ご本人は反差別行動をしているつもりが、その言葉が「読解力ないですね?」「病院行った方がいいのでは?」「IQ大丈夫ですか?」とかもあったりして、しんどい。
いわゆる「エリート」な立場にいる人の「マイノリティは何も努力せずに権利ばかり主張する」的な言動は、このような呪いからも来ているのでは、と感じる。もちろん知識として知らない、というのもあるが、感情として「自分は頑張ってここまできたのに」があるのかな、と思ったりする。どうなんだろう。
一人ひとりの声を聞かずに、「障害がある子は別の学級や学校で学ぶべき」と決めつけていないか。「障害がある人は施設の方が安心して暮らせる」と決めつけていないか。カテゴリーだけ見て、その人のことを知らないのに決めつけていないか。
「努力をするべき」「頑張れば報われる」の呪いは子どもの時からほとんどの人にしみついているんだと思う。そういう呪いから、「自分は頑張らずに権利ばっかり勝ち取ろうとする、文句ばっかり言う」みたいな言葉が出てきてしまうんだろうか。
「まあでも仕方ないよね」とか「みんなそれぞれ頑張ってるし」とか「明るくポジティブにいこうよ!」って私は思えない。そういう雰囲気が差別を温存してきたと思うから。私はこの状況を許さない。
増えてきたのでこのツイートの意図を解説しておきますが、意思決定をする立場にいる人ほど社会課題の解像度が低くなる学校教育の構造についての問題提起です。障害の有無のみに関わることではないし、安易に「障害のある人とない人が一緒に学べば良い」ということのみを言いたい訳ではありません。
アファーマティブアクションについて現在優遇されている属性の人が「女性というだけで『力が足りない人』が採用されたらどうするのか?」とか「採用されたとてその人がその属性代表ということにはならないじゃないか?」とか、「ほら、女性だから支持しなよ」とか。しんどすぎる。
今日はこちら。 「学校は『みんな仲良く』と指導してきた。しかし、みんなと同じでなくても『異常』に見えることがあってもかまわないと、果たして認めてきただろうか。自由なありようや意見に対し、それらが表現されるチャンスを与えてきただろくか」p.42 amzn.to/3Zn5tnm
学校や福祉施設、そして社会全体で起きているありとあらゆる問題に対して、「文句ばっか言ってないでポジティブに捉えようよ」「あなたの捉え方次第だよ」みたいな風潮は自己責任社会を強化する。おかしいことには「それは違う」と声を上げる大切さよ。
合理的配慮はプラスαすることではなくて、マイナスをゼロにすること。多数派の障害のない人たちと同じスタートラインに立つために必要なこと。これまで障害のない人たちが「特別扱い」うけていたことを、障害のある人も同じくらい「特別扱い」すること。
不登校の要因、相変わらず要因のそもそもの選択肢が医学モデル的。 なぜ子どもは不安なのか、無気力なのか。なにがそうさせているのか。学校の要因分析を。今の学校が子どもにとってどんな場所かを示す明確なフィードバック。 twitter.com/asahi_school/s…
あたりまえの権利があって、ようやく「努力」はできるのだろうし、そしてその上で努力をしようがしまいが、それはその人のチョイス。それも努力や頑張りなんて他者に評価できない。他者に強いられるものでもない。
とってもわかりやすい社会モデルの記事! “障害”ってそもそも何だろう? 困難の原因を「社会モデル」から考える——バリアフリー研究者・星加良司さん | こここ co-coco.jp/series/study/s…
ABEMA Primeに出演の打診があったときに、「マイノリティ当事者に対する差別的な発言をされるコメンテーターがいたり差別を煽る番組構成だったら出ることはできません」と伝えた。そういう番組構成やコメンテーターの起用を今後も続けるのであれば、今後は断るべきか、と思う。
「私だってつらい!」とどちらがより抑圧を受けているか競争をして「我慢をしている人が偉い」ではなく、私の辛さもあなたの辛さも生み出している背景にあるその構造をどうしたら変えていけるのか?を考えたりそういう機会作っていくべきなのはそれについて考える特権を持っている自分の役割だと思う
構造によって生み出されている特権やそれによる関係性の不均衡さを自覚していたら「フラットに対話」「属性なんて関係ない」「比べる必要なんてない」なんてなかなか気軽に言えない。
講演や研修では、ここの共通理解のために社会モデル、特権、インクルージョンの概念を説明するのだけど、「バリアフルレストラン」の取り組みをいつも紹介している。いかに「レストラン」が車いすユーザーではない二足歩行者を中心としたつくりになっているかがよくわかる。youtube.com/watch?v=JnBS4Y…
マジョリティが「大事なことだけどお金がないから仕方ない」と当事者に言うことは「あなたのために社会はお金を使えないから権利が保障されなくても仕方ない」と言っているようなものだということを認識しなければならないと思う。
「どれだけお役所的で、動きが悪くてイライラしたとしても、「自分たちのほうがよっぽどうまくやれる」と思っても、「公的機関に仕事をさせる」というところは守らないといけないと思います。批判してもよいけど代わりにやってはいけない。」 webronza.asahi.com/national/artic…
いつの時代だよ... ありえない。 障害者の結婚、不妊処置が条件 北海道・江差の福祉施設(共同通信) news.yahoo.co.jp/articles/4f2ae…
差別構造を維持して再生産する言動をスルーせずに批判することと、自分も再生産している可能性があることを忘れずに更新し続けること、両方とても大事だが、両方続けるのはなかなかに難しい。
日々自分がいろんなものに依存して、頼って生きていることをどこまで知っているか、とか、「移動する権利」を当たり前に享受できる特権があることをどこまで知っているか、なのかな。「自立せよ」の呪縛が強ければ強いほどしっくりこないのかな。
参考までに。「「自己責任」と「自己肯定感を上げるべき」は根底でつながっている」 co-coco.jp/series/study/s…
女性であり、障害のある方であることで受ける複合的な抑圧。ひどい。 駅アナウンスによって障害女性が痴漢・ストーカー被害にあっています! 国交省から鉄道事業者に改善を求める事務連絡が出されました。 | DPI 日本会議 dpi-japan.org/blog/workinggr…
「顔見知りの程度や、駅員さんの優しさに依存する仕組みではなく、「いつでも目の前の電車に乗れる」そんなJRの仕組みが必要なのです。」 「JRも他の鉄道会社と同様に、車いすユーザーが何本も電車を見送らずに電車に乗れる駅間連絡の仕組みを作ってください!」 chng.it/ctySTyBS