車椅子ユーザーでない人は事前に確認する必要もなく、態度が悪くても、感謝をしていなくても、当たり前にレストランを利用できる特権があることに気づかせてくれる行動と発信。 twitter.com/yudachan0908/s…
許せない発言。 他者や自分を「役に立つ」「役に立たない」のものさしだけで見てきた結果の発言なんだろう。 そのものさし、いろんな人の中にあってよく見え隠れしているし、教育の中でも植え付けられていると感じる。「役に立つ人の方が偉い」「できる人の方が偉い」「税金納めている人の方が偉い」
マジョリティ特権のある人がマイノリティ属性がたくさんいる場で「分断が起こるから批判はやめて対話しよう」的なメッセージを発することの危険性よ。そんなこと言ったら声上げられなくなる人がたくさんいる。自分のマジョリティ特権をどう使うのか。
マイノリティの発信に対して「気にし過ぎ」「もっと冷静に発言した方が建設的」と言えてしまう特権性よ。
「インクルージョンについて学ぼう」ってなると大体「障害」とか「LGBT」とか「外国にルーツのある人」とかマイノリティ属性について学ぶのだけど、それだけだと「ふーん、大変そう」で終わるので、自分自身の社会での立ち位置やこれまで無自覚に受けてきた恩恵を学ぶのがセットで必要だと思う。
パートナー氏「稼いでこいとか言われないから楽。ジェンダーバイアスから自由になりたい」そういう男性もだいぶ増えてきているのでは、と思う。「稼いでこい」と言われない社会のためには、女性も平等に収入が得られるように、ジェンダーによりキャリアが経たれない仕組みやケア役割の価値をあげること
まじでそういう認識のまま少子化対策とか子育て支援とかの意思決定をしないでくれ。
育休後のキャリア保障にはリスキリング、職場のハラスメントで鬱になった人には就労支援、子育て負担が高い保護者にセルフケア、不登校状態の子どもや障害のある子は別の場で少しでも適応するための訓練を、など... 問題の要因が環境の側にあるにも関わらず、問題が個人化されている。
「自分がやられて嫌なことはやっちゃだめだよ」ってよく言われがちだけど、「自分がよくても相手は嫌なことはある」「相手が嫌がることはやらない」こそ大事では。自分がやられてよくても相手はいやなことは往々にしてよくある。逆もそうで、相手がよくても自分が嫌なことはよくある。
どこの自治体に行っても同じ課題。不登校の子どもたちの数も支援学級の子どもたちの数も膨れ上がっている。通常教育そのものを多様な子どもがいることを前提としたものに変えて行かないと、そこに「乗れない」子たちがどんどん増えていく。
今のところ必要だと思うのは、 ・最低三ヶ月のパートナーの育休 ・入院中は母子同室ではなく家族同室、家族で赤子のお世話の練習 ・妊婦健診も入院費も無償 ・産後1ヶ月はなにかあったときに駆けつけられる大人が+2人 ・その間の金銭的保障 ・24時間助産師さんに相談できる仕組み 他にあるかな
「一度休むとサボり癖が...逃げ癖が...」って言うけれど、「いつ休んでもOK」という安心感があるから頑張れる人がたくさんいる。
これは幼稚園・保育園から始まってて、「甘やかしたら小学校に入ったときこの子が困る」と。一人一人の先生が悪いとか言いたいのではなくて、それが当たり前になってしまっている。
Colaboさんのツアーに参加した時、若年女性がおかれている状況を知り、活動の意義を肌で感じた。どの支援団体だって完璧じゃないし、発信の方法や考え方など賛同できないこともあるけれど、これだけ執拗に攻撃をされ続けている状況は絶対におかしいと思う。
このような意思決定をしている人たちがいかに子どもを産む一連のプロセスに関わっていないか、育児をしていないかがよくわかる。関わってたらこんな意思決定できない。
じゃあ、◯◯さん(質問者)は差別的発言をすることでしか相手と関係性を築けないか?というとそんなことないと思います。それに、例えばお笑いでも昔は差別的なことが当たり前でしたが、今はそうではないお笑いも増えてきています。そうやって関係性の築き方も進化させられるのではないでしょうか?」
「ソーシャルスキル」、マジョリティの文脈に合わせるためのスキルを習得することを目的として果たして良いのか。社会の規範に合わせた行動を「正しい」と位置付けて良いのか。自立活動ではこういうSSTや○○トレーニングが多くなりがちで、自己理解やセルフアドボカシーを学ぶ機会が少なくなりがち。
【書籍がでます!】 インクルージョン研究会あぜみのメンバーを中心に当事者、実践者、研究者総勢26人でつくった書籍が来月発売されます! 「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育-誰のことばにも同じだけ価値がある」 amzn.to/3QSOrIe
10代の障害のある子ども向けの自分の権利や社会資源に関する本欲しい。 ・合理的配慮の意思表明の仕方 ・障害者手帳ってなに? ・グループホーム、就労支援、移動支援などの社会資源の紹介と利用方法 ・虐待防止法、雇用促進法、差別解消法の解説 出版社の方!一緒に書きたい方!募集!
「権利」の話をしているのに、「態度」の話になってしまうのは、権利について知る機会がいかにないか。権利は義務とセット、とか、人権教育で「思いやり」と問題を個人化してきたこと、構造の問題を個人化することが教育、メディア、ありとあらゆるものに浸透してしまっているか。
経済的に余裕がある場合は家事をアウトソーシングするのかもしれない。とても安い賃金で。いずれにしても家事というケア職を担う人が土台にいるからこその「生産性」なのに、ケア職の社会的価値はものすごく低く、ケア職の上に乗っかっている人ばかりが評価される。
障害について無知であり、かつマジョリティとして自分が普段当たり前に受けている恩恵に全く無自覚な発言。この立場でこの発言をすること自体が障害のある人への抑圧。ありえない。 <国会バリアフリー>介助制度ないと働けないのか 維新・松井代表が発言tokyo-np.co.jp/article/15300
多様な人がいることを知ること、人はそれぞれ違うことを知ること、その中でよくわからない人とも地域でお互いの人権と自由を尊重し合って共生していくこと。学校だからこそ学べることなのではないのか。
マジョリティは当たり前に保障されていて、マイノリティは保障されていない権利について、マジョリティが「賛否」を語ることはめちゃくちゃ暴力的。あたかも中立的な立場のようにメディアも取り上げるけど、それは差別構造を強化している。同性婚しかり、インクルーシブ教育しかり。