『廃兵はいやだ─祖国に叫ぶ傷痍軍人』によれば、GHQは日本政府に対し傷痍軍人に特別の待遇を与えることを禁じていたという話が複数個所でてくる。そんなところまで縛り、傷痍軍人に国のために尽くしたことを後悔させ、日本に怨嗟の念を持たせようとしたのか、と驚く。 twitter.com/111g0/status/1…
青山繁晴氏「…斧とかあるいは中華包丁、中華料理に使うところの巨大な包丁、それから棍棒とか鉄パイプはもちろんのこと、そういう武器を持っていきなり襲いかかってきた。その襲いかかってきた漢人も、実はいわばまさしく扇動されて襲いかかってきたのであって、600人のウイグル人労働者の中の一男… twitter.com/i/web/status/1…
巣鴨プリズンを仮出所した直後の重光葵。東京裁判で昭和23年11月12日に有罪・禁固7年の判決を受けた重光は、昭和21年4月29日の逮捕起訴から4年7ヵ月の服役の後、昭和25年11月21日に仮出所。講和条約発効後、恩赦により刑の執行が終了。重光はソ連の強引な横やりで戦犯として起訴されたが、その有罪判決… twitter.com/i/web/status/1…
安倍総理が残した大切なメッセージです。 (第二次安倍内閣発足前の2012年12月3日、西田昌司第3回東京政経セミナーでの発言)
民主党政権下、2012年9月20日の秋葉原。 自民党総裁選に出馬した安倍さんへの、聴衆の応援の声がすごかった。
ペマ・ギャルポ氏は暗殺された安倍首相について次のように語っている。 『中国が仕掛ける東アジア大戦争』「第一章 安倍晋三元首相を偲ぶ」より… twitter.com/i/web/status/1…
巣鴨プリズン、昭和27年の七夕。 サンフランシスコ講和条約が発効して2カ月以上が経過したが、収監者たちの釈放の期待は裏切られ、大勢残されたまま。 以下は彼らがその日に書いた短冊。 もう七年 出さねば勝手に出ていくぞ 星見ればシャクにさわるぞアメ公 早く帰して下さい… twitter.com/i/web/status/1…
共産党の別働隊は各地にたくさんあり、組織的クレームによりこれまで相当な“戦果”を上げている。 巣鴨プリズン処刑場跡付近の戦争裁判資料館構想も彼らに潰された。 twitter.com/komukaepapa/st…
戦時中の小6女子の裁縫の授業。自分が着る洋服を作ってしまうとか、すごくないですか。 私の頃はせいぜい枕カバーとか巾着袋だったような。
高等女学校の修身教科書にはこう書かれている(遠い目差し…)。 「男子は男らしく、女子は女らしくあってこそ、家も斉い、国も栄えるのであります」
戦時中の国民学校5年生の習字の教科書。 ググらないと意味がわからない。とにかく教育レベルが高い。
『国民礼法』の授業を復活させたほうがよい。 twitter.com/sinmemnis/stat…
ジェイソン・モーガン氏 「米国では文化大革命が進行中。バッグスバニーもドラァグクイーンに。米国のエリートは気が狂っています。我々を育ててくれた米国は終わりました」 元動画 youtube.com/watch?v=GDNZ9U…
巣鴨プリズンの絞首台跡、五つ塚。日本側関係者は絞首台を戦争裁判の遺跡として保存する構想があったが、管理が日本に移管される直前に米軍が絞首台を破壊した。絞首台の柱にはTojoやHirotaなど名前が落書きされていて、どの絞首台で処刑されたかわかっていたという。… twitter.com/i/web/status/1…
昭和18年11月、陸軍大学校卒業式の日、閣僚、幹部たちは天皇と御陪食、参謀本部第二部長有末精三中将はその時見た東條首相と天皇の間柄について書いている。… twitter.com/i/web/status/1…
大島浩(駐独大使)と東條英機の関係が興味深い。二人は同じ麹町区の城北中学校に在学、明治32年9月、共に市谷台の東京陸軍地方幼年学校に入校、中尉の頃同じく士官学校区隊長を務め、共に陸軍大学校に入校し、卒業後大尉のとき一緒にドイツで暮らしている。… twitter.com/i/web/status/1…
それからしばらく後に東條さんは私に、「僕に与えられる刑は初から分り切っている。敗戦の罪を思えば八つ裂きにされてもいとわない。戦争の責任は僕一人で背負いたかったのだが、君等にまで迷惑をかけてすまない。君がどんな刑を受けるか分からないが敵国の裁判で罰せられると思えば腹もたとうが日本の… twitter.com/i/web/status/1…
佐藤賢了は東條英機の宣誓口供書を解説しているが、その前文も興味深い(上法快男編『東京裁判と東條英機』)… twitter.com/i/web/status/1…
昭和20年11月、参謀本部総務課長榊原主計大佐が大森収容所の東條元首相から以下のような話を聞いている。この時点で東條の腹は決まっていた。(上法快男編『東京裁判と東條英機』)… twitter.com/i/web/status/1…
映画『大東亜戦争と国際裁判』は関係者の証言が忠実に再現されているところがいくつもあって、そういう部分も含めてよくできた映画だと思う。赤いドレスを纏ったインドの夫人が入場して大川周明が叫ぶシーンも、林逸郎弁護人の証言通り再現されていた。… twitter.com/i/web/status/1…
東條元首相との最後の面会の様子を東條夫人が述べている(楳本捨三著『東条英機とその時代』)。写真前列左と右4人が最後の面会をした夫人と4人の娘。… twitter.com/i/web/status/1…
橋本欣五郎担当の林逸郎弁護人が、東京裁判前の弁護人選定段階のことを書いているが、こういう話は知らなかった。またそこでの外務省の行動を批判している(『経済往来』昭和29年3月号)。… twitter.com/i/web/status/1…
エチオピアに皇帝がいた時の話。宮殿の入口に「トウジョウ」という名の雄ライオンがいた。エチオピア顧問団長の池田純久氏がそのことを書いている(『兵法に学ぼう』実業之日本社)。… twitter.com/i/web/status/1…
以下は東條元首相が花山信勝教誨師に、処刑の7時間前に語った言葉(花山信勝『平和の発見』) 父が12月26日に亡くなり、妻の父が12月29日、私が23日、全く奇しき縁です。 父の命日や呼ぶ声近し暮るる秋… twitter.com/i/web/status/1…
東京裁判の判決前に、東條元首相は長年部下だった佐藤賢了に次のように心情を告げている(佐藤賢了『東条英機と太平洋戦争』)。… twitter.com/i/web/status/1…