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弘治2年(1556)4月20日、斎藤道三が長良川の戦いに敗北して戦死しました。この合戦は、道三とその息子の義龍の不和が原因で勃発しますが、合戦の結果は、美濃国内の領主達を味方につけた義龍が勝利しました。画像は「土岐累代記」(『続群書類従』所収)の該当部分です。buff.ly/2Xv5VCH
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今日(12/22)は二十四節気のひとつ「冬至」です。冬至の風習として知られる「柚子湯」の起源は江戸時代だそうですよ。年明け1/26(土)からは第4回企画展「温泉~江戸の湯めぐり~」を開催予定!お風呂の歴史に触れてみてください!
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今日はこの季節にぴったりの虫、『虫譜図説』より「デンデンムシ」(カタツムリ)をご紹介。同書は幕臣の飯室昌栩(いいむろまさのぶ)が著した虫類図鑑。全970品の虫類を『本草綱目』を基礎に体系的に分類し、図と説明を加えています。近頃は見かけませんね、デンデンムシ。
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慶応4年(1868)1月3日、戊辰戦争の最初の戦いとなる鳥羽伏見の戦いが始まりました。画像は『慶明雑録』より1月4日、5日の鳥羽の戦場の様子を描いた絵図です。図をよーく見ると、真ん中に「錦の御旗」が翻っているのがわかります。
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明智光秀の最期については様々な説がありますが、江戸時代に成立した『兵家茶話』では、光秀は山崎の戦いの後、名を変えて美濃国に隠れ住んでいたとされています。その後、光秀は関ヶ原の戦いに参戦しようとしますが、その途上で溺れ死んでしまったのだとか。 #麒麟がくる
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治承4年4月9日(1180年5月5日)、以仁王(もちひとおう)が令旨を発し、源氏が平家打倒の兵を挙げました。ところがまもなく敗死。画像の『平家物語』は、首のない以仁王の遺骸が運ばれる場面。、画面手前の池の中には、以仁王を見捨てた家臣が隠れている姿が描かれています。
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好評開催中の「戊辰戦争―菊と葵の500日―」に続く次の企画展は「平家物語―妖しくも美しき―」です!――諸行無常の武士たちのドラマの陰に怨霊・天狗が暗躍する!?軍記物語の傑作から夏にふさわしい怖~い話をご紹介します。7/21(土)から!buff.ly/2MiVk5O
#妖しくも美しき
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昭和11年(1936)2月26日未明、2・26事件が起こりました。画像は内務省警保局保安課の文書で、当日の午前8時半に警保局の事務官が発した電報の写しです。この段階では岡田啓介首相は死亡したものと思われていましたが、後に無事であったことが判明しました。
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ゆく河の流れは絶えずして――建暦2年(1212)3月末日、鴨長明の『方丈記』が完成しました。画像は紅葉山文庫旧蔵の注釈書『鴨長明方丈記之鈔』で、上段に注記、下段に本文が記されています。傍線部に「建暦の二とせ、やよひの晦日」と見えますね。buff.ly/2GafsYi
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明治5年(1872)5月7日、品川・横浜(現在の桜木町)間に我が国はじめての鉄道が仮開業されました。画像は新橋・横浜間の鉄道路線図です。 本図の含まれる「公文附属の図」は、平成10年「公文録」とともに、国の重要文化財に指定されました。buff.ly/2Fz2e2b
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建仁3年6月23日(1203年8月1日)、源頼家の命により阿野全成が誅殺。 #鎌倉殿の13人 では #新納慎也 さんが演じています。画像の寛文10年(1668)版『義経記』に幼少期の挿絵がありました。母の常盤が平清盛に再嫁した場面。ハイハイしているのは同母弟の義経です。 buff.ly/3xXxk1I
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今日(5/3)は憲法記念日。当館は日本国憲法の公布原本を所蔵しています。常設展示室「日本のあゆみ」では、その公布原本のレプリカをご覧いただけます。この機会に日本国憲法をじっくり読んでみるのもおススメです。 buff.ly/3LCqbsi
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外出自粛。こういった時は、案内書を見て旅行気分を味わうのも良いかもしれません。画像は『江戸名所図会』から浅草寺の図。このほかの、江戸の名所を味わうには、当館のデジタルアーカイブをのぞいてみてください。
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神亀6年(729)2月12日、それまで朝廷内で大きな権力を握っていた長屋王が、謀叛を疑われて自害しました。これが「長屋王の変」です。画像は日本最古の漢詩集『懐風藻』(林家旧蔵)より、新羅の使者を歓待した際に長屋王が詠んだ詩です。buff.ly/2G0RaeR
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明治2年(1869)5月18日、戊辰戦争最後の戦い、箱館戦争が終結しました。旧幕府海軍の榎本武揚(釜次郎)らは箱館五稜郭で新政府軍と戦うも、戦費の枯渇などによって降伏を余儀なくされます。画像は、明治5年に榎本ら降伏者が赦免されたことを伝える『陸軍裁判所記』です。
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明治4年7月14日(1871年8月29日)、藩をやめ、府県に統一されました(廃藩置県)。画像は「太政類典」より廃藩の詔です。令和3年(2021)は廃藩置県から150周年を迎えます。来年開催予定の第3回企画展「最後の殿様」では、廃藩後の殿様たちの姿に迫ります。どうぞお楽しみに。
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