「母の手仕事-日々の暮らしの記録」を見る。 昭和30年代まではどこの家庭でも普通に見られた家事を映像化した作品。 今なら複数の専門職の人間がやる仕事を、一人のおばあさんがこなす。 昔の専業主婦は超人だったのではないかと思える。
金井米穀店、嫌がらせの一つ星攻撃を受け、4.2→2.9に低下するも、大勢の支援者の五つ星防御砲火により現在4.9、ほぼ満点まで急上昇。 #金井米穀店
おにぎりの宣伝が本格的になってきました。 #金井米穀店
戦時中の小6の理科の教科書。 ハンダ付けの前にハンダをつくったり、銅メッキをしたり。
広島に原爆を落とされて77年が経ちます。 8時15分に黙祷します。 twitter.com/111g0/status/1…
米軍が撮影した、原爆投下から8カ月後の広島のカラー映像。 復興が始まったばかりでまだほとんど廃墟の状態ですが、そこで人々が生活しています。 昭和21年3月22日~4月8日。
最初の動画の元の番組です。 2005年8月5日、広島の原爆投下60 周年の前夜に放送されたBBCのドキュメンタリー「HIROSHIMA」 youtube.com/watch?v=XKerQA…
こういうのがちょくちょくあるが、「人間のクズ」としかいいようがない。
東條英機元首相の孫娘、東條由布子氏が「占領軍による洗脳が一気に解ける珠玉の名著」と絶賛した『普及版・世界が語る大東亜戦争と東京裁判』発売 中韓の視点に立った報道や歴史解釈ばかりが優位を占める今の日本。そんなプロパガンダを覆す世界の識者が語るあの戦争の真実。 sankei.com/pressrelease/p…
中国人、韓国人による靖国神社での犯罪行為の数々。 神門放火、狛犬に「死ね」と落書き、トルエンをまいて放火未遂、拝殿の幕に墨汁、トイレに鉄パイプ爆弾、池に放尿、みたままつりの提灯破壊… コロナ騒動でしばらく犯罪はなかったが、8月28日中国人が遊就館侵入で逮捕。今後また続くのでしょう。
関東大震災から99年。 隅田川に架かる吾妻橋周辺と関東大震災後の火災で被害を受けた本所。
エリザベス女王崩御。 動画は1947年のエリザベス王女とフィリップ殿下の結婚式
川口マーン惠美氏 ドイツ人を神社仏閣に案内して、自分がそれについて何も知らないことに気づいた。学校でそういうのを全然習っておらず、反日教育を受けていた。学校で日本に対する知識をイデオロギー抜きで教えるべき。それをしなければみんな日本て何かわからないまま死んでいく感じがする。
きのうのウイグル集会、有本香さん 人種差別をやめようと最初に言ったのは我々の先祖。今どうですか。自分たちの行動をそんな風に後世に誇れますか。ウイグル人を見殺しにして、このまま私たち死んでいったら、子孫に腰抜けと言われてしまう。日本人として生きていく限り、この問題は我々の問題。
林芳正議員の胸ポケットから覗くスマホのカメラレンズ。 新文科大臣就任直後の2017年8月2日、3日の動画で確認できた。少なくとも5年もやってるのか。
辺野古の座り込み?現場の「琉球独立」「日中友好」の文字。誰が何のためにやらせているのかよくわかる。
NHKが19時のニュースで全力で韓国旅行の宣伝をやっている。
池袋の飲食店で中国人が暴れている動画を先日見たばかりだったが、またか。お店大損害。こんな状況を作った政治家に責任とってもらおう。 池袋サンシャイン乱闘騒ぎ「チャイニーズドラゴン」が出所祝いかnews.yahoo.co.jp/articles/5a9ba…
伊藤貫氏 中川昭一と僕は同い年、大学も同じで気が合った。 北朝鮮の核実験後、中川は日本も核議論をしなきゃだめだと言った。二人で酒を飲んでいたら、中川は「自民党のやつらは全員逃げた」。中川の死後、ますます黙ってしまった。来年中国の属国になるところまで追いつめられているのに誰も触れない
台湾有事の際、日本が介入すれば中国は日本に対して核攻撃する、と予告している。 「中国は核先制不使用の政策を明示してきたが、日本だけは例外。日本は中国を2回も侵略し、日中戦争では3500万人の無辜の中国人民を殺し、今また中国を侵略しようとしているからだ」 jbpress.ismedia.jp/articles/-/661…
伊藤貫氏 日本が核抑止力を持つことは東アジア地域の安定化に役に立つ。日本人が核を持つのは道徳的、戦争を防ぐためだから。逆に、日本人が核を持たなかったら、いつでも北朝鮮、中国、ロシアは日本を脅しつけて、実際に攻撃することもできる。日本が核を持たないことが不道徳。これが正論。
知らぬ間に〝属国化〟中国の「目に見えぬ侵略」に警鐘  「日本人は『中国共産党の本質』に気づいていない。中国は慎重に合法的手段で迫ってきている。脇の甘い日本にこそ問題がある」 佐々木類氏の新著『ステルス侵略』が話題 #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/48f01…
昭和27年、白装束の傷痍軍人。 私が最後にみたのは1980年代半ばだった。