プーチンが一方的に悪いのは前提として、ゼレンスキーを賞賛するのも違うと思う。やむにやまれぬとはいえ、戦える成人男性の出国制限をするのが、人権の侵害にあたるのは事実だと思う。自分の身に命の危険が迫ったとしても、人を殺したくない、殺す手伝いをしたくないという人はいるわけだから。 twitter.com/kmovie/status/…
コストを払わず知識のある人をバカにして上に立ったように振る舞えるわけで、陰謀論が流行る理由が分かる。能力がないのにプライドが高い人が詐欺や自己啓発にはまりやすいというのと同じで、「阿Q正伝」にその源流を見つけることができる。 twitter.com/gekigavvolf/st…
これに賛同すると、原爆を含め戦争の暴力を否定する立場を棄てて、単に強い軍事力を持たない側が悪い、弱い側は攻められても市民が犠牲になっても仕方がなかったという話になってしまう。それは、いま世界が非難するプーチンの帝国主義的な思考そのものであり、被爆者を愚弄する考え方だ。 twitter.com/TetsuoArima/st…
政府の言い分を信じる国民と信じない国民。日本にも言える構図だと思う。 twitter.com/bbcnewsjapan/s…
「ヒトラーに重ね合わす批判は国際的にはご法度」とは何だったのか。 twitter.com/bbcnewsjapan/s…
核武装や軍備の拡張、人権軽視、デモへの嘲笑、外国人差別、女性蔑視、棄民、政府に都合の良い言説、歴史修正主義と戦争犯罪の否定など、いまの日本政府や、それを支持する世論の向かう延長上にあるのが、いまのロシアの行動だといえる。ロシアを批判するときに、日本人はこの点を振り返るべきだろう。
「プーチン氏の支持層は2つのカテゴリーに分けられる。一つがプーチン政権から利益を得ている富裕層。メディア関係者や一部のセレブリティがプーチン氏とつながり、何らかの利益を得ている。そしてもう一つが非常に貧しい人々だという」 ロシア、日本の状況と酷似では……。 newsweekjapan.jp/kimura/2022/03…
榊英雄氏への告発に関しては、キム・ギドク監督の問題で書いたことが、そのまま意見の表明になると思う。このようなことが問題になることを「息苦しい時代だ」と言うのは、加害者側の発想。映画が個人の身勝手な欲望の道具にされたことを怒るのが、映画を愛する立場だと思う。 twitter.com/kmovie/status/…
みんな「おそロシア」とか言ってるけど、日本も真っ直ぐ同じ道を辿っているのはスルーなのか。
日本で名の知られたベテラン監督が新人監督との対談で、女優と付き合ってこそ一人前という価値観を吹き込んで、ステータスによっては普通なら無理な女性とも付き合えると語ってたのを見て、何なんだこいつはと思ったし、こないだの人道的な憤りをテーマにした、彼の映画も見る気が起きなかった。
『私ときどきレッサーパンダ』、ピクサー作品の頂点では?これほどの傑作を映画館で届けられなかったのは、さぞや無念だろう。
党が原発を推進してきた結果、人類史に残る原発事故によって、この先も国土の一部に人が住めない状況を作り出してしまったのは、ついこないだの話。その責任を取らせることができなかったことで、核兵器を持たせろと言い出す事態に突入してしまった。 mainichi.jp/articles/20220…
これこそが真の報道だと思うけれど、そんな人が大手メディアから排除されたり処罰を受ける現状に憤りを感じる。日本でもまともな人が排除されて政権におもねる人ばかりが重用されている状況なので、全く人ごとじゃない。 twitter.com/gloomynews/sta…
これを受けて、いまのロシアの軍事侵攻を否定した日本が、民間人の犠牲者を出した過去の戦争犯罪に向き合わなくてはならなくなっているという。もちろんそれは、アメリカにもはね返ることになるけれど。 mainichi.jp/articles/20220…
どこの国にもいるんだよ。他国の戦争犯罪を非難しながら、自国の戦争犯罪については、いろんな理屈をつけて正当化しようとする人が。
何年も前に、ツイッターでフォローしてくれた女優さんがいて。彼女がピンク映画に出るということでプロモーション映像を紹介していたので、見にいってみたら衝撃を受けてしまった。→
→監督と女優が並んで視聴者にアピールする映像だったんだけど、監督が突然、彼女のスカートを強引に捲り上げてカメラに見せ始めて。おそらく台本にない行動で、彼女が嫌がってるのが仕草や表情から伝わってきた。なぜ作品の外でまで、そのような扱いを受けなければならないのか?→
→それが原因かは知らないけど、彼女は間もなくピンク映画の俳優の活動をやめツイッターもやめてしまった。私をフォローしてくれてたので映画が好きな人だったんだと思うし、女優として映画に出ることが嬉しかったんだと思う。それだけに許せないし、そんな監督がのさばる業界自体にも疑問を持った。→
→日本映画のクリエイターは歴史的にポルノ映画とも繋がってるところがあって、監督にとっても俳優にとっても、濡れ場を撮るということが、一種の活動屋魂みたいなものだと言われることがあるけれど、そのどこが「魂」なんだって、前提ごと何かおかしいんじゃないのかって、そのときに強烈に思った。→
→人前で肌を見せるのは勇気がいるし、撮影側もそれを見せ物にすることで一線を踏み越えなければならないことは確かなんだけど、そういうプロセスを踏まなくったって全然いいはずだし。一般作でも女優が脱いだときに、称賛されたり一人前みたいに言われる慣習は、やっぱり変だと感じるようになった。→
→そういう変な慣習や女性の客体化って、実写映画だけじゃなくアニメや漫画、それ以外の分野にもあるわけで、結局は日本社会が性差別的だって話でもある。現場の慣習と社会の価値観が手を結び、双方が強化し合ってる。ああいうことが起こらないようにするために、両面から崩していかなきゃと思ってる。
日本映画の慣習だとか、ピンク映画の伝統やら栄光やら、べつにどうでもいいからこっちは。誰かを不幸にしたり踏みつけるようなことを続けるんなら、全然滅びても構わないよ。
そういう人権が認められてなかった頃からの慣習を現在まで引きずってるのが異常って話なんだけど。何時代に生きてるの? twitter.com/Chuson_Hiraizu…