ロシアが状況を力でねじ伏せる可能性が高まりつつあるなか、武力衝突のフェーズが終わったとしても、ヨーロッパは「紛争」を自らの内部に恒常的且つ構造的に抱え込むことになる。喉元に剣を突きつけられたような状態。独はいち早くその危険性を察知し、数日で国防態勢を変えた。
ウクライナ情勢につき、いま引っ張りだこの慶應の仲間の時間を押さえ、議論しました。特に、いま廣瀬陽子さんと@MichitoTsuruoka さんの時間を一時間確保できたというのは奇跡です。是非。第二弾もあります。 KGRI Virtual Seminar Series ウクライナ危機と世界秩序 2022.3.2 youtu.be/sPMQmFG5vBE
ロ大使館による驚愕のツイート。
山田 @yamatetu1210 さん、こういう手続きってあるんですか? afpbb.com/articles/-/339…
ところで明日はバイデン大統領による一般教書演説。西山隆行さんの解説で予習。期せずして冷戦後最重要の外交演説になるかも。ちなみにブッシュの悪の枢軸演説も2002年の一般教書演説でした。 approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=h…
ただし、ロシアの場合、プーチン後は違うロシアを期待できる。他方、中国の場合は習近平後に期待できるという話では必ずしもない。良くも悪くも(まあ悪くもだが)体制がしっかりとしている。
いまところ欧米の国の大使ばかりだが、ここまで聞いていて、ロシアはプーチン体制が続く限り、国際社会においてもう居場所はないとの印象を禁じえない。居場所のない核保有国がもう一つ増えることになる。危ない。
ウクライナの大使に続いて悪びれずに演説をする露大使。
どうもおおよそ正しいようです。みみみさん、ありがとうございます。 twitter.com/mimimi_x/statu…
ウクライナ大使。定形外の感情に突き刺さる発言。ウクライナで亡くなった露兵士の母親との最後の交信を露語で朗読 ー「お母さん、みんなが戦車の前に身を晒し、僕たちをファシストって呼んでるよ、こんなの耐えられないよ…」。
始まってます。事務総長が演説中。 twitter.com/tnak0214/statu…
今晩0時からの国連緊急特別総会はここで視聴できます。議題はウクライナ🇺🇦です。長丁場になるでしょうが、先日の安保理のように歴史に残るようなシーンがあるかもしれません。 media.un.org/en/asset/k1l/k…
先日の安保理公式協議もそうだが、舞台としての国連があつい。今度は国連総会が舞台|ロシア非難へ特別会合 安保理、40年ぶりの要請―国連総会:時事ドットコム jiji.com/jc/article?k=2…
そのシグナルも明確に中国に対して送られています。であるがゆえに、ウクライナ・アナロジーを直線的に台湾に当てはめるのはバツです。(時間切れです。これから会議です。)
残念ながらウクライナはアメリカがここまでの危険性を踏まえてもなお介入する死活的利益がかかっている国ではありません。この点は台湾とは異なります。台湾は米国の事実上のMNNA (Major non-NATO ally)です。アメリカはウクライナにはしていないコミットメントを台湾に対してはしています。
ロシアの下腹部であるウクライナにおいて二大核保有国が対峙するというキューバ危機以上の危機が発生する状況を作り出しかねないということを意味します。ゆえにバイデンは米軍派兵の可能性を閉ざしましたし、これからもこの判断が覆ることはないでしょう。
(アフガン後、新たな介入に躊躇する国内世論への迎合という面もはもちろん否定できません。)大ロシア復活という情念に突き動かされて侵攻をすでに決意していたプーチンを牽制すべくウクライナに米兵を派遣するということは、
だからこそあれだけの確信をもって露の侵攻の危険性を訴えていたわけです。ディープスロートです(もちろん推測です)。なので米軍派遣のオプションはそもそもないということを初めから明言していたのだと考えられます。
今回、アメリカはロシアを軍の展開のレベルではなく(今回は世界中が衛星画像で露軍の展開を把握していたはじめてのケース⁉︎)、プーチンの「意図」のレベルで正確に把握していたと思われます。アメリカのインテリジェンス、恐るべしです。
今回、派兵という意味ではアメリカは直接介入しません。特殊部隊もなしです。考えられるのはゼレンスキーを救うオペレーションくらいですが、それも厳しいと思います。米は確実にNATO加盟/非加盟の間で線を引きました。
国際社会が介入に躊躇するなか、まさに市民が武器をとって戦っているという構図ですから。ちなみに昨晩のNスペにおける丸の内OL(27) @OKB1917 さんの武器支援の話はしびれました。横で深く頷いていました。
このコミュニストが自発的な市民の抵抗を乗っ取っていく様は、オーウェルが克明に『カタロニア讃歌』で描いているところです。で、今回のウクライン紛争ですが、今回は「ウクライナ市民戦争」と呼んでもいいんじゃないかと思ったりしました。
ただ善と悪の価値観を投射するこの呼び方は、共和国側が事実上、コミンテルンに指示を受けるコミュニストに乗っ取られていく過程を踏まえると、適切な呼称ではないということになっていったのだと理解しています。(正確でなかったら教えてください。)
ちなみにスペイン内戦を市民戦争と呼んだのは、Civil Warの誤訳以上に、米英仏が介入に躊躇する中、一般の市民が武器をとり、独伊が支えるフランコ政権と戦う姿への共感がありました。つまり、スペイン市民戦争は、「スペイン市民による抵抗闘争」というようなニュアンスだったわけです。
実際にこれがどれほど効果があることなのか判断はつきませんが、今回はスペイン市民戦争(かつてはそう呼んでました)のように国際義勇軍が入っていくことはありませんが、このマスクだったり、アノニマスだったり、これまでとは違う、新しい形の介入が見られます。 twitter.com/foxnews/status…