Makoto Iijima(@makokujira)さんの人気ツイート(いいね順)

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作品を置いておきます。コロナ禍で2020年5月の個展が延期になり、次回個展を2021年春に東京京橋で予定しております。
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そもそも創作や表現の才がある人は、感受性が豊かであり、感受性が豊かと言う事は繊細な訳で、周りを不必要に気にしてしまう所もあるんだと思う。 お金にならなければ意味がない、のような意見を正面から受けてしまい、そのダメージも大きい。それにより生き方を変えられてしまうのは悲しい事。
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絵を作品として成り立たせるには技術が必要なのですが、技術は心の上にはいかない。技術は表現の、あくまでもサポート役、裏方という視点が大切なんだと思います。
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「どんなに教養があって立派な人でも、心に傷がない人には魅力がない。他人の痛みというものがわからないから。」フジコヘミング 心に傷があるから他の人の痛みを解ることができ、その慈しみがその人やその人の作るものを魅力的にするという事もあるのかもしれない。
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飯島誠展ー心象の光彩ー 2021年6/28(月)~7/4(日)11:00~19:00最終日17時まで 感染対策を十分にし、新作油彩35余点を展示予定です。感染状況が良くなる事を願いつつ、皆様是非ご高覧頂ければと思います。 金井画廊 銀座線京橋駅出口6より徒歩1分 浅草線宝町駅出口A6より徒歩1分 JR東京駅より徒歩10分
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芸術家にとって創作とは、時に心身をすり減らす毒であるのと同時に、この世に自らを繋ぎ止め、息が出来るようになる希望のような薬でもある。
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生まれ育った環境は選べないけれどそれだけにより自分が作られているのではなく、後天的に自分が好ましく思う哲学に依って自分の核が作られているという側面はあると思う。例えばこの映画によって人生が変わった、この作家に出会って世界が変わったと言うことは往々にしてある。
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本当は「こうでなければならない」などと言うことはどこにもなく、それは育って行く中で誰かに植え付けられたり、知らぬ間に思い込んでしまった事かもしれない。力を抜いてその思い込みを疑ってみる、解けていくと見える景色が変わっていき、自分にとって本当に大切なものが見えてくるかもしれない。
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悲しみには二種類ある。何かのきっかけがある一時的なものと、ずっと続いていくもの。 ずっと続いていく悲しみのうちで、明確な心的外傷を原因としないもの、すなわち治療のしようが無いものを哲学的悲しみと呼びたい。哲学的悲しみの帰すところが芸術なんだと思う。
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今の社会では人に応じて主張を上手く変えられるコミュ力や鈍感さ、図太さなどか世間をうまく渡っていく能力として、もてはやされる所があるけれど、今社会に本当に必要なのは繊細な感受性や内省からもたらされる思慮深さなのではないかと思う。
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音楽や芸術は直接的な生活の為には不要、と言われるこの時世だけれど、音楽や芸術が無くなった世界を生きることが出来る気はしない。
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絵を描く上で一番大切な事は技術ではなく、自分の心が何を求めていて、何を魅力に思い、何を美しいと感じるかを明確に把握、理解しているという事だと思う。
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音楽や芸術に関する催しが削られ、その理由として音楽や芸術は直接的な生活の為には不要だから、と言われてしまうこの時世だけれど、音楽や芸術が無くなった世界を生きることが出来る気はしない。
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アインシュタインは「思考は音楽と同じでそれ自体が目的です」のような事を言っていたけれど、空想をしていたり脈略もなく思いを巡らせる時や、世界について、生きるという事について深く考えるような時間こそ、誰にも奪われない本当の自由であり彩であり、決して無駄な時間などでは無い。
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繊細な感受性を持っている人にとって今の社会は生き辛い。それは、この競争社会の乱雑な感情の押し付けに辟易としてしまうから。 でも、その感受性があるからこそ、風の香りや日差しの声や、美しい音楽を、芸術をーその繊細な機微と深みをー受け取ることができる。
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音楽は見ている景色を変える。 絵画は心に音楽をかける。
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たとえ作っているものが仕事に結びつかなくとも、それを作っている時の何事にも代え難い、掛け替えの無い時間こそが生きていると言う事であり、それによって自分が生かされていると言う事。「売れなければ無駄」などと言う人の意見を聞く価値はない。
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ツイッターは、普段の生活では言えない心の奥を、ビンにつめて太平洋に流してるようなものだと思っているので、拾ってくれる人がいるのは奇跡だと思っている。
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「全ての創造的な仕事の後ろには必ず子供の心があります」のような事を司馬遼太郎が言っていたけれど、本当にそう思う。金や権力欲という動機ではなく、子供が目を輝かせる時のように、心を動かされるからそれをするという気持ちからのみ本当に良いものは生まれる。
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感受性が鋭く意識の奥で思考をし始めるような人は、周囲との温度差に気づき、表層に馴染まずに世間を持て余し始める。 そのような人の帰すところが文学や芸術の世界であり、唯一自らを自由に解き放つことができる。
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逆に言うと大切なのは「自分にとって美とは何か、心を揺さぶられる思いは何か」を認識して表現の核として持っているという事であり、それがしっかりしていれば表面上の表現方法が変わっても、創作の芯がぶれずに伝わってくるのだと思います。
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色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が必要か、何が不必要かが分かるようになる。悲しみは絶えず存在するけれど、淡い色の景色の中の繊細な輝きが見えるようになる。
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色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が必要か、何が不必要かが分かるようになる。悲しみは絶えず存在するけれど、淡い色の景色の中の繊細な輝きが見えるようになる。
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昔、好きで繰り返し聞いていた音楽を今聴いても懐かしさ以外には、良さが分からないと言う事も多々あるわけで、何かを強烈に好きになる、という現象はある年齢の自分と、その精神状態にちょうどシンクロする創作物との交点の奇跡的な一致であり。その感動は宝物と思う。
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辛い練習を乗り越えないと上手くならない、何事も達成できないという精神論は何かの呪縛であり、これに足を取られない方がいい。 好きだから下手でもいいから続けていると自然に上手くなるし、惹かれれる程に真剣になるので鑑賞に耐えうるものになる、と言う事の方が真だと思います。