平 裕介 Yusuke TAIRA(@YusukeTaira)さんの人気ツイート(古い順)

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「表現の自由」(憲法21条1項)を地下に深い穴を掘ってその穴の奥に向かって叫ぶ自由だと理解(もちろん誤解)している人が本当にいそうで、最近心配です
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公権力が、公権力と個人間の「協定」や「協約」に当該個人が違反したということを認定し、それをマスコミ等に「公表」する行為について、当該個人が(法律ではない)協定・協約(契約)上のルールを守る旨の誓約や同意したからといって、それが当然に上記「公表」行為をして良いという理由にはならない
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「立憲」って、最近、というかここ数年で、言葉の意味が変わったんですかね…
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①企業広告に表現の自由があると「違憲状態となる」との迷言や、②「判例や解説と現状との間」に「大きなズレ」が生じるから「政策実施の立場」からはこのズレを修正すべき旨の主張があるようです しかし、判例・学説(特に通説)、ひいては憲法尊重擁護義務を無視・軽視する、非常に危険な言説ですね…
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①国連機関が日経の月曜日のたわわ広告に抗議し一方的にマスコミに公表した件、 ②企業広告に「表現の自由」はないと断言した政治学研究者の件、 ③大学のコンサル的な人が文系研究者に、既に公表した論文をまとめたものを単著の本にしてはダメだと指導(制裁にも言及)した件、 これらには共通点がある
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法令では規制されていない行為につき、指導・助言者の“専門”分野では異なる「グローバルスタンダード」等の規制ルールがあると述べ、曖昧で恣意的に運用できる主観的な“自主ルール”基準を振りかざし、従わない場合には不利益を与えるかレッテルを貼り、私人の人権や権利行使を困難にするという点である
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①~③の(全部or)一部について、アドバイスしている側の“専門家”やコンサルの方を支持されている研究者の先生方や有識者の方々もいるようですが、全部自分の基本的人権や権利利益にブーメランとして刺さりかねない問題だと理解された方が良いですね。ぞれぞれ恣意的な基準で簡単に悪用されうるからです
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「グローバルスタンダード」ではなく「企業価値」「大学のブランド」向上の目的に係る基準でも良いですね 労働者や研究者・職員は、何らかの不適切な行為をした場合、上記目的を過度に強調され、また、マスコミや特定の利益団体を利用されて、法的責任を超える“炎上責任”を問われる危険が高くなります
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歴史学者の先生のケースでも分かるとおり、仮に訴訟で争い長い時間と高い費用をかけて何とか勝ったとしても、失われた時間とお金、そしてキャリアはかえってきません 法的に規制されていない権利や自由を事実上規制し、法的責任を超える“炎上責任”を負わせるキャンセル・カルチャーは恐怖の文化です
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他の例ですが、「法人の価値・ブランド」向上の目的のため、“不祥事”(例…例えば故意に数年分確定申告を懈怠)を起こした大学研究者は、①個人研究費を“自主返納”する、②税金が原資の科研費の申請を“控えて”いただくという“自主ルール”を学校法人が策定しマスコミ等に「公表」したらどうなるでしょうか
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その上で、“不祥事”が、何らかの方法で(例えば「社会インフラ充実のため正しい納税文化の定着を図る団体関係者」の「オープンレター」等で)外部に公表されてしまい、すでに公表されている“自主ルール”が適用される場合だとして“炎上”した場合、個人研究費や科研費の運用に悪影響を及ぼさないでしょうか
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これにとどまらず、国・政府がこのキャンセル・カルチャーを同じ発想で悪用することもできるでしょう 例えば次の国の言い分が容易に想定されます “不祥事”を起こし、“炎上”した研究者に科研費を支給すれば、「国は納税申告・確定申告の懈怠に寛容だ」とか、「国は大目に見てくれる」などという(続→)
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(続き→)という観点から、当該研究者には科研費を交付しないという決定を行った。専門家らのピアレビューは尊重しているし、考慮もした。しかし、上記のような「国民の理解」などの“基準”から、不交付決定を適法に行ったところである。 異論は認めない。 こんな社会になっても、大丈夫ですか?
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(続き→)「誤ったメッセージ」を文科省が発したと受け取られ、法定の申告方法によって正しく納税義務を尽くさない国民に対する国の「許容的な態度」や納税の義務(憲法30 条)を軽視するかのような態度が一般的に広まり、ひいては、文科省の「助成制度への国民の理解を損なうおそれがある」(続→)
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上記の科研費不交付決定の事例は、東京高等裁判所 令和4年3月3日・令和3年(行コ)第180号・助成金不交付決定処分取消請求控訴事件(同裁判例22頁の判示↓)を参考に創作してみたフィクションです が、近い将来、起こり得るかもしれません。基本的人権を軽視するとこうなります courts.go.jp/app/hanrei_jp/…
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国会・議会で制定されておらず判例通説の立場でもない“ルール”(しかも恣意的運用が可能)が“不祥事”“公表”と“炎上”を通して私たちの社会を支配すれば、「法の支配」は否定され、いわば「道徳の支配」となるでしょう 「自分がしてほしくないことは、しないこと」という“基準”が法より優先される社会です
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その「法」ではなく「道徳」あるいは「道徳」に近い“ルール”なる者を提唱したり広める活動をしている一部の利益団体や中間団体の関係者が、立法手続を経ずにグローバルスタンダードあるいはコンサルティングの“基準”を定め、それが運用される社会とは、どんな社会なのか それは「人の支配」の社会です
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民主政の過程と関係ないから営利広告の自由・営利的表現は、広く規制されて良いみたいな主張は、現在の通説(営利広告も憲法21条1項の「表現の自由」として保障されるとする見解)とは整合しないものですね 長谷部恭男「営利広告の規制」同『続・Interactive 憲法』(有斐閣、2011年)73頁以下(77頁) ↓
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営利広告の自由は憲法21条1項の「表現の自由」で保障されるのが通説で、一般的な憲法学説だというツイートに対して、「大上段」の議論は不要で問題が違うとか、もっと具体的な議論が必要という主張を見ますが、そう主張している人は、かなりの割合で「大上段」の前提を(すら)誤解しているんですよね…
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「大上段」あるいは「大前提」となる基本的な知識から誤解している方々が、特定の問題がについて個別具体的な議論をして、まともな結論に至ることができるわけがない、というのが普通の感覚だと思います
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世間的には権威があるとされる研究者が、営利広告は基本的人権ではないとか表現の自由ではないという言説を流布してしまいましたので、その影響で、相当数の方が、憲法学の通説・一般的な見解について誤解し、その誤解を前提として、個別具体的な議論をしているようにみえます。
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ですから、大上段の基本的な知見を、繰り返し(全く同じだとつまらないので表現を多少変えつつ)ツイートすることはなお重要だと思います 個別具体的な議論をする大前提のなるべき基本的な法学・憲法学の知識(判例や学説など)がより広く知られることが大事でしょう
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法人の営利広告の問題に関し、憲法上の権利の私人間効力の話として議論する場合にも、「通説的地位を占める…間接適用説」であれ(安西文雄ほか『憲法学読本第3版』(有斐閣、2018)74頁〔巻美矢紀〕)、近時有力なドイツ流の保護義務論による説明であれ、大前提に誤解があればまともな議論にはなりません
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営利広告(営利的表現)の自由が憲法21条1項の「表現の自由」で保障されるものと解釈する見解が現在の通説であることに関しては、以下のツイートでも論拠を示して述べています twitter.com/YusukeTaira/st…
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こちら↓も、同様の関連ツイート・ツリーです twitter.com/YusukeTaira/st…