野口晃菜 Akina Noguchi(@akinaln)さんの人気ツイート(リツイート順)

【書籍がでます!】 インクルージョン研究会あぜみのメンバーを中心に当事者、実践者、研究者総勢26人でつくった書籍が来月発売されます! 「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育-誰のことばにも同じだけ価値がある」 amzn.to/3QSOrIe
「頑張れないこと、努力できないこと」で自分や周りを責めていないか。「努力が足りない」と勝手に決めつけていないか。努力ができない人は最低限度の生活が送れなくて当たり前、と思っていないか。無自覚にそういう意思決定をしていないか。そういう支援や教育をしていないか。
パートナー氏「稼いでこいとか言われないから楽。ジェンダーバイアスから自由になりたい」そういう男性もだいぶ増えてきているのでは、と思う。「稼いでこい」と言われない社会のためには、女性も平等に収入が得られるように、ジェンダーによりキャリアが経たれない仕組みやケア役割の価値をあげること
あと、一人の人の中にマジョリティ性とマイノリティ性が両方あることや、どんなに「良い人」でも加害性を持っていること、どんなに「嫌な人」でも人権があること、とかの共通理解もとても難しい。
マイノリティ属性が受けている差別とそれを生み出し維持している構造についてマジョリティ属性の人が学ぶことによって、実はマジョリティ属性の人も自分自身の努力不足だと思っていたけれど社会の構造により抑圧を受けていたことに気づく、ということが多いと思う。ここについて掘り下げたい。
今のところ必要だと思うのは、 ・最低三ヶ月のパートナーの育休 ・入院中は母子同室ではなく家族同室、家族で赤子のお世話の練習 ・妊婦健診も入院費も無償 ・産後1ヶ月はなにかあったときに駆けつけられる大人が+2人 ・その間の金銭的保障 ・24時間助産師さんに相談できる仕組み 他にあるかな
2019年から小中高教員免許において特別支援教育が必修となり、私はその授業を担当しているが、「社会が健常者仕様に作られていることに気づけてよかった」「この授業で初めて障害について考えた」「特別支援学校の免許取得を検討したい」「特別支援教育コーディネーターになりたい」との学生の声嬉しい
それぐらい、支援する・される関係性は、危ない。「誰かを救いたい」という善意や正義感はすぐに支配に置き換わる。「よかれと思って」虐待や暴力に発展する。
「人と人との間には、個々人の考えや努力に関わらず、すでに差別構造による格差がある」だから「人と人との関係性は基本対等ではなく不均衡」という前提を共有することはとても難しい。権力がある立場にいる人ほど、「人と人は対等である」「個人の努力次第」と考えがちの印象。
配偶者がいなくて一人暮らしでも四六時中仕事ばかりだったら、確実にセルフネグレクト状態になる。一時期の私はそうだった。持続可能ではない。でもそうしないと仕事を任せられなかったり評価されなかったりする場合、そうならざるを得ない。
多様な人がいることを知ること、人はそれぞれ違うことを知ること、その中でよくわからない人とも地域でお互いの人権と自由を尊重し合って共生していくこと。学校だからこそ学べることなのではないのか。
自閉症スペクトラムの子どもを「外国人」に例えている書籍。著者は「わかりやすさ」をもって例えたのだろうけど、どちらの差別も偏見も助長している。 twitter.com/_shiopan/statu…
「人権について「権利と義務がある」というときは、「個人に権利がある」ことに対し、「国にはその権利を守る義務がある」という関係を意味しているのです。日本ではその点が理解されていないように思います。」 imidas.jp/jijikaitai/f-4…
ハラスメントやいじめ、「いじられキャラ」や「下ネタOKキャラ」を演じなきゃサバイブできなかった人たちとそれを利用していじりまくる人たちの構図、それに違和感を持った人が批判したらバブられる同調圧力や批判をしたら職を失うかもしれない組織の恐怖政治...本当によくあるある。
学校教育の役割。各教科の学力をつけることならば、塾みたいに全てレベル分けしてその子に合った学び方で効率よく学べるようにしていけば良い。それも大事かもしれない。今の学校では、多様な人がいること、いろんな事情や価値観があること、その中でどう共存するのか、を学べるか。大事にされてるか。
女性であり、障害のある方であることで受ける複合的な抑圧。ひどい。 駅アナウンスによって障害女性が痴漢・ストーカー被害にあっています! 国交省から鉄道事業者に改善を求める事務連絡が出されました。 | DPI 日本会議 dpi-japan.org/blog/workinggr…
マイノリティ属性の中にもさらに主流とそうでないものがあって、だこらこそ交差性の視点は本当に大切。フェミニストが「このコミュ障が」って言っていたり、障害者運動の中で女性差別があったり。特に対人コミュニケーションの困難さに対する差別はめちゃくちゃ難しい。
なぜかすごく拡散されているので確認しておくと、 ・人間誰もがマジョリティ性とマイノリティ性を持っている ・マジョリティ性が高ければ高いほど自分の特権に気が付きづらい など前提に言っています。 出口先生の論考を参考にどうぞ。 co-coco.jp/series/study/m…
そしてこの「偏差値の高い高校」の高校生たちが大人になって、官僚になり、企業の役員になり、学校の先生になる。意思決定をする立場になっていく。
「多様性」を謳いながら、これまで差別行為をしてきた人たちを起用しその説明もなく、性的マイノリティ差別をしてきた人の作った曲を使い、テレビでは手話通訳がなく、セネガル出身のアーティストの開会式出演を拒否。「安全安心」を謳いながら全くバブルにはなっていない。私はこの状況を楽しめない。
過酷な労働環境やハラスメントが放置されている状況が問題で休職や離職が減らないのに、「ストレス耐性がない」と労働者側の問題にされて、休職や離職への対策として「ストレスマネジメント研修」が行われたりする現象よ。
社会モデルを知らないと合理的配慮は「障害に応じて配慮をする」というざっくりとした理解になってしまう。そもそも合理的配慮が必要な理由は社会が障害のない人を中心に作られているが故に社会的障壁があるから、それを解消するために必要。そのため、合理的配慮を検討するには、
文科省の会議でも意見をしたが、「専門性が足りない」「専門性を身につけるべき」とずーーっと、繰り返されている。一人で全てができるようになるのは無理。必要な専門性を定義して、教師以外の人も含めたチームがどうしたら機能するか、そのための仕組みや条件を検討すべき。
そして、支援者自身が雇用者ー被雇用者間で抑圧を受けていると、その抑圧は被支援者に向いてしまう。根本解決のためには、ケア職全体の賃金を上げること、労働環境の改善、そして第三者機関の監査を機能させる、などが必要では。
加害者を死刑にしてそれで終わりでいいのか。「悪者」がいなくなればいいのか。加害者の罪は本当に加害者だけのものか。 #死刑制度に反対します