どーらく(@df5066)さんの人気ツイート(リツイート順)

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老朽化のため3月末で閉店の多度津駅構内食堂。 最後までワンコインで鉄道マンを支える。今日のメニューは唐揚げ定食だった。
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田の神 ことでん長尾線 このような素朴な農村信仰にたまらない魅力を感じる。
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今日高松駅の連絡船うどんが閉店したが、かつて実際の連絡船で食べたうどんはお世辞にも絶品とは言えるものではなかった。 しかし故郷を離れ旅立つ時、訪れる時、長い桟橋を走って甲板で食べるうどんの味は特別なものだった。
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初めて四国に姿を見せたブルートレイン瀬戸 1988年4月10日  高松駅構内では大勢のファンに囲まれ駅員公認の撮影会と化した。
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多度津駅構内食堂が3月末で閉店。 長年鉄道マンの胃袋を支えてきた食堂だったが・・・。 カレーが一番人気だったが時折現れる特別メニューも魅力だった。
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和田岬線といえば究極通勤客車オハ・オハフ64
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「120号のじいさん、わしらの引退がもう少し先になったらしいぞ」 「そうか、もう一度お前さんと手をつないであの夏空の下を走ることができるんじゃな」
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四国交通ボンネットバス、定期観光からは今年で引退するが、その後はイベントや貸切用として残るとのこと。 四国交通にとっても社宝ともいえる車。廃車にならないのは嬉しい限り。
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令和開業の伏石駅を発車する大正時代の電車。 こんな非日常の光景が見られるのもあとわずか。
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平成・昭和・令和 3世代の気動車が顔を揃える高徳線。
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鉄道員(ぽっぽや)
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春闘という言葉も使われなくなってきたね。 #お前よくぞそんなもん撮ってたな選手権
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GWでの引退が正式に発表されたことでんレトロ電車。 国宝級の電車の勇姿も間もなく思い出となる。
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瀬戸が来ていた頃の宇野駅
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平成になっても昭和の雰囲気がいつまでも残っていた旧琴電瓦町駅。 いつも人の絶えない活気あふれる駅だった。
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現在ではまず見られない、大井川鉄道の5両編成の電車。1988年
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本当の昭和を知らないな。
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四国です。
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徳島駅で今でも見られるヘッドマークの交換風景 このようなアナログな鉄道情景も今では貴重になってきた。
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南部縦貫鉄道  1日わずか5往復の小さな鉄道。しかし雪深いこの地では貴重な通学の足だった。
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GWという事もあり、帰省や旅行で四国入りされている方も多いと思う。 昭和の四国入りというと宇高連絡船が最もポピュラーな方法だった。四国の玄関と言われた高松駅からは四国各県行きの列車がひっきりなしに出発していた。
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北国の小さなレールバス 南部縦貫鉄道
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駅弁を買うだけなら駅前でいつでも買えたのだが、蒸気機関車の煙の匂いが染み付いた人吉駅の構内で菖蒲さんの手から買うから何倍もおいしく感じたのだと思う。 長いあいだ本当にお疲れ様でした。
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水島臨海鉄道キハ20さよなら運転の日  普通なら駅に撮り鉄が溢れるところだが、この時ホームにはキハ20の最後の姿を見送りに来た母娘の姿だけがあった。 実に印象深かった一コマ。
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1988年4月10日瀬戸大橋開業初日の高松駅 富田靖子が一日駅長を努めマリンライナーの出発式を行った。JR四国の当時のキャッチコピーは「どっきん四国」