2
モネは「人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。」と言ったそうだが本当にそう思う。絵は理解するしないで語ると魅力がわからなくなる。あぁいいなと思う感覚が全て。
3
絵を描く上で一番大切な事は技術ではなく、自分の心が何を求めていて、何を魅力に思い、何を美しいと感じるかを的確に把握、理解しているという事だと思う。
4
日本の教育は、何か厳しいタスクを与えて、それを文句を言わずにやる真面目で従順な人が評価され生産されるという機構であり「学問=つまらないが乗り越えねばならない厳しいタスク」というイメージが定着している。「学問=世界の仕組みが解る楽しさ」という側面が軽視され過ぎていると思います。
5
一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。
その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
6
一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。
その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
7
絵にしても音楽にしても、その人が普段から考え感じている「何を好ましく思うか、何を美しく感じるか」という思いは、作品にそのまま現れるもので、たとえそれを隠して作っても音や画面の端に必ず現れてしまう。
作品は嘘をつけない。
8
絵を描く人にとっては、ずっと前に描いた作品と全く同じものを、もう一度描くという事は難しいという事が分かるはず。それは、時間とともに技術力が変わり、心境も変わっていくから。人間の精神は時とともに変容するもので、絵はその人のその瞬間の精神を封じ込めている。
9
鬱気質の人の特徴である、真面目さ、几帳面さ、責任感の強さ、繊細で豊かな感受性、創造性、全体を把握する力、というのはそのまま、より良い社会を作っていく為にに必要な能力であって、この気質を持つものが社会に貢献できるポテンシャルはものすごく高いのだと思っている。
11
売れない音楽を作るのも売れない絵を描くのも、周りから見れば無駄な事かも知れないけれど「そんなの無駄だからやめなよ」と言う人がいるとすればそれは人間性への冒涜だと思うし、その人をひどく陥れる言葉にもなってしまう。
描く、作ると言う行為自体が生きるために必要という人もいるのだ。
12
絵を描く上で一番大切な事は技術ではなく、自分の心が何を求めていて、何を魅力に思い、何を美しいと感じるかを分かっているという事で、それに忠実であるという事だと思う。
13
身の回りだけでも、子供の頃ピアノの先生が怖くてピアノが嫌いになったという人が結構いて驚く。子供のピアノの教師は、楽器演奏は楽しいという体験ー記憶を子供に与える事に苦心するべきであり、練習しないと厳しく叱ったりしてピアノを嫌いにするのは本末転倒の横暴であると思う。
14
ルノワールは「人生には嫌な事が多すぎるのでこれ以上嫌な物は作りたくない、愛らしく美しいものだけを作りたい」の様な事を言ったらしいけど、その気持ちも良く分かる。暗く辛い事ばかりの世界で、生きるためにファンタジーが必要な時もある。
15
売れない音楽を作るのも売れない絵を描くのも、周りから見れば無駄な事かも知れないけれど「そんなの無駄だからやめなよ」と言う人がいるとすればそれは人間性への冒涜だと思うし、その人をひどく陥れる言葉にもなってしまう。
描く、作ると言う行為自体が生きるために必要という人もいるのだ。
16
感受性が鋭く意識の奥で思考をし始めるような人は、周囲との温度差に気づき、表層に馴染まずに世間を持て余し始める。
そのような人の帰すところが文学や芸術の世界であり、唯一自らを自由に解き放つことができる。
17
一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。
その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
18
感受性が鋭く意識の奥で思考をし始めるような人は、周囲との温度差に気づき、表層に馴染まずに世間を持て余し始める。
そのような人の帰すところが文学や芸術の世界であり、唯一自らを自由に解き放つことができる。
19
心に何か抱えた人が作る作品には星が入っていて、その星は誰かの心に直接届くことになっている。
例え売れたり人気になったとしても星の入っていない作品は忘れられていく。星の入っている作品は、たとえ人気にならなくとも、届いた一人の心に深く刻まれて、時代を経て光を灯し続ける。
20
元来日本人は「苦行を乗り越えてこそ一人前」「痛みを経なければ達成できない」という精神論に囚われすぎている傾向があり、本来は楽しい事も苦行に仕立てて乗り越えさせるという所がある。それは学問のみならず音楽やスポーツ等にも言えるのではないかと思う。
21
色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が良いものか、何が必要ないものかが分かるようになる。
悲しみを、今後長く付き合っていく友達のようなもの、と思えれば、淡い色の景色の中に、小さな輝きが見えるようになる。
22
描いている絵をどの時点で完成とするかは難しいですが、「音楽が聴こえるか」「詩が聞こえるか」の二つの基準にするとうまく行くことが多いです。
23
過干渉な親が先回りして物事を進めたり、子の発話を遮って意見を被せ過ぎると、話すことに対するハードルが上がっていき、自分の意見を言う事を躊躇うようになる。言わなかった思考は反芻され頭の中で煮詰まるので哲学的、文学的思考を持つ人はこう言う背景を持つ事が多いのではないかと言う仮説。
24
一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。
その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
25
絵が売れず経済的に困窮し自殺未遂にまで追い込まれたモネに、ルノワールがパンを持って行ってあげていたという逸話があるけれど、その時食べるものもない中で描いていた絵が将来数十億円にもなる訳で、価値というものは何なのかという事を考えさせられる。