クラスの中で日常的にいじめを受けてる生徒がいる状況をいままでずっと見過ごしておいて、いじめを受けている生徒がついに怒って声を荒げたら、「普通の声で」って、いじめられてる側にだけ意見したら、それはどう考えてもいじめ加害者だろう。
ひろゆき氏の弁舌というのが、知識の無い人や頭の良くない人に支持されるのは、相手の言葉尻をとらえ矛盾を突きさえすれば、これまでの自分の努力や実力不足と関係なく一発逆転できるというファンタジーがあるからだと思う。それって実際は議論において恥をかなぐり捨てた最終手段に過ぎないんだけど。
「日本は表現の自由大国」などと言ってる人たちがいるみたいだけど、正確に言うと「強者にあまりものがいえない空気のなかで、弱者やマイノリティに対する侮蔑的表現が見過ごされている傾向がある国」ということだと思う。
これって、“音楽業界や芸能界って義理とか便宜とかしがらみで成り立ってる”ってことを言ってて、それを理由に自分の態度を正当化してるんだと思うんだけど、まさにそれが長年の加害を覆い隠していた問題そのものだってことが理解できてないんだなと感じた。 oricon.co.jp/news/2286349/f…
石垣議員は、私が学生の頃に地元の学習塾で勉強を教えてくれてた先生。絶対に怒らないし、私の趣味の映画の雑談とかに付き合ってくれたりする、優しくて温厚な性格。権力者に対して舌鋒鋭いのは、弱者の側に立つ優しさからきてるというのも分かる。ネットのおかしな中傷で、それが揺らぐことはない。
これ、当事者の芸人がどうとかより、吃音は笑ってもいいんだという空気が生まれて一般の人たちに影響が出るからやめてほしいってことなのに、問題を意図的にすり替えてる。その上「お笑いを勉強してほしい」と言ってるのにも驚かされる。差別について自分は一切学ぶ気も、声に耳を傾ける気もないのか。 twitter.com/nikkan_entame/…
しかし、一政治家の汚職が原因で亡くなった被害者遺族の口止め料を税金でまかなうとは……。悪の化身か。
日本の作品が、制服を着た中高生のきらめきにばかり固執するようになったのは、食傷を通り越して不気味な印象を与えるところがある。大人になったり老いることが、あたかもある種の罪であるかのようだ。ちゃんとした大人のロールモデルを提示できてない気がする。
現政権が支持されることになったのは、富裕層にはカネを、庶民には“差別”という無料のおもちゃを与えたということが最も大きな要因だったと思う。その結果、全体の経済が落ち込み、とくに庶民は多大なツケを払わされることに。批判は必要だけど、国民の側もモラルを取り戻さないと何度でも誤ると思う。
清楚なタイプの制服女子高生が献身的に奔走するような映画は、もう十分なんじゃないかな……。とりわけ男性が理想化した“他者”としての女の子を主人公として機能させることは難しいと思う。『私ときどきレッサーパンダ』のいきいきしたキャラクターを見た後だと、よけいに時代遅れに感じられてしまう。
元特攻隊員「戦死を覚悟するぐらいなら、なぜ死ぬ気で戦争に反対しなかったのか」悔いと「伝える義務」 tokyo-np.co.jp/amp/article/47… 『永遠の0』と全然違うことを言っている。
「表現の自由戦士」は、エロ表現と萌え表現は守れと主張するが、多様な人種や容姿などを表現しようとすると「ポリコレくさい」と批判を始めるので、表現の自由の味方では全くないよね。
優生思想を批判されると、「議論することもいけないのか」「思考実験としてはいい」みたいなことを言う人がいるけど、その思想が歴史の中で実際に悲劇を生み出してるから、みんな怒ってるわけでしょ。なんでこんなに無知なのに強気なんだ。
孫悟飯が人生を生きていくなかで「自分はゲイだったんだ」と気づいたとしても、べつにいいと思うけど。なんでそこで裏切られたみたいな反応になるのかが分からない。 twitter.com/samehadatorime…
『劇場版SHIROBAKO』、TVアニメシリーズから数年経っても女性の描き方がとくにアップデートされてなかったのがつらかった。男性キャラは年齢も体型も様々なのに、女性はある種の規格に収まらなければ存在自体がないことにされるというのが、業界の空気をむしろリアルに映し出しているのでは。
つるの剛士氏、どんどんレイシストかつヘイターになってきてるのも恐いけれど、同時に日本社会のなかで彼がそれでも地位を失っていないというのが、さらに恐ろしい。
性的搾取が問題になるとき、その業界で働く女性の自主性を盾にとる場面が見られる。だが以前雑誌で紹介したNetflixドキュメンタリー『ホットガールズ・ウォンテッド』でポルノに出演する少女たちの様に、周到に自尊心を利用され、「自分が選び取っている」と思い込み、後で後悔するという事例は多い。
今回訴えられたはすみとしこ氏が、性犯罪の被害者を“枕営業”だと侮辱して笑ってる最低の番組の映像を見た。そこに『Fukushima 50』の原作者も同席して、一緒になって笑ってるところも確認。
何年も前に、ツイッターでフォローしてくれた女優さんがいて。彼女がピンク映画に出るということでプロモーション映像を紹介していたので、見にいってみたら衝撃を受けてしまった。→
三浦瑠麗氏のスリーパーセル発言が許されないのは、関東大震災のときに日本で起きた、根拠のない差別的なデマによる市民の虐殺行為を再び扇動する内容だから。この深刻さを社会で共有できていないのは本当にまずい。
それまで「人魚姫」はブロンドのイメージが多かったが、『リトル・マーメイド』では赤毛を鮮烈な色合いで表現。このプリンセスの存在が、赤毛にコンプレックスを抱いていた女の子たちの意識をポジティブに変えることに繋がった。だから、いまの実写版の選択は、原作への本質的なリスペクトだといえる。
「弱者が切り捨てられても自分は助かりたい」と考える人が大半になってきているというのが、余裕がなくなった今の日本の状況だと思うけど、その中の多くがすでに弱者になっていて切り捨てられてることに気づいてないというのが現実で、それを気づかせないため「日本スゴイ」神話が必要だったんだなと。
河村市長の金メダル噛み問題、もちろん最悪だけど、不正リコール発覚時に政治生命が終わらず、さらに当選してる時点で、もう世の中が狂ってるとしか。そりゃやりたい放題やるよね。
困窮しておにぎりを万引きした人を「それはそれ、これはこれ」「警察に突き出せ」とSNSでふきあがるほど、犯罪に厳しい空気の中で、反社会的な宗教団体と協力関係にある政治家は容疑者の思う壺だから見逃せっていうのは、絶対におかしいだろ。
行政のコロナ対策の意図が不明過ぎて、もはや「庶民が苦しんだり我慢すれば願いがかなう」みたいなオカルトになってるように思う。