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たとえ作っているものが仕事に結びつかなくとも、それを作っている時の何事にも代え難い、掛け替えの無い時間こそが生きていると言う事であり、それによって自分が生かされていると言う事。「売れなければ無駄」などと言う人の意見を聞く価値はない。
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音楽から見える景色があるように、絵画から聞こえる音楽がある。
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絵を描く上で一番大切な事は技術ではなく、自分の心が何を求めていて、何を魅力に思い、何を美しいと感じるかを的確に把握、理解しているという事だと思う。
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音楽や絵画、文学おける深く繊細な機微に心から感動するような、豊かな感性を持った人は、社会の中の乱雑な感情のやり取りに辟易とする事が多いと思います。
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音楽や芸術は直接的な生活の為には不要、と言われてしまうこの時世だけれど、音楽や芸術が無くなった世界を生きることが出来る気はしない。
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芸術において優劣を付ける事に納得がいかないという思いと、競争が嫌い、組織が好きではないという思いから、今まで一度も絵画公募展に出品した事がない。
積極的に出品していればより多くの人に届いていたかもと考える事はあるが、肩書で人や作品を判断する世界と関わりたくないので良いのだ。
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そもそも創作や表現の才がある人は、感受性が豊かであり、感受性が豊かと言う事は繊細な訳で、周りを不必要に気にしてしまう所もあるんだと思う。
お金にならなければ意味がない、のような意見を正面から受けてしまい、そのダメージも大きい。それにより生き方を変えられてしまうのは悲しい事。
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売れない音楽を作るのも売れない絵を描くのも、周りから見れば無駄な事かも知れないけれど「そんなの無駄だからやめなよ」と言う人がいるとすればそれは人間性への冒涜だと思うし、その人をひどく陥れる言葉にもなってしまう。
描く、作ると言う行為自体が生きるために必要という人もいるのだ。
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絵画の大きな魅力の一つは、「何かわからないけどこの絵には何かあるぞ、何だろう」という感覚だと思いますが、それは作者と観覧者が持っている精神世界の近い部分の呼応と、自分の精神世界を作者が凌駕している部分への反応なんだと思います。
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繊細な感受性を持っている人にとって今の社会は生き辛い。それは、この競争社会の乱雑な感情の押し付けに辟易としてしまうから。
でも、その感受性があるからこそ、風の香りや日差しの声や、美しい音楽を、芸術をーその繊細な機微と深みをー受け取ることができる。
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宮崎駿が言っていた「入り口は広く低く、出口は高く浄化されていなければならない」と言う創作に対する態度が好きだ。自分の作品もそうありたいと思う。
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友人と会って、じゃあね、また今度ね、などと言いつつ別れて、それから何年も何十年も経ち「あれが最後に会った時だったな」と思い返す事って結構良くあると思う。
友人でも恋人でも家族でも、いつも当たり前に居るという事は当たり前では無くて、「これが最後」と常に隣り合わせなのだと思う。
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学問、科学や芸術を「楽しいもの」として心奪われるという事は、世界の仕組み、有り様をに興味を持つという事であり、物事を自分の目で見て解釈し、俯瞰的に考えられるという事に繋がる。混沌の時代、個々人がこの意識を持つという事はこの国、ないしは世界の未来にとって重要な事と思う。
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その学問や芸に興味を持つ可能性があるのに、苦行に仕立ててその物事を嫌いにさせるのは、それに心奪われ、続けていくという未来を奪われるという事だ。一見つまらなく見えても、隠されている魅力をいかに伝えられ学生、生徒の興味をいかに引き出すかに腐心する事が本来の教育の役割だと思う。
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元来日本人は「苦行を乗り越えてこそ一人前」「痛みを経なければ達成できない」という精神論に囚われすぎている傾向があり、本来は楽しい事も苦行に仕立てて乗り越えさせるという所がある。それは学問のみならず音楽やスポーツ等にも言えるのではないかと思う。
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日本の教育は、何か厳しいタスクを与えて、それを文句を言わずにやる真面目で従順な人が評価され生産されるという機構であり「学問=つまらないが乗り越えねばならない厳しいタスク」というイメージが定着している。「学問=世界の仕組みが解る楽しさ」という側面が軽視され過ぎていると思います。
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本当に疲れたり傷ついている人には一般的に言われるような癒しは気がまぎれる事はあるかもしれないけれど癒えることはないのではないかと思う。芸術には深い傷にも寄り添えるだけの底の無いの包容力があり、何かの支えになり得るのだと思っています。
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子供の頃の楽器体験が楽しかったという記憶が残っていれば、大人になって再び楽器を手にしてみようと思う人も増えるだろう。音楽を演奏するという事は何にも代えがたい喜びだし、特に音楽家にならずとも楽器がどれだけ日々を、人生を豊かにするかわからない。
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身の回りだけでも、子供の頃ピアノの先生が怖くてピアノが嫌いになったという人が結構いて驚く。子供のピアノの教師は、楽器演奏は楽しいという体験ー記憶を子供に与える事に苦心するべきであり、練習しないと厳しく叱ったりしてピアノを嫌いにするのは本末転倒の横暴であると思う。
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逆に言うと大切なのは「自分にとって美とは何か、心を揺さぶられる思いは何か」を認識して表現の核として持っているという事であり、それがしっかりしていれば表面上の表現方法が変わっても、創作の芯がぶれずに伝わってくるのだと思います。
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絵にしても音楽にしても、その人が普段から考え感じている「何を好ましく思うか、何を美しく感じるか」という思いは、作品にそのまま現れるもので、たとえそれを隠して作っても音や画面の端に必ず現れてしまう。
作品は嘘をつけない。
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生まれ育った環境は選べないけれどそれだけにより自分が作られているのではなく、後天的に自分が好ましく思う哲学に依って自分の核が作られているという側面はあると思う。例えばこの映画によって人生が変わった、この作家に出会って世界が変わったと言うことは往々にしてある。
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考えなくても実社会で生きる為には全く問題がない哲学的なこと、もしかしたら考えない方が生きやすいのではないかと思うような事をどうしても考えてしまうという人はいると思うのだけれど、そういう人達にとって、そこは誰にも侵されない本当の自由がある大切な場所でもあるのだと思う。