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看護の先生から聞いた。ADHDの診断を受けている学生さん。忘れ物が多く、課題の提出はいつも遅れる。でも実習先では「患者さんにとてもやさしい」と評判だという。先生が「いろいろな知識や技術は教えられても、患者さんへの心配りは教えきれない。この学生さんにはセンスがあるんです」と話してくれた
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この学生さんは自分のADHDの特徴を理解し、ケアレスミスを防ごうといろいろ工夫しているそうだ。また先生が評価していたのは、この学生さんの質問力。分からないことをそのままにせず、確かめ、看護にいかそうとするその姿勢だという。これも教えごとではないかも知れない。
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先日の巡回で「あのお子さんは姿勢保持は苦手だけれど、実は先生のお話をよく聞いているし、考えていますよね」と伝えたが先生方からあまり反応がなかった。他の巡回の先生が「こうやると一発で姿勢をただせますよ」と言ったら先生方一斉にメモしていた。
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「発達障害のある学生」というとすぐ勉強が出来ないものと決めつける人が時々いる。確かに勉強で苦戦している学生も多いけれども。気になるのは「勉強のできる発達障害の学生さんもいます」というと、途端に「それは診断が間違っているんだよ」という人。
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ゼミ生(70歳代)のプレゼンテーション技術がどんどんレベルアップ。「大学院でこういう発表をするのよ」とご家族に言ったら「おばあちゃん、手伝うよ」と中学生のお孫さんがパワーポイント作成に協力してくれたそうだ。
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「孫もGIGAスクールとかなんとかでだいぶICTに慣れてきていろいろ教えてくれるんですよ」と言っていた。
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いつも困っているので自分の「困っている」状態というのがはっきりせず、「困ったことない?」と聞くと「ない」という子。「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と言う子。「困ったらいつでも言ってね」の「いつ」(タイミング)が分からなくて「困っています」と言えない子など、困り方で困っている子がいる。
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困ったことがあると、それは自分自身が悪いので人に隠さないといけない、と思っていた生徒がいて「困ったことって人に相談していいんですね」と言われたことがある。
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巡回先でお話を聞く。相談機関で「あなたのお子さんが発達障害なら支援方法はあるけれども、おそらくお子さんは発達障害ではない。とりあえず様子を見ましょう。後は親であるあなたが気をつけるしかありませんね」というようなことを言われたそう。「むしろどうしたらいいか分からなくなりました」と。
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ある小学校で高学年担任(通常の学級)から宿題の話を聞いた。その先生はクラスの児童一人一人に対してまず4月に面談し宿題(量や内容)を個別に決めていく、とのことだった。子どもたちの考えと家庭の方針などを考慮して適宜調整していく必要がある、と。先生はそこまで考えているのか、と驚いた。
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ケース会議にて医者ではない方が「この子は愛着障害」というので「どうしてそう判断したのですか」をたずねると「だって日本では大人の1/3が愛着障害なんですよ」と。愛着障害って言葉、使いたくなるんでしょうね。でも、その子をどう支えるか、にはつながりにくい気がします。
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聴覚障害の方が「私にとっては手話は第一言語、日本語は第二言語。授業は外国語で学んでいるようなものです」とおっしゃっていた。日本語字幕があればいい、という訳ではない。手話通訳の方が分かりやすく、その場合むしろ日本語字幕はない方がいい、というお話だった。
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授業中ヒントカードを何種類か用意している先生(通常学級)が「難しい、出来ないなと思った人はヒントカードあるから欲しかったら声をかけて下さい」ではなく「自分の考えを確かめたい人、もう少しはっきりさせたい人はGoogleクラスルームにプラス資料があるからよかったら見て下さい」と声かけしていた
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「出来ないなと思った人」ではなく「確かめたい人」、ヒントカードではなくプラス(追加)資料。伝え方のリフレーミング。そして、もちろん見ても見なくてもいい。子どもの自己選択。
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「出来ないこと」は全く悪いことではない。子どもたちが「出来ないこと」を恥ずかしいことだと思わない学校にしたい。それでも「出来ない人いる?」と聞かれて「はいっ!!」と挙手できる子どもは少ない。だからこその声かけ。安心して援助を求めることのできる一歩から。
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「大丈夫ですか?」と聞くと相手は「大丈夫です」と答えるから「どうかしましたか?」と聞くといいんだね
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「授業中、勉強のできる子どもができない子どもに教えればいいじゃない」という意見もある。しかし、勉強のできる子が教えるのが上手とは限らない。できない子は教わっても余計に困ってしまって、その様子に勉強のできる子が「何で分からないんだ」と腹を立ててしまう、という場面も時々見かける。
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学生ともなると「自分も学費を払っている。自分も教わりに来ているのであって、なぜ教える側にならなければならないのか?」「グループワークなどで、なぜ自分が出来ない学生のフォローをしなければならないのか」といってくる事例もあるそうで。
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「あの子と同じグループにしないでくれ、なんて言うのは小さいうちだけ。高校くらいなると無くなりますよ」と聞かされてきたが、いろいろな学校を巡回すると生徒間、学生間でもけっこうある話だった。
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数年前には「授業中、どんな子どもでもあえて困らせないと本気にならない。自分だけの力でその困難に打ち勝つことが大事だ。ましてや個別の配慮なんて」と語っていた先生が最近「子どもたちの援助を求めるスキルの重要性に気づいた。これまで自分にはこの視点は全くなかった」と言ってくれたので驚いた
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ベテランの先生でも、これまで長年こだわってきた考え方ややり方のある先生でも、きっかけさえあれば子どもとの関わり方を変えてくれる場合があるのだ、とうれしくなった。その先生のまとう雰囲気もずいぶんやわらかくなっていた。
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小学校3~4年生くらいになると、だんだんと、授業内容が分かっている子どもは自分が「分かっている」とアピールしたがるし、分からない子どもは「分からない」を隠そうとする、あるいは「分かっている」ふりをするようになる。
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先日、小学校の先生が「考えないけど分かる」子と「考えているけれど分からない」子について話していた。「考えているけれど分からない」場合、考えていることをまず価値づけたい、と。大事な視点だ。これからその視点を実践にどう取り入れていくのかが楽しみだ。
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通級指導教室の先生からのご相談。先日、あるお子さんから「先生(通級指導教室の担任)、ここってダメな子が通うの?先生の説明とちがうよ!」と言われたそうだ。よく聞くとその子はご家庭で「通級はダメな子どもが通うところ」と言われていることが分かった。時々こういうケースはある。
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発達障害のある子どもの遊びに本気でつきそうと「好き=得意」とは限らないことが分かる。好きな遊びならうまくいかなくても、得意でなくても続く。必ずしも「得意=楽しい」でもない。むしろ「好き」であれば、得意でなくても楽しむことができる。つきそっている大人が飽きてもまだまだ楽しんでいる。