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園の先生「子どもと言語指示だけで関わってきました。言葉数を増やせば分かってくれると思ったけど言葉数が増えれば増えるほど子どもたちは混乱することが。構造化や視覚化をすれば言葉少なでも子どもたちは分かってくれるんですね」私「そうです。目指すはノッポさんですね」先生「それ誰ですか?」
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通級を退職校長の居場所づくりに利用しないで欲しい。
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昔のことだけれども、教育相談員の中には子どもに無理やり自己開示させたがる人もいた。学校にも「子どもに自己開示させて当然」といった風土があるかもなあ、と気づいた。「さあ、正直に話してみて」ってよく使うけど、正直に話してその子が損することってかなりあると思うし。
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発達障害のお子さんの中には、勉強が出来ないのではなく、教科や内容に関して勉強のやり方を知らない場合がある。それで苦手と思い込んでいる。しかし自分に合った学習方法、効率的な学習方法を学ぶことで、出来るようになる子もいる。支援者と共に「自分に合った学び方を学ぶ」機会を持つことは大事だ
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レストランで子どもがメニューを選んだ時、つい私が「こっちも美味しそうだよ」と言ったら「そっちにして欲しいということ?それは誘導だよ」ときっぱり。普段子どもの選択を尊重しているつもりだが、そのように受けとる時もあるんだなと反省。子どもがちゃんと言葉にしてくれてよかった。
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就労している発達障害者の方々へのインタビューで、興味深いお話が。何人かの方から、支援の専門家に求めることとして「書籍に書いてあるような発達障害の基礎知識のようなことではなく、より具体的な助言が欲しい」「あいまいな共感や叱咤激励ではなく建設的なアドバイスを」など共通する内容があった
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ここ数年、就労支援で出会うのは、テレビなどに出演されている発達障害の中でも突出した強みがある人とご自身を比較して悩まれる方々だ。
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園巡回に行ったら年長さんたちがお月見の製作活動をしていた。導入で先生が「月の形が変わって細くなったり、丸くなったりするのはどうしてだと思いますか?」と難しい質問をした。ある子が「いろんな人に見てもらいたいから、がんばっておおきく、まるくなると思います」と答えていて微笑ましかった
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ある特別支援学級の先生が大切にしていることをお話してくれた。「日常の当たり前と思える生活も苦労している子どもたちです。いろいろ配慮しても、学校でうまくいかなくてイライラすることも多いので、子どもたちが次の日までそのイライラを持ち越さなくてすむようにまず心がけてます」ほんと、大切
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巡回先で、授業中ふらっと教室を出ていくお子さんと出会うことがある。中には医療機関から「この子は発達障害ではない。何の問題もありません」と言われてくることもある。そうなると先生方は「じゃあ、ちゃんとできないのは単なるわがままなんだ。厳しく叱ろう」と判断してしまう場合もあるんだよな
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先生が「分かった?」と聞くと子どもは分からなくても「分かりました」と答えるのは、学校で「指示は一回できくこと」という考え方が根強いのとも関係があると思う。子どもが「分かりませんでした」といったら「ちゃんと聞いてないからだろう!」と怒られることは多い。だから分かったふりをする場合も
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数を数える、数を書く、数の質問をするのが好きな4歳の子。数以外の会話は難しく、先生が例えば「トイレに行きたいの?」と聞くと「トイレに行きたいの?」とかえしてくる。ところが先日の巡回で一緒に数を数えて遊んでた時に「あれ、いくつまで数えたっけ?」と聞いたら「わかんない」と言ってくれた
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「発達障害のある学生」というとすぐ勉強が出来ないものと決めつける人が時々いる。確かに勉強で苦戦している学生も多いけれども。気になるのは「勉強のできる発達障害の学生さんもいます」というと、途端に「それは診断が間違っているんだよ」という人。
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「あの子と同じグループにしないでくれ、なんて言うのは小さいうちだけ。高校くらいなると無くなりますよ」と聞かされてきたが、いろいろな学校を巡回すると生徒間、学生間でもけっこうある話だった。
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読書感想文を書くのが好きという子もいるのかも知れない。コンクールにチャレンジする子とか。でも親子共にしんどい思いをすることが多いんじゃないかな。特に夏休み後半の辛い記憶。国語の授業で感想文の書き方はあまり扱われない。感想の表し方をきちんと習っていないのに感想はよく求められる。
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ベテランの先生でも、これまで長年こだわってきた考え方ややり方のある先生でも、きっかけさえあれば子どもとの関わり方を変えてくれる場合があるのだ、とうれしくなった。その先生のまとう雰囲気もずいぶんやわらかくなっていた。
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学校の様々な刺激に敏感な子どもたちが、帽子をかぶったり、フードをかぶったり、あるいは首にタオルを巻いたり、それだけで少し安心して、苦手なことにチャレンジできる場合があるんだけれど、常識人の「理由はどうあれ部屋では帽子をとるのがマナーなんですよ」の一言でかたづけられてしまうのが残念
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通常学級でのある先生の授業を見学して。発達障害の子どもたちにも分かりやすい授業というのは、先生方の多くがイメージする「内容を簡単にする」ということではなく、一例として、場面場面でどこ(あるいは何に、誰に)にどのように注意を向ければよいか、が明確になっている授業なのだな、と感じた。
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勤務地域の異なる先生方から続けて同じ話題をうかがう。通常学級で十分学ぶことのできる子どもを支援級に転籍させるケースが多いという。その先生方は特別支援学級の重要性はご存知である。先生方が心配しているのは、子どものためというより学校側の都合で転籍させるケースが多くなっていること。
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発達障害のお子さんと関わる時には「あれもしてはいけない」「これもしてはいけない」と言われるので、専門的知識とずば抜けたセンスのある人でないと関われない雰囲気になっている。特別な人にしか支援できないのではなく特別支援を日常化したいが、特別支援がますます特別になっていくようにも感じる
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お子さん本人の困っていることと、先生が支援したいこと、保護者が心配していることがずれていることはある。かなり前だが、先生は対人関係の支援(SST的な)が必要と思い、保護者の方は給食時の配慮を望んでいた。お子さんに聞くと「授業が分からないのでそれが一番辛い」と教えてくれた。
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「努力したいが実際は難しいことがあるよね」はその授業では無いもの。だったら、最初から先生が「人はね、努力しないといけないよ。辛くても我慢するんだよ。分かったかな」と言って3分くらいで終わりにする方がいい。最初からその授業ではオチが決まってるんだから
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絵本のタイトル、正しくは「ちくちくとふわふわ」[CHICORA BOOKS(ちこらブックス)]でした。