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>RT 実は極めて難しい問題。外国史の事例だが、イギリス国教会に服さなかった「分離派」と呼ばれる人々の主張のわりと核心的な部分が自分と自分の家族(子供)の宗教信条を国家に左右されたくないというのがある。弾圧された彼らは比較的多く、信教の自由があったオランダに移住したが→
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カルトだから話が妙に分かりやすくなるが、例えばある親が自分の子供をインターナショナル・スクールに入れたい、子供の将来を思って、ピアノやバレエを習わせたい、しかし子供は無茶苦茶それが嫌だった場合と構造はそれほど違わない。教育における親の裁量権の問題が絡んでくる。
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だからプラトンなどは、子供は親から取り上げて公共で育てようと言い始める。そうすれば教育格差や文化資本の差はなくなり淫祠邪教を強制されることもなくなる。しかし、これは我々の慣習や感情が受け入れるところではないだろう。
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公定宗教に服さなかった人々の核心的主張の一つが子供への宗教教育の自由だったことは歴史的に間違いない。そして宗教一般が子供への教育を重視してきたことは、キリスト教や仏教系の幼稚園、小学校、中学校、大学とあることからもそれは明らかなのですよ。
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覇権国家あるいは帝国どうしの戦争というのは実際には無い、「甘噛み」を続けるというのが常識的な見方だけれども、アメリカについては予測がつかないところがある。あの国は南北戦争をやり、第二次世界大戦では大西洋と太平洋の二つの帝国と戦い、ソ連との冷戦を44年やった。正戦論上等で執念深い。
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カルト撲滅は下手を打つと通常の市民的自由まで侵害する権限を政府に与えてしまう恐れがあるが、日本には世界に名高い「中世の司法」、とりわけそれを代表する東京地検特捜部があるんだからいつも通り動けば良いのにと訝しく思っていたが、そうか宗教法人職員には人質司法が通用しないから無力なんだ。
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NHKの特集番組で「獄友」観てたら、冤罪に落とし込まれた人々には、社会関係や教育歴が欠如してた人が多い印象を受けました。例えば足利事件の菅家さんとか布川事件の桜井さんとか、確かに「こいつなんだろうな」という人相に見えました。しかし→
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僕は法学部出身といってもまるで法律学は憶えていないのだけれど、刑法の授業の導入で言われた「刑事裁判というのは『国家権力』対『個人』なんだから、被疑者・被告人の防御力は幾重にも保証されなきゃならない」という趣旨のことだけは憶えている。
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頭良い人はどんどん英語で書いたら良い。僕は日本語を中心にこれからも書いていく。必要になったら、英語が得意な人の力を借りながら英訳する。外国の概念は幕末・明治以来営々と日本語にしてきた。僕はそれを引き継ぎたいと思う。そして時々、一般の読者向けに印税いただける日本語の本を書く。
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いわゆる文系は共通語がないのですよね。例えば、学部レベルの学生を対象に「一神教におけるイエス・キリストの位置づけをカトリック教会の正統教義の観点から答えなさい」という問題を出したとして、僕はこれもちろん英語で解答書けるんだけどそこに至る諸概念や論理を学生が英語で理解するのは無理。
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これは残念なことだが当事者として戦争が始まってしまえば言論は萎縮してしまうだろうが、せめてそれより前の段階においては、あらゆる見解から学び取ろうという姿勢は難しいけれど戒律のように自分にかすべきだと思う。確かに歴史には色々な解釈があり可能性はあった。それが先の大戦の教訓でもある。
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日本の占領政策が表面上は穏便・寛大なものになったのは、アメリカの対外戦争では未経験なほどの大量出血をしいたこと、日本国自体が8000万人もいる大きな国家で、その民の多くが軍事教練を受けていた。アメリカのリアリズムには冷戦のほかにこれもあったのだと思われる。
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お寺に同級生がいるのでしみじみ話し込んでいたとき、「僕の一族は僕世代で滅びるんだけど、東京に出てみると名家というのはあり彼らは本当にしぶとい。この差は何だろう」と言ったら、彼は「いや坊主の経験で思うのだけど、彼らも業の深さで苦しんでる。人殺しが出る前に滅べて良かったと考えな」と。
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母の話を兄弟で彼女の気が済むまで聞いていたのだが、深夜になる頃に、ようやく人生の屈託がポロポロと出てきた。父の実家は変な人の集まりだったので、僕が「嫁いだ時は大変だったでしょう」と言ったら、母は「あの頃はね、わたしは世の中のことを何も知らなかったから耐えられた」と言っていた。
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母は「お父さんの世代の多数の男の人たちが家庭人として成り立っていたのは、女を無知にしておいたから」という持論の持ち主で、「だから女は大学行かなきゃ行けない。学歴と経済力がついたら離婚が増えるのは当たり前。それは世の中が悪くなったのではなく公正になったから」と明言していた。
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自動車の中で弟は「僕は猫も杓子も高等教育を受けられた時代こそSDGsの可能性だった。実はこの在り方が持続可能じゃないのだとすれば、つまり階級社会の方がデフォルトだとするなら『持続可能』なんて『永久機関』と何も変わらない。ただの中世じゃないか。900年続いたならSDGsそのものだ」と論じた。
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この時期に放映される戦争特集に飽きてしまった。理由は、日本の戦争に未だに国民性に着地点を見出すつくりから脱却できていないから。日本だって経済力と工業生産力があれば、精神論など唱えていなかったし無茶な作戦指導もしていなかった。問題なのはそこじゃないのになあと毎年思う。
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あと兵員の生命についての考え方だけど、アメリカ海兵隊や陸軍の突撃も大概でしたよ。断片だけ切り出すと、火力が日本の方が優勢な局面は確かにないことはなかったが、アメリカ軍の司令官は情け容赦なく突撃させてました。特にあの頃は太平洋戦線の情報が本土に伝わりづらいので塵芥のような人使い。
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アメリカが日本の生命無視の突撃にビビったことはないのですよ。逆です。アメリカ軍の執念深い攻撃力や、前線の兵員への冷酷な作戦指導に日本の方がビビったのです。彼ら、真珠湾攻撃で壊滅に陥った時も残存兵力集めてすぐに反撃し始めてたでしょう。そんな国と戦争やった理由を探究しないと。
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そういえば帰省した時聞いた話。僕の家の宗派とは違うがあるお寺の住職が「しばらく仕事ができない。お盆の時期でもあり、檀家の皆さんが離れても構いませんので休ませてください」と檀家衆に手紙がきた。鬱っぽい人だったらしいが、近年特に酷く、職務ができないと。理由を母に尋ねると→
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イジメというのは、そこまで人間の脳に欠損を残すのだと驚いた。イジメを耐え抜くと強い人間ができるとかあり得ないわけですね。父親がお坊さんで、お坊さんと結婚した女性としりあいだが、お寺のような宗教施設では人間の本音が露わになるようで、大変な感情労働らしい。仕事と私生活の区別もない。
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私が学生に注意する際に気をつけているポイントの一つは、「これが萎縮につながらないか」というのがあります。私の職業も時に強く注意しなきゃいけないことが避けられないものなのですが、それが萎縮につながらないかだけは気をつけています。萎縮して良いことは一つもありませんから。
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叔母が某新新宗教の信者だったのですが、「1999年人類滅亡の危機」はいくつもの新新宗教で使われてましたね。叔母が入信していたのは霊言系だったのでノストラダムスご本人が教祖を通して話してました。皆さんご存知の通り、1999年は何事も起こらなかったのですが私が印象的だったのはこの後でしたね。
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宗教は予言が外れた後に、本格化するというか背骨が入るのです。信者の間に、「それでも私の信仰は揺るがない」競争が始まるのです。僕は叔母から教団の本の献本を受けていたので、だいたい教義は知ってますが、かなりの確信部分の事情変更でも同じ現象がありました。
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キリスト教のような伝統宗教は、奇跡の類はイエスのみに限定して、それ以外の超常現象の行使を魔術としました(悪魔というのは堕天使だからイエスと同じことはできちゃうから)。しかし新興宗教はまさに奇跡がウリなので、それで信者を獲得するのですが、次の段階は予言が外れた時に乗り切れるかです。