平 裕介 Yusuke TAIRA(@YusukeTaira)さんの人気ツイート(古い順)

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つまり、本来は公表まではすべきではない事実について、国連機関という権威ある一方当事者(覚書等締結当事者)だけの判断で、その関係者が、日経の了解を得ずに(もちろん広告掲載作品の著者の了解も得ず)、マスコミを通して、「オープンレター」のような手法で、全世界に事実を公表したのではないか?
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原田大樹『自主規制の公法学的研究』(有斐閣、2007年)232-234頁が挙げる「自主規制のデメリット」は、①被規制者・利害関係者の権利・利益の侵害、②民主政プロセスに対する特権性・閉鎖性、③非効率性・高コスト性 特に(①における)近代立憲主義で否定した中間団体による個人の抑圧の弊害の点は重要
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以上のとおり、「月曜日のたわわ」日経新聞全面広告に係るUNWomenの自主規制(抗議・公表行為を含む)は、①~⑥の6つの「指針的価値」全てを充足しないと考えられる よって、UN Womenの今回の自主規制における覚書等に係る抗議及びマスコミ公表行為は、「自主規制の許容条件」を満たさず、不当といえる
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樋口陽一『憲法 第四版』(勁草書房、2021年)232頁は、表現の自由の優越性・価値論について、①「民主的政治過程=表現の自由」という考え方だけでは、社会において「多数意見の形成に参画できない」物の考え方や「珍奇と見られる主張」が「切り捨てられ」てしまう可能性が大きい、と解説しています
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「法クラ」は「表現の自由ガー」と「わめいて」いる、などという極めて雑すぎるツイートをされた弁護士(ロースクール教育を重視しこよなく愛する先生)のツイートを今後見ないようにするための設定を今しました(ミュートではなくブロック)
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「月曜日のたわわ」日経新聞広告に係る国連の機関・UNWomenの「自主規制」ルールに基づく私人(私企業)への抗議・情報公表行為が、憲法や表現の自由とは関係ないとする考え方は、立憲主義との関係で危険です ミルは、1世紀半前に、国家権力以外の「社会的権力」が個人の人権を抑圧すると論じていました
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↑樋口陽一『六訂 憲法入門』(勁草書房、2017年)75頁。
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国連の機関UNWomenは、ミルが力説していた「社会的権力」に該当します このような巨大な社会的影響力のある団体(国家や政府そのものではない)の私人・私企業への介入や事実上の圧力を、契約自由だけの問題として法的に捉えることは問題を矮小化するものです。むしろ今、立憲主義は危険な状態でしょう
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国連ですからステート・アクションの法理を持ち出してもよさそうなレベルとは思いますが、契約関係の問題として捉えるとしても、少なくともその私人間の問題に、憲法の表現の自由の人権価値や趣旨を十分に活かすよう間接的な適用をすべきです。さもなければ、ミルのいう私人の「集団」が「暴君」に…
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ちなみに「月曜日のたわわ」新聞広告に係るUNWomenの「抗議」行為及び情報(覚書等違反の一方的な認定等)の強行的なマスコミへの公表行為が、「自主規制」の公法学的な「許容条件」を満たさず、不当な圧力といい得ることについては、以下のツイート・ツリーをご確認ください twitter.com/YusukeTaira/st…
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↓の図は、以前法学部の学生から、性表現(性的な表現)の自由(憲法21条1項)とハードコア・ポルノ規制に関するご質問を受けたときに回答に際して書いた(書き直した)図です 「萎縮的効果」というのがポイントで、「社会的害悪」がある性表現であっても規制されていないこと(B)には合理的な理由があります
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ハードコア・ポルノの意味について、芦部先生の教科書(基本書)は、「端的な春画・春本」と短く説明しています(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法 第七版』(岩波書店、2019年)199頁) ちなみに、最三小判昭和58年3月8日刑集37巻2号15頁の伊藤正己裁判官の補足意見の定義は、以下(裁判所HP↓)のとおりです
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ここで私が言いたいのはハードコア・ポルノの定義ではなく、萎縮的効果を考慮しない(or重視しない)表現規制(ゾーニング規制も含まれる)の考え方が、私たちの表現の自由(憲法21条1項)にとって危険な考え方だということです。そのような考え方は表現の自由の範囲を狭めることになるものといえます
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自主規制についても、ギリギリのラインを狙う・厳格にすぎる線引きは、実質的にみて(事実上)私たちの表現の自由の範囲を狭めることにつながってしまうものです ここでも、表現行為に係る萎縮的効果を考慮・重視して、ある程度の余裕を持たせておかないと、無難な表現ばかりが流通する社会になります
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ツリーの最初のツイートの「B」などの「害悪」(社会的害悪の「害悪」)は、上記伊藤補足意見でも使われています それから「B」の表現は放置してよいか?という点につき、ハードコア・ポルノ規制論は、「B」=萎縮的効果によって殆ど表現行為がなされなくなる範囲と捉えるので、弊害は小さいと考えます
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1976~82年に最高裁判事を務め、チャタレー裁判の弁護等に携わった環昌一先生は、権力者が表現の自由規制のための線引きをすることを「怖い」「非常に危険」と述べます 奥平康弘ほか「性表現の自由ーーその許容性をめぐって」奥平康弘ほか著『性表現の自由』(有斐閣、1986)1頁以下(37頁〔環昌一〕)↓
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“ビジネス(SDGs)と人権”の問題点は、法律による市民間の人権の調整のバランスを、私人(特に社会的影響力のあるの者や団体)が大幅に崩す場合があることだろう 企業は「炎上」抑制目的で、客や聴衆の人格権や諸利益を最優先し、雇用関係等にある者の表現の自由や労働者の権利等を犠牲にすることがある
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新聞広告は規約違反との国連機関の主張に対し、日経が反論しないのが不合理だという意見があるが、当該規約はネガティブチェックの趣旨の規定ではないのに、ネガティブチェックした上、一方的にマスコミに公表したのだから、日経は困惑しているだけでは? 国連機関が説明責任を果たしていないだけかと
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これを「自主規制」の話にすぎないと理解したとしても、自主規制としても極めて不合理・不公正な違反認定かつ一方的な公表行為といえます。(その詳細は以下のツイート・ツリーをご確認ください↓) twitter.com/YusukeTaira/st…
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①なぜ今回だけ運用を変えてネガティブチェックを行ったのか、その上②なぜ今回だけ一方的にマスコミに情報を「オープン」にして高度の炎上リスクを伴う行為を断行したのか、③違反認定にあたり一部のアドバイザーは意見を聴かれていないのはなぜか(手続の公正さの問題)など、国連機関は説明していない
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国連機関の関係者がたまたま問題視した広告があれば、また同じように、一方的に規約違反を認定され、本来は運用の異なるネガティブチェックをされて、その上一方的にマスコミに情報をオープンにされ、手続を踏まずに公表され、炎上して企業やその関係者への大ダメージとなる これまた繰り返されますよ
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本来契約を守らないなどの場合、協議等してまとまらなければ裁判になるわけですが、行政訴訟でいうと、マスコミへの記者会見は普通は市民側が行うもので、行政側は積極的には情報発信しないものです。しかし、今回の国連機関の情報公表行為は真逆。いきなり私人・私企業の情報を公表している。怖いです
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こんなことが今後も繰り返されれば、政府ではない国連機関が、事実上、国や自治体の行う行政処分以上の行為を行えるパワーを持つことになる。違反行為を一方的に認定、それをマスコミに一方的に公表する。炎上となる。私企業と私人は裁判で弁明する機会も一切得られず大ダメージ。適正手続など一切ない
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大げさとかではなく、もう普通に、立憲主義・法の支配とか、基本的人権の尊重とか、適正手続の原理とか、法治主義とか、そういった諸原則が全て崩れさっていき、中間団体(その団体に影響力を与える個人や少数の者)による「人の支配」を許す社会、そういった一部の者に怯えながら暮らす社会になりますよ
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政府は憲法と法律で(不十分ではあるものの)縛ることができても、国連の機関の行う一方的な違反認定→一方的な情報公表行為→炎上という作用には、事実上打つ手なしです…。「法の支配」から「人の支配」への退化を意味します 伊藤光晴・宇野重規ほか『高校現代社会 新訂版』(実務出版、2019年)78頁↓