Makoto Iijima(@makokujira)さんの人気ツイート(いいね順)

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過干渉な親が先回りして物事を進めたり、子の発話を遮って意見を被せ過ぎると、話すことに対するハードルが上がっていき、自分の意見を言う事を躊躇うようになる。言わなかった思考は反芻され頭の中で煮詰まるので哲学的、文学的思考を持つ人はこう言う背景を持つ事が多いのではないかと言う仮説。
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「細かな気遣いができる」「よく気がつく」「言われなくても率先して動く」のような言葉は一見耳障りが良いですが、それを美徳として押し付けてくるような人の近くにいなければならない事は(自分にとっては)控えめに言って地獄であり、これらの言葉は一級の警戒対象だと思っている。
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一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。 その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
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逆にこれとは対極の性質である鈍感さ適当さ打たれ強さ図太さ責任感の無さは今の弱肉強食の経済社会では出世しやすく生きやすい資質なのかもしれないけれど、平和なより良い社会のために貢献できる資質であるかどうかは疑問に思ってしまう。
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一度、精神的に危険なところまで追い詰められた事のある人にとっては、求めるものは心の平静であり、それ以外の事は大して重要ではないという心境になるものだ。 その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
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絵画の大きな魅力の一つは、「何かわからないけどこの絵には何かあるぞ、何だろう」という感覚だと思いますが、それは作者と観覧者が持っている精神世界の近い部分の呼応と、自分の精神世界を作者が凌駕している部分への反応なんだと思います。
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色の変わった世界ではどれがまやかしで、どれが本質であるかが分かるようになるし、自分にとって何が良いものか、何が必要ないものかが分かるようになる。 悲しみを、今後長く付き合っていく友達のようなもの、と思えれば、淡い色の景色の中に、小さな輝きが見えるようになる。
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絵から音楽が聴こえてくるような風景画を描きたい。
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海へと続く道に惹かれる
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絵画の大きな魅力の一つは、「何かわからないけどこの絵には何かあるぞ、何だろう」という感覚だと思いますが、それは作者と観覧者が持っている精神世界の近い部分の呼応と、自分の精神世界を作者が凌駕している部分への反応なんだと思います。
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絵から音楽が聞こえてくるような風景画を描きたい。
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世界の色が灰色になってしまう事もあると思う。その時は負担になっている外的要因または「こうあるべきだ」と取り憑かれていた自分の思考パターンから逃げる事が大切。充分に休んで散歩をする。季節の風の香りや陽が降る緑の景色を心に取り込む。そうしているうちに淡く綺麗な色が風景の中に戻ってくる
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気にしなくて良いような事を気にしたり、考えなくてもいいような事を考えたりして、周囲との間に温度差が出来てしまうような人は、創作活動に向いている人と言えると思います。
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砂糖は甘いけれど本当は甘い訳ではなくて、人にとって効率的なエネルギー源だから多く摂取させる為に脳が「甘い」という幻想を人に見させているだけ、という風に考えていくと、自分が感じること、楽しいとか苦しいとか言う事も全部幻なんだなと言う気がしてくる。
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宮崎駿が「プロ意識というより、好きでやってるという事の方が大切」の様な事を言ってたけど、全ての素晴らしい創作は、対象に対する献身と、内から起こる作りたい作らねばならないという思いから生まれるもの。その気持ちを無くし収益性のみが焦点になった創作はつまらないものになっていくのだと思う
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芸術において優劣を付ける事に納得がいかないという思いと、競争が嫌い、組織が好きではないという思いから、今まで一度も絵画公募展に出品した事がない。 積極的に出品していればより多くの人に届いていたかもと考える事はあるが、肩書で人や作品を判断する世界と関わりたくないので良いのだ。
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過干渉な親が先回りして物事を進めたり、子の発話を遮って意見を被せ過ぎると、話すことに対するハードルが上がっていき、自分の意見を言う事を躊躇うようになる。 言わなかった思考は反芻され頭の中で煮詰まるので哲学的、文学的思考を持つ人はこういう背景を持つ事が多いのではないか、という仮説。
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絵から音楽が聴こえてくるような風景画が描きたい。
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本当は「こうでなければならない」などと言うことは何もなく、それは育って行く中で誰かに植え付けられたり、知らぬ間に思い込んでしまった事かもしれない。力を抜いてその思い込みを疑ってみる。解けていくと見える景色が変わっていき、自分にとって本当に大切なものが見えてくるかもしれない。
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昔から集団が嫌いでどんな所にも所属しているという感覚が無かった。常にここは僕がいるべき所ではないという疎外感があった。時を経て、人が形成する集団に心から帰属できる場所などないと言う事に気付いた。しかし、何かに帰依する感覚が美しい自然の中にいる時と絵や音楽を作っている時にある。
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絵画教室で園児と接していると、人間にとって絵を描くという事はとても自然な行為で、食べる、遊ぶ、と同じように遺伝子に組み込まれているのではないかと思う時がある。絵画は人間にとって基本的で本質的な表現衝動ではないだろうか。
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本当に疲れたり傷ついている人には、一般的に言われるような癒しは気がまぎれる事はあるかもしれないけれど癒える事はないのではないかと思う。芸術には深い傷にも寄り添えるだけの底の無いの包容力があり、何かの支えになり得るのだと思っています。
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ラピュタで「良いまじないに力を与えるには悪い言葉も知らなければならない」のような事を言っていたけど。生きていく上での明るさやポジティブな気持ちをリアリティのあるものにするには、暗さや悲しさという本質に蓋をせず受け入れるという事が必要なんじゃないかと思う。
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考えなくても実社会で生きる為には全く問題がない哲学的なこと、もしかしたら考えない方が生きやすいのではないかと思うような事をどうしても考えてしまうという人はいると思うのだけれど、そういう人達にとって、そこは誰にも侵されない本当の自由がある大切な場所でもあるのだと思います。
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絵画の大きな魅力の一つは、「何かわからないけどこの絵には何かあるぞ、何だろう」という感覚だと思いますが、それは作者と観覧者が持っている精神世界の近い部分の呼応と、自分の精神世界を作者が凌駕している部分への反応なんだと思います。