「ソーシャルスキル」、マジョリティの文脈に合わせるためのスキルを習得することを目的として果たして良いのか。社会の規範に合わせた行動を「正しい」と位置付けて良いのか。自立活動ではこういうSSTや○○トレーニングが多くなりがちで、自己理解やセルフアドボカシーを学ぶ機会が少なくなりがち。
今日はこちら。 「学校は『みんな仲良く』と指導してきた。しかし、みんなと同じでなくても『異常』に見えることがあってもかまわないと、果たして認めてきただろうか。自由なありようや意見に対し、それらが表現されるチャンスを与えてきただろくか」p.42 amzn.to/3Zn5tnm
税金の使われ方、よっぽどひどい使われ方しているところあると思うのだけど、「若年女性支援」の領域にこれだけ攻撃が集中している背景にいろんな構造が見えてしんどいな...
Colaboさんのツアーに参加した時、若年女性がおかれている状況を知り、活動の意義を肌で感じた。どの支援団体だって完璧じゃないし、発信の方法や考え方など賛同できないこともあるけれど、これだけ執拗に攻撃をされ続けている状況は絶対におかしいと思う。
マイノリティの発信に対して「気にし過ぎ」「もっと冷静に発言した方が建設的」と言えてしまう特権性よ。
・「気にし過ぎ」 ・「もっと冷静に」 ・「もっとポジティブに」 ・「文句ばかり言っても仕方ない」 ・「もっと戦略的に」 と他者の発言に対して思った時は、自分とその人との社会的な立ち位置を踏まえているか、関係性に不均衡さはないか、チェックすることにしている。
アンガーマネジメント、SST、CBT、マインドフルネス、などのアプローチ、気を付けないと社会の構造的な問題を個人化して、自己責任論を強化してしまう。
異次元に的外れな施策。 賃金上昇に向け 産休・育休中の“学び直し”を「後押し」岸田総理   news.tv-asahi.co.jp/news_politics/…
問題の原因は個人にある、という個人モデルの施策ばかり出してくる。どうしても個人を頑張らせたい。個人が頑張れば解決すると思っている。本当に的外れ。
このような意思決定をしている人たちがいかに子どもを産む一連のプロセスに関わっていないか、育児をしていないかがよくわかる。関わってたらこんな意思決定できない。
育休後のキャリア保障にはリスキリング、職場のハラスメントで鬱になった人には就労支援、子育て負担が高い保護者にセルフケア、不登校状態の子どもや障害のある子は別の場で少しでも適応するための訓練を、など... 問題の要因が環境の側にあるにも関わらず、問題が個人化されている。
産後、いろんな人に「キツいよ」と言われてたけどほんとキツい。会陰切開の傷の痛みで少し動くだけで激痛、便秘からの痔疑惑でトイレの度に痛い&恐怖、母乳出すためのマッサージや出ない時のストレス、出たら出たでめっちゃ張って痛い、介護が必要なレベルでは...その中で慣れない赤子のお世話。
ワンオペはほんとあり得ない。退院してからもしばらくはパートナーにおんぶにだっこになると思う... 赤子と私のお世話と考えると、本当はせめて産後一ヶ月はパートナーと+二人ぐらい動ける大人がいた方が良いのでは...とか思う。
今のところ必要だと思うのは、 ・最低三ヶ月のパートナーの育休 ・入院中は母子同室ではなく家族同室、家族で赤子のお世話の練習 ・妊婦健診も入院費も無償 ・産後1ヶ月はなにかあったときに駆けつけられる大人が+2人 ・その間の金銭的保障 ・24時間助産師さんに相談できる仕組み 他にあるかな
最低限、こういう環境が整ってからのキャリアアップ支援では???
よく出産の立ち会いをした男性から「女性は痛みに耐えられてすごい」とか「男には耐えられない痛み」とか聞くけど、まじ、普通にめちゃくちゃ痛いし、耐えられないし、もう無理って思いながらだから余計なこと言わないでくれ、と改めて思う。
まじでそういう認識のまま少子化対策とか子育て支援とかの意思決定をしないでくれ。
学校で何かしら問題があると「子どもが多様化している」とか「教師の専門性が足りない」と要因分析を細やかにすることなく問題が個人化されて、一人ひとりの能力をつけることが施策として打たれる。その繰り返し。 心理・福祉の専門性持った教員の養成を kyobun.co.jp/news/20230130_…
文科省の会議でも意見をしたが、「専門性が足りない」「専門性を身につけるべき」とずーーっと、繰り返されている。一人で全てができるようになるのは無理。必要な専門性を定義して、教師以外の人も含めたチームがどうしたら機能するか、そのための仕組みや条件を検討すべき。
車椅子ユーザーでない人は事前に確認する必要もなく、態度が悪くても、感謝をしていなくても、当たり前にレストランを利用できる特権があることに気づかせてくれる行動と発信。 twitter.com/yudachan0908/s…
「権利」の話をしているのに、「態度」の話になってしまうのは、権利について知る機会がいかにないか。権利は義務とセット、とか、人権教育で「思いやり」と問題を個人化してきたこと、構造の問題を個人化することが教育、メディア、ありとあらゆるものに浸透してしまっているか。
教育は大切なのだけど、気をつけないと構造の問題を個人化することにつながる。差別禁止の制度を作らずに「差別をやめよう」と教育だけで解決しようとしたり、同性婚ができる制度をつくらずに「性的マイノリティのことを理解しましょう」と教育だけで解決しようとする。
研修で大切にしていることは、構造の問題を提示すること。特に教職員研修はともすれば自分が頑張れば全て解決する、と思わせてしまう研修になりやすいが、個人でできる工夫、学校でできる工夫、自治体や国がやるべきこと、をセットで提示する。個人や学校で難しいことはどんどん声をあげましょう、と。
あと、やはり障害者差別解消法ができたことはかなり大きい。差別的取り扱い禁止や合理的配慮の提供義務などの法律があるから、教育が活きる。制度なしではなかなか難しい。LGBTQ差別禁止法もはやくつくるべき。「理解増進」ではなくて「差別禁止」であるべき。
仕事のことを四六時中考えることができたり、休みだろうがなんだろうが電話に出られたりするのは、それができるようにケアしてくれる人がいるから。そういう人だけが評価されるから、意思決定層には配偶者のいる男性ばかりなのに、「能力の違い」と言われる。企業でもあるある。