野口晃菜 Akina Noguchi(@akinaln)さんの人気ツイート(リツイート順)

もともとオリンピックに興味をもてない方だが、感染者がこんなに増えていて、ワクチンも行き渡っていない中、開催するべきではないと強く思う。そして、これまでいかに差別行為が許容されてきたかが露呈したことについては、「声を上げていいんだ」と思えるきっかけになれたら。
社会構造上、属性によって特権があったり、抑圧を受けている実態がある。一方でそれによって個人が感じる辛さには個人差がかなりある。抑圧を受けている属性であっても、それに気づかない人もいれば、サバイブするために適応してきた人もいる。だから、個人同士の「自分の方がより辛い」対決は不毛。
「努力をするべき」「頑張れば報われる」の呪いは子どもの時からほとんどの人にしみついているんだと思う。そういう呪いから、「自分は頑張らずに権利ばっかり勝ち取ろうとする、文句ばっかり言う」みたいな言葉が出てきてしまうんだろうか。
学校や福祉施設、そして社会全体で起きているありとあらゆる問題に対して、「文句ばっか言ってないでポジティブに捉えようよ」「あなたの捉え方次第だよ」みたいな風潮は自己責任社会を強化する。おかしいことには「それは違う」と声を上げる大切さよ。
差別発言・行為をして辞任・解任された人たちを擁護する声を目にする。 細かい事実関係は当然わからないけれど、どんな理由があっても差別は差別で、その「擁護するつもりはありませんが」こそが、差別の温存に加担してきたのではないか。
差別的言動をした人がそのまま何の指摘もされずに何もせずに政治家や企業役員など影響力のある立場にい続けられるということがとても怖い。そういう人がトップにい続けられる組織は、どんな政策を作るのか。どんなサービスを作るのか。差別をそこまで重要視してませんってメッセージ。
えいなかさんの「ケアの欠如な放棄は加害」の記事やツイート、本当にハッとした。関係性を築くことはケアをし合うこと。ケアをしあうことで関係性は成り立つため、どちらかがケアをしてどちらかがケアをしない、という役割分担は成り立たない。ケアを放棄している人との関係性を維持する必要はない。
本来は制度がおかしかったり、社会の構造に問題があるけれど、マクロなレベルでは変えていくアプローチをしながら、一方でミクロなレベルでは今の構造で「うまくやる」方法を被支援者にやってもらわざるを得ないことが沢山あって、この理想と現実の間の葛藤に苦しんでいる支援者がたくさんいる。
知的・発達障害に関わる専門家は身体障害についての解像度が低すぎるし、身体障害に関わる専門家はその逆だといつも思う。私もそうで、正直ここ数年でようやく自立生活運動やその歴史についての解像度がかなり上がった。広く浅くではあるけれど、「障害」について語る以上、やはり知っておくべきと思う
二分の一成人式も、行事で親に感謝するセリフも、父の日母の日の作品も全てやめた方が良いと思う。「家族は感謝すべき存在」と押し付けるべきではない。 twitter.com/FoxKozure/stat…
ワンオペはほんとあり得ない。退院してからもしばらくはパートナーにおんぶにだっこになると思う... 赤子と私のお世話と考えると、本当はせめて産後一ヶ月はパートナーと+二人ぐらい動ける大人がいた方が良いのでは...とか思う。
なぜいのちの電話の相談員がボランティアなのか。介護職や保育士などの対人援助職の給与が低いのか。どう考えてもおかしい。
日々自分がいろんなものに依存して、頼って生きていることをどこまで知っているか、とか、「移動する権利」を当たり前に享受できる特権があることをどこまで知っているか、なのかな。「自立せよ」の呪縛が強ければ強いほどしっくりこないのかな。
女性や障害者など、属性に対する憎悪が引き起こす暴力、絶対に許してはならないと大声で表明したい。 #StopFeminicides そしてヘイトクライムに理解を示す人が大勢いる、それを引き起こしている構造に対して自分はどう働きかけたらいいのかを考えたい。
障害のない人仕様の社会において、その人にとっての社会的障壁はなにか。その社会的障壁を解消するためになにができるかを合意形成する。勝手に「配慮」するのは合理的配慮ではない。
再読中。 「平等について語る会話が「私は苦しいけど、あなたは楽だよね」という争いになっては、解決策を見出すことは難しい。そのかわりに、「あなたと私を苦しめる、この不平等について話し合おう」と共通のテーマについて語るべきなのである。」p.36
「小山田氏のようにいじめや虐待、差別行為を行って、その深刻な問題に気づかないということは、彼個人の問題だけではなく、日本の教育システム全体に問題がある。」 「小山田圭吾氏の報道」に関するDPI日本会議声明 | DPI 日本会議 dpi-japan.org/blog/demand/20…
「一度休むとサボり癖が...逃げ癖が...」って言うけれど、「いつ休んでもOK」という安心感があるから頑張れる人がたくさんいる。
講演や研修では、ここの共通理解のために社会モデル、特権、インクルージョンの概念を説明するのだけど、「バリアフルレストラン」の取り組みをいつも紹介している。いかに「レストラン」が車いすユーザーではない二足歩行者を中心としたつくりになっているかがよくわかる。youtube.com/watch?v=JnBS4Y…
私も本当に気をつけなければならない、と思う。パートナーに全てを任せて自分は仕事だけ、とならないように。気付かぬうちにこの構造に加担してしまう。
とってもわかりやすい社会モデルの記事! “障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える——バリアフリー研究者・星加良司さん | こここ co-coco.jp/series/study/s…
ヘイトクライムを「理解できる」と対象となった属性の人が見れる場で表明することがその属性の人にどれだけの恐怖を植え付けるのか。それにも関わらずその言葉を表明する人が多いと言う実態。
「難しいことはわからないけど人生楽しもう」とか「無い物ねだりしないで今あるものに感謝して」とかいうメッセージには本当に要注意。
最低限、こういう環境が整ってからのキャリアアップ支援では???
いわゆる「エリート」な立場にいる人の「マイノリティは何も努力せずに権利ばかり主張する」的な言動は、このような呪いからも来ているのでは、と感じる。もちろん知識として知らない、というのもあるが、感情として「自分は頑張ってここまできたのに」があるのかな、と思ったりする。どうなんだろう。