阿部利彦(@zubattored)さんの人気ツイート(古い順)

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ずっと困っている子って、他の人からは困っているように見えにくくなるのかも知れないな。
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ある地域の通級。指導計画を見せてもらったら、ほとんどの子どもに対して、在籍クラスで①姿勢よく話が聞ける、②長時間席に座っている、③苦手なことでも我慢して取り組む、という目標設定が多かったので、全て修正をお願いしてきた。他に支援すべき課題があるから。
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園から「言葉の発達は優れているが、他のお子さんと上手く遊べないお子さん」について相談が時々ある。先生方は大抵「SSTが必要」と考えている。そういう子と1対1で遊んでみると、年齢より相当豊富な知識と豊かなイメージを持っている場合がある。そのイメージを周囲の子が理解できず、ついていけない
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年齢以上のイメージを持つその子が悪いわけでも、そのイメージを理解出来ない周囲の子が悪いわけでもない。ソーシャルスキルの問題でもない。遊びの中で感じる伝わらなさ、物足りなさ。その子は豊かなイメージの共有を求め、どうしても大人の近くにいたがる、話したがる。そのことは理解できる気がする
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私たちは学校教育で「答え方」ばかり訓練されてきたから「問い方」に慣れていない、という話。なるほど。
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前につぶやいたか忘れたんだけど、発達障害の方を積極的に雇用している企業に見学に行ったら、廊下などですれ違った際にきちんと挨拶してくれるのは当事者さんたちだけだったんだよね。「社会性って」と思ったりして。
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社内の支援体制向上ということで、上の人たちは障害者支援についての研修(45分)を企画したけれども「なぜ、こんなに長い時間、研修を受けさせられるのか」という社員の声があったなあ。
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「ホールケーキを人数分同じ大きさに切り分けられるか」よりも、ケーキをシェアして楽しい時間を過ごせる家族や仲間いるかどうかが私には大事だなあ。※あくまで個人の感想です。
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授業や特別支援の工夫をされている先生が同僚から「あなたが一生懸命やると、私たちもやらなければならなくなるのでやめて」と注意される、というのは時々聞く。学校で、先生はできない先生に合わせる。でも、子どもはできる子どもに合わせなければならないんだなあ。
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テレビ東京は番組内容をほとんど変更しない。昨日、うちの子は「テレビを見るのが辛い」と言っていた。テレビを消しておこうかと思ったが、テレビ東京はビッグカツの製造工程などを放送していた。こういうのも必要だと思った。
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おかげで「ビッグカツって本当に油で揚げているんだね」「広島の会社なんだ」と、なにげない会話ができた。
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「そういう子どもは困難を生き抜く力はなさそう」か、なるほどな。今の世の中、心の鈍い部分がないといけないんだろうね。
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学校の先生向けの研修会でLDの疑似体験をしてもらったら「こういう見え方をしてるかも知れないんだな。授業中大変だろうな」「黒板を写すのがこんなにしんどいんだ」ではなくて、「なんでこんなことも出来ないんだろう」「私だったらこんなの平気だ」という意見が出た、と知り合いの講師が言っていた
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私もLDの大変さを少しでも知ってもらいたいと研修でもいろいろ工夫しているけれど、先生方の「私だったらできる!」という感覚にひっぱられるとは思っていなかった。困っている立場をイメージしてもらうって難しいんだな。
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LDの疑似体験に限らず、リハの車椅子体験や高齢者体験で「自分は大丈夫」「こんなのなんでもない」という人がいるとか、妊婦体験で重いベストをつけて「軽い、軽い」と腕立てする男性がいる、ということを知って、身近にそういう人がいないので勉強になった。
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「こういうことで困っている子ども(人)たちがいるんですよ」というとすぐ「私は困ってませんよ」って言う人、仕事では時々出会うなあ。あと「そんなことで困るなんてね。私は平気ですよ」みたいな。
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例えば妊婦さんの体験で一部の男性が「軽い、軽い」「平気、平気」と腕立て伏せやスクワットをし始めたとする。「だから疑似体験は無駄だ」と捉えてプログラム上の問題とするか、「そういうふるまいをする人が今後こまやかに妊婦さんに寄り添えるか」を問題にするのか、でいろいろ変わってくるよね
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一般の人ではなく、対人支援職を目指す人たちの研修で障害の疑似体験をした際に「なんだ大したことないな」「私は平気だ」といった感想の人がいたらどうだろう。私自身はそういう人に支援してもらいたくない。もちろん「疑似体験ありき」ではないが、その受け取り方は、プログラムだけの問題ではない。
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ASDのAさんに有効だった支援が、ASDのBさんにも有効とは限らない。たまたまAさんには有効だったのかも知れない支援をつい「ASDの子どもたち皆に有効だ」と言いたくなってしまう場合がある。一つの実践例を「皆に有効だ」と決めつけず、Bさんには?、Cさんにならどうだろう?と考えたい
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帽子をかぶったままだとクラスに入ることができる子に「帽子をとらないと入室させない」という指導したという話。結局その子は学校にも来られなくなったんだけど、周りの子に迷惑をかけるような大きさの帽子でもないし、なんでダメなのか。やっぱりダメなのか。
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学校の様々な刺激に敏感な子どもたちが、帽子をかぶったり、フードをかぶったり、あるいは首にタオルを巻いたり、それだけで少し安心して、苦手なことにチャレンジできる場合があるんだけれど、常識人の「理由はどうあれ部屋では帽子をとるのがマナーなんですよ」の一言でかたづけられてしまうのが残念
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「愛着の問題がある子ども」というのを現場の先生はどう判断しているんだろうか。そもそも勝手に判断していいのだろうか。しかも子どもたちの「愛着の修復」をするという先生すらいる。どう判断し、どう向き合い、どう責任を持つのか。中途半端にかきまわした後、子どもを見放すことにならないのか
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教育相談員になりたての頃。大学の授業(学校カウンセリング)で習った「その時にどう感じた?」「どう思った?」などのオープンな問いかけでは子どもたちが答えにくいことを知った。そこで選択肢を提示する、気持ちを数値化する、気持ちを色分けする、などの方法で子どもたちの気持ちを知ろうとした
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園巡回に行ったら年長さんたちがお月見の製作活動をしていた。導入で先生が「月の形が変わって細くなったり、丸くなったりするのはどうしてだと思いますか?」と難しい質問をした。ある子が「いろんな人に見てもらいたいから、がんばっておおきく、まるくなると思います」と答えていて微笑ましかった
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勝ち負けや順番でイライラしがちなお子さん。みんなとやりたい気持ちは持っている子。そこでクラスでのゲームでは応援席を設定して「イライラしたら応援席でちょっと休み、仲間を応援し、またいつでもゲームに戻れる」という形(みんなのルール)にしたら、すごく落ち着いて参加できるようになった