で罰せられると思えば腹もたとうが日本の… twitter.com/i/web/status/1…
台湾は東日本大震災発生後いち早く救助隊派遣の用意を表明したが、中韓の救助隊が入国する翌日まで待機させられた。中韓に対しては外務副大臣が空港にお出迎え。 震災1カ月後、政府は震災支援を感謝する菅首相のメッセージを米英露仏中韓の新聞に掲載。しかし、台湾の新聞は除外。