アーティストやら漫画家に「政治思想を表に出すな」と言ってる人たちは、実際には自分の思想に反する意見のみを取り上げて、つぶそうとしているだけ。自分の立場を明確にせず外野から石を投げる卑怯者の行為。
例えば家族が発熱して肺炎を起こして、コロナを疑っても検査の許可は下りず、病院に行ってそのまま亡くなって、「死因は肺炎です」って言われたとしたら。それでも唇をかみしめて、「うちは医療崩壊の原因にはならなかった。お国のためになった」と思って口を閉ざすことが求められているのだろうか。
現政権が支持されることになったのは、富裕層にはカネを、庶民には“差別”という無料のおもちゃを与えたということが最も大きな要因だったと思う。その結果、全体の経済が落ち込み、とくに庶民は多大なツケを払わされることに。批判は必要だけど、国民の側もモラルを取り戻さないと何度でも誤ると思う。
日本では芸能人がリベラルな発言をすると嫌がらせを受けるようになってしまった。でもそこで一人ひとりが「面倒だから発言するのやめよう」ということになると、現状を追認するのと同じことになってしまう。誹謗者はそれを狙っている。
外国人留学生への給付における差別が象徴するように、現政権はこれまで差別的なメッセージを打ち出すことで求心力を得ていた。このような積み重ねによって、市民の差別行為のハードルが下がったことが、いまのネットでの特定の人種・女性への攻撃を激化させていると思う。
クラスの中で日常的にいじめを受けてる生徒がいる状況をいままでずっと見過ごしておいて、いじめを受けている生徒がついに怒って声を荒げたら、「普通の声で」って、いじめられてる側にだけ意見したら、それはどう考えてもいじめ加害者だろう。
「日本人には分かりづらいかもしれないけど」みたいな枕詞でアフリカ系アメリカ人への差別を語り出す人が多いけど、日頃これだけネットで日本人が特定の民族や女性などを差別的に攻撃しまくってる事例を目にしてて、なんでそれと同じような話だって繋げられないのかが不思議でしょうがないよ。
今回訴えられたはすみとしこ氏が、性犯罪の被害者を“枕営業”だと侮辱して笑ってる最低の番組の映像を見た。そこに『Fukushima 50』の原作者も同席して、一緒になって笑ってるところも確認。
性的搾取が問題になるとき、その業界で働く女性の自主性を盾にとる場面が見られる。だが以前雑誌で紹介したNetflixドキュメンタリー『ホットガールズ・ウォンテッド』でポルノに出演する少女たちの様に、周到に自尊心を利用され、「自分が選び取っている」と思い込み、後で後悔するという事例は多い。
『ホットガールズ・ウォンテッド』に登場する大学生のポルノ女優は、自分は進歩的な女性としてこの業界を選んだと発言するが、実際に彼女が出演した作品は、発言内容とギャップのある性差別的で屈辱的なものだった。彼女が後に利用されたと気づいたとしても、代わりとなる少女は次々に補充されていく。
GoToキャンペーンは、コロナ対応として危険で、利権を目的とした愚策だと思うけれども、そもそも「何よりも経済を回す」という考え方が、これほど善きものとして一般に周知されてる感じも異常だと思う。
優生思想を批判されると、「議論することもいけないのか」「思考実験としてはいい」みたいなことを言う人がいるけど、その思想が歴史の中で実際に悲劇を生み出してるから、みんな怒ってるわけでしょ。なんでこんなに無知なのに強気なんだ。
検査前にイソジンでうがいをすると、たしかに一時的に結果が陰性に判定されやすくなるんだろうけど、本来陽性の人が陰性になることには社会的な不利益しかないと思う。これが、“大阪モデル”が崩壊していることを隠蔽するために市民を危険にさらす政治家の思いつきなのだとしたら、犯罪的だと思う。
「日本は表現の自由大国」などと言ってる人たちがいるみたいだけど、正確に言うと「強者にあまりものがいえない空気のなかで、弱者やマイノリティに対する侮蔑的表現が見過ごされている傾向がある国」ということだと思う。
元特攻隊員「戦死を覚悟するぐらいなら、なぜ死ぬ気で戦争に反対しなかったのか」悔いと「伝える義務」 tokyo-np.co.jp/amp/article/47… 『永遠の0』と全然違うことを言っている。
実際の戦争体験者の本を読むと、特攻に行かされるパイロットたちは、泣いて拒否するのを酒飲まされてなだめられたりとか、逃げられないように複数で押さえつけられて乗せられる地獄みたいな光景を見たという証言が記されていたりする。そういう本当のことを映画化すべきなのでは。
『グリーン・ライ』というドキュメンタリー映画で、メキシコ湾岸の原油流出事故のその後を追ってるんだけど、企業は“石油分散剤”なるものを海に撒いたという。これは有毒であるうえに、油を除去せず沈めて見えにくくするだけのものだった。日本企業がどういう措置をとるか見ておかなければ。 twitter.com/reutersjapan/s…
モーリシャスでの事故で、そういえば環境相はどこに行った?と思ってたら、こんなとこにいた。 twitter.com/47newsflash/st…
三浦瑠麗氏のスリーパーセル発言が許されないのは、関東大震災のときに日本で起きた、根拠のない差別的なデマによる市民の虐殺行為を再び扇動する内容だから。この深刻さを社会で共有できていないのは本当にまずい。
私も東日本大震災のとき外国の窃盗団が入り込んでるというデマを直接耳で聞いたし、熊本地震のときには在日外国人が機に乗じ犯罪を行ってるというデマを信じた他県の人物が「車でしばきに行ってくる」とSNSに書き込んで「やったれ!」と盛り上がってるところも見てるので、実際に冗談にならない話だ。
芸人が面白おかしく批判されて、「人格攻撃だ」と怒っているようだけど、そうやってイジって笑いものにするというのが、これまで日本の芸人たちが醸成してきた“お笑い”そのものなんじゃないのか。
石垣議員の病気についての発言は確かに軽率だし本人も謝っているわけだけど、麻生大臣によるこの種の暴言が問題にならないのが非常に疑問。言葉の発信が命取りになるアメリカで、トランプ大統領がどれだけ差別的な発言をしても失脚しない奇妙さに似ていると思う。
石垣議員は、私が学生の頃に地元の学習塾で勉強を教えてくれてた先生。絶対に怒らないし、私の趣味の映画の雑談とかに付き合ってくれたりする、優しくて温厚な性格。権力者に対して舌鋒鋭いのは、弱者の側に立つ優しさからきてるというのも分かる。ネットのおかしな中傷で、それが揺らぐことはない。
国民に対するDVのような発言。なんでこんなこと言うのか不思議なんだけど、考えてみたら、いまやご機嫌をとる方向が既得権益層や経団連ということで、一般庶民に媚びる意義すらもう感じてないということなのかと。 twitter.com/akasannom/stat…
生活困窮者をも対象にする消費税を増税したのに、生活保護費を減らすの?? this.kiji.is/67382696160187…