KoichiroKOKUBUN國分功一郎(@lethal_notion)さんの人気ツイート(いいね順)

この高校生が正常で、文科省とマスコミが異常なのだ。 「高校生です。…高校生の生の意見を、文科省のトップや幹部に伝えてください」…男子生徒の視線は壇上の文科省の視学官に…会場は一瞬しんと静まった。 英語民間試験「中止」「延期」が9割 高校生が直訴する異常事態 dot.asahi.com/aera/201908260…
「閣議決定」がトレンド入りしている。閣議決定という単なる内閣の方針確認が、第二次安倍政権以来「閣議決定されました」との言い方であたかも法的根拠を持つものであるかのように報じてきたことについてマスコミの責任は重い。法的な根拠を持つわけではないことが今回認識されるのは望ましいことだ。
誰が「保険証の制度を廃止してくれ」と政府に頼んだというのか。なぜ何でも変更したがるのか。予算を取るためか。予算を取って何かに変更を加えないと仕事をした気にならないからか。今ある制度を立派に守り抜いたらそれで立派な仕事だ。「デジタル」の仕事でも他にやることは山とあるだろう?
現首相もその周辺も、安倍前首相の頃の雰囲気をそのまま引きずっていて「平和ボケ」ならぬ「安倍ボケ」の中にあるのではなかろうか。政治において守らなければならないこと、倫理観、言葉、あらゆるものを蔑ろにした安倍政権の雰囲気に彼らは慣れきってしまっているのではなかろうか。
オンライン授業では、マイクやカメラをオンにできない家庭およびその他の事情を抱えた学生への配慮も必要である、との連絡が大学からあり、これは広く共有すべきかと思いました。オンライン授業では私的空間が、突然、公的空間に晒されるわけで、確かに繊細な対応が求められると思います。
文科省は日本の大学のレベルを上げたいんじゃないのか。15回必ず授業しろとかどうしようもない形式主義で縛り付けておいて、実際には学生の質を高めることには何の関心もない。挙げ句の果てには労働力としてタダで利用したい、と。沈没まっしぐらだ。
意見の不一致は政治の出発点であって、それが存在しないかのように政治が進んでいくことは恐るべき事態を招く。この意味では「分断」は政治の条件ですらある。
マイナンバーを知らせるために、これまでどれだけの数の事業所に、番号通知書とパスポートのコピーを封筒に入れ、口を糊付けし、ポストに投函したか分からない。「デジタル」が聞いて呆れるこんなやり方を全国に強いる出来の悪い制度を保険証という命に関わる制度と結びつけるなど言語道断ではないか。
オンライン授業によって学生からの質問が増えたということがしばしば肯定的に語られるが、授業中に質問することがそんなに重要だろうか。もちろん質問してもいいけれども、チャットで思いつきを質問するより、授業中に分からないことをそのままじっと1週間でも考える方が重要ではないか。
昨日、東京大学総合文化研究科准教授に任ずるとの辞令を受領。東大駒場の哲学の教員になりました。新しい環境で教育と研究にこれまで以上に熱心に取り組んでいこうと思います。郵便物を以前の勤務先に送付しないようにお願いいたします。
現代社会を特徴づける字義通り性literalityという極めて重要な問題についての指摘。 twitter.com/jo2geor2/statu…
直訴ってなんだよ。相手は公僕たる官僚だろ。高校生が自分たちに関わることについて発言したら、まるで命がけで権力者に駆け寄って惨状を訴える前近代の偉人みたいな扱い。呆れる。
「社会の分断が深まっている」という表現は、したがって、ありもしないどころか、誰も具体的には想像していない“社会の一体感”のようなものを前提あるいは想定した上で使われている表現ではないか。だから違和感があるのである。
これまでも「映像による哲学の試み」をいくつかネットで公開して来ましたが、今日、「哲学の映像」と「映像の哲学」を定期配信する新しいプラットフォーム〈國分功一郎の哲学研究室〉がオープンしました。 akademeia.kodansha.co.jp/pages/about ぜひご覧ください。配信映像は全部、僕が一人でコツコツ撮ってます!
ここで沢尻エリカとはもう分かり易すぎるのではないか。こういうことがこれまでも何度もあった。誰か一覧表にしていただけないだろうか。 twitter.com/hiranok/status…
ハンナ・アレント曰く、伝統的な政治思想によれば暴政とは「みずからについての説明をまったく要求されない統治」のことを言う。 そのような「暴政」を絶対に認めてはならない。世論もマスコミも断固として説明を求めていかねばならない。 twitter.com/yujinfuse/stat…
若い人たちはいろいろな出来事をよく覚えておいて欲しい。自分たちの見ている前でこうやって没落が起こっていったと後世に伝えて欲しい。世界史上のその他の没落との比較も後世が行ってくれるであろう。
閣議決定がまるで法的根拠を持つものであるかのように作用する事態は、哲学的に言えば、行政という執行権力が、立法権力によって定められる法を必要とせず、またそれを無視して、統治に関わる事柄を決めていくという事態。行政が法を凌駕するこの事態を「例外状態」と言い、多くの研究・考察がある。
学生たちにタダ働きさせたいから、大会期間中は授業をするなと国が大学に通達。本当に頭おかしい。しかも「首都大学東京は…期末試験を大会前に終了させるなどして大会期間中に原則、授業や試験を行わない」って何? 東京五輪「授業避けて」国通知、ボランティア促す headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-…
人間の最も素晴らしいところが知性ならば人工知性の発展は脅威と受け止められるだろう。しかし、人間の最も素晴らしいことろは知性ではないとすれば、これは大した脅威ではなくなる。実際、ダーウィンはミミズについての実験と観察の末「体制こそ下等なれどミミズには間違いなく知性がある」と述べた。
出版からちょうど10年、ずっと読者に恵まれてきたこの本がついに新潮文庫で文庫化されます。新しく後書きを書き加えました。初の電子版も同時発売です。よろしくお願いします。 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫) amazon.co.jp/dp/4101035415/…
今日学生と「なぜ今の世の中ではこんなにやりがいが語られるのか」という議論をしていて、「賃金の足りない部分をやりがいで支給しているのだろう」という話になった。現物支給ならぬ、形而上学的なやりがい支給。もちろん労働者自身が支給物を探さねばならないという転倒がそこにはある。
「やっぱりやめておきます、お騒がせしました」の一言が言えないために弥縫策に弥縫策を重ねるといういつもの、しかし異常なパターンを繰り返す官僚。それに付き合わされるのはごめんだと主張する正常な高校生。自分たちに関わることについて当事者が発言したら「異常事態」と呼ぶ異常なマスコミ。
第二次安倍政権はとにかく「閣議決定」を濫用し、憲法の解釈までこれで変えた。そして、覚えている人がどれくらいいるか分からないが、2019年には首相の夫人(安倍昭恵氏)は公人ではなく私人であるということまで「閣議決定」している。現内閣もこの延長線上にある。 digital.asahi.com/sp/articles/AS…
おかしなことに慣れるというのが本当に恐ろしいのだ。ナチスの全権委任法だって、議会が立法権を行使しない、死守しようとしないワイマール期の政治に国民がなれきっていたからこそありえた。日本もこの6年で本当におかしなことに慣れてしまった。