感情をどう扱うか?ってあまり学ばない。少年院の子達と話していると、特にネガティブな感情の扱い方を知らなくて、溜め込んだり、なかったことにしている人たくさんいる。ネガティブな感情は悪くない。感情を観察して自分の大事にしたい価値に照らし合わせて行動をするの大事ってプログラムやってる。
これまで特別支援教育を受けた経験のある人に「どんな先生が良い先生だった?」と聞くと、多くの人が「話を聞いてくれる先生」と。「発達障害の専門性が身に付いていないから支援がうまくいかない」と思われがちだけど、その前にまず話を聞くのが大事。専門性はその上でやっと活きるのではと思う。
マジョリティ属性にとっての当たり前がマイノリティ属性にとって当たり前じゃないという話をすると「自分にとっての当たり前がそうじゃない人もいると知りもっと日々感謝したい」って感想、講師としてはそこからどうやって自分の特権を使って差別をなくすか?って考えたくなるような研修や講義せねばと
合理的配慮の話すると「その子自身が特別扱いを嫌がります」っていうのだけど、それは、全員が同じペースで同じ方法で同じ内容を学ぶことが当たり前になっているからで、つまり教える側がそう教えているからなんだけど、「子どもが受け入れたがらない」ってなってしまう。
民間機関が本来政府のやるべきことを肩代わりしていることがものすごくたくさんある。「本来国の役割ですよね?どうしていくつもりですか?」ってちゃんと言っていくのほんと大事。
今こそ全ての障害に関わる仕事をしている人たちにこの本を手に取ってほしい。 seikatsushoin.com/books/%E6%AE%B…
監修しているNHK番組「でこぼこポン!」が来週27日(月)・28日(火)9:30から放映されます!さまざまな困りごとへの解決策を発明する番組。 nhk.jp/p/ts/K7MMVMLLM… #Eテレ #鳥居みゆき #河合郁人 #猪股怜生
昨日の全日本フィギュア、本当にすごかった。 どこかで宇野昌磨選手についてステファンコーチが「解決策を見つけようとしても原因が見つからない時がある。そういう時は無理して解決しようとしないで心の火が燃えるのを待つ。すると自然と解決する」みたいなこと言っていて、あー本当にそれ!と思った
最近気がついたのは、「自分は差別について深く考えたことがなかった。そこまで考える必要性がなかった。」ということを受容するまでが一番大変で勇気のいる一歩ということ。それが受容できるためには心理的安全性が保たれている場と時間が必要ということ。
その場は誰が用意すべきなのかというと、教育者としてのアイデンティティを持ちマジョリティ特権を多く持つ私のような立場の人なのだろう。「抑圧を受けている当事者が用意すべきだ」という主張にはまったくもって賛成できない。私と同じく教育者のアイデンティティを持つ人たちと一緒に作戦会議したい
二分の一成人式も、行事で親に感謝するセリフも、父の日母の日の作品も全てやめた方が良いと思う。「家族は感謝すべき存在」と押し付けるべきではない。 twitter.com/FoxKozure/stat…
これは障害でもよくある話で「障害という言葉で括る方が差別だ」とか「マイノリティとマジョリティに分けることが差別だ」などよくあるのだけど、それは障害やさまざまなマイノリティ属性の人がいることが前提の社会にならないと、難しい。格差を見えなくしてしまう。 twitter.com/tatsu_furu0220…
過酷な労働環境やハラスメントが放置されている状況が問題で休職や離職が減らないのに、「ストレス耐性がない」と労働者側の問題にされて、休職や離職への対策として「ストレスマネジメント研修」が行われたりする現象よ。
めちゃくちゃこれまでよく耳にしてきた、組織の問題点を指摘したときの「じゃあお前がやれよ」的メッセージ。あとは「じゃあ誰がやるの」と詰められたり。問題点を指摘する人がなぜかいつも詰められたり、「他の人より頑張ること」を強いられる。そうして、だんだん誰も指摘しなくなる。
マイノリティ属性が受けている差別とそれを生み出し維持している構造についてマジョリティ属性の人が学ぶことによって、実はマジョリティ属性の人も自分自身の努力不足だと思っていたけれど社会の構造により抑圧を受けていたことに気づく、ということが多いと思う。ここについて掘り下げたい。
「私だってつらい!」とどちらがより抑圧を受けているか競争をして「我慢をしている人が偉い」ではなく、私の辛さもあなたの辛さも生み出している背景にあるその構造をどうしたら変えていけるのか?を考えたりそういう機会作っていくべきなのはそれについて考える特権を持っている自分の役割だと思う
再読中。 「平等について語る会話が「私は苦しいけど、あなたは楽だよね」という争いになっては、解決策を見出すことは難しい。そのかわりに、「あなたと私を苦しめる、この不平等について話し合おう」と共通のテーマについて語るべきなのである。」p.36
差別や格差をなくすために必要なのは「相手の立場に立つ想像力」とよく言われるけれど、相手がどんな立ち位置でどんな風景が見えているかなんて「想像力」ではわからない。社会における構造的な格差を知識として知り、自分の立ち位置を他者の立ち位置と相対化して捉える機会が必要。
無意識下のバイアスやマイクロアグレッションについて講演や研修をすると「そんなこと言われたら誰かとカジュアルに話せなくなる」と言われることがしばしばある。「これまで自分としては『カジュアルに』話していたつもりが差別発言をしていた可能性があることは、今日ご認識いただいたかと思います続
じゃあ、◯◯さん(質問者)は差別的発言をすることでしか相手と関係性を築けないか?というとそんなことないと思います。それに、例えばお笑いでも昔は差別的なことが当たり前でしたが、今はそうではないお笑いも増えてきています。そうやって関係性の築き方も進化させられるのではないでしょうか?」
どこの自治体に行っても同じ課題。不登校の子どもたちの数も支援学級の子どもたちの数も膨れ上がっている。通常教育そのものを多様な子どもがいることを前提としたものに変えて行かないと、そこに「乗れない」子たちがどんどん増えていく。
障害のある人への強制不妊手術というあり得ない差別行為を国が主導してやっていた責任を、国は認め、賠償を支払うべき。上告をするなんてありえない。断固抗議します。jiji.com/jc/article?k=2… #優生保護法裁判最高裁への上告は人権侵害の上ぬり #優生保護法裁判国の最高裁上告に抗議します
確実に属性による格差とそれを作り出している構造があるにもかかわらず、それに目を向けずに、「みんな違ってみんないい」「いろんな意見があるよね」「みんなマジョリティでマイノリティ」だから「みんなで努力して頑張ろう」みたいなのは本当になくしたい。
「障害の有無とか関係ないよね!」と障害のない人が言ったり、男性が「男女なんて関係ないよ」と言ったりするのも同じかと。
えいなかさんの「ケアの欠如な放棄は加害」の記事やツイート、本当にハッとした。関係性を築くことはケアをし合うこと。ケアをしあうことで関係性は成り立つため、どちらかがケアをしてどちらかがケアをしない、という役割分担は成り立たない。ケアを放棄している人との関係性を維持する必要はない。