平 裕介 Yusuke TAIRA(@YusukeTaira)さんの人気ツイート(古い順)

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③自主規制(自己規制とも言われることがあります)が表現の自由と関係のある問題であることについて、以下のツイートの阪口正二郎教授の解説も、分かりやすく、参考になります twitter.com/YusukeTaira/st…
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③念のためさらに「自主規制」が「表現の自由」と関係のある問題であることについて、以下のツイートの美術手帖の解説も参考になります。広く読まれるべき文献だと考えます。 twitter.com/YusukeTaira/st…
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④の点ですが、私人間(私人間効力)の問題であることは、憲法の人権規定を無視して良い理由にはなりません 憲法学における間接効力説(間接適用説)によれば、民事法の規定の解釈適用に際して、憲法の趣旨や価値を反映させることで私人間の人権保障の実現を図るべきと考えています(最高裁判例の立場です)
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(④の続き)そのため、私人間の話であるからといって、憲法21条1項の表現の自由が当然に関係なくなるという見解は、憲法学では一般的な考え方ではありませんので、そういった見解は問題です ちなみに、以前も、間接効力説(間接適用説)の考え方に関してツイートしています↓ twitter.com/YusukeTaira/st…
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最後に、⑤新聞の広告と、職場での「ハラスメント」が同じであるという趣旨のコメントもネットで見ましたが、紙谷雅子教授は、いわゆる囚われの聴衆の事案と職場でのハラスメントとを区別する立場を採っており(長谷部恭男ほか編『憲法判例百選第7版』(有斐閣、2019年)45頁↓)、妥当な立場といえます
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(⑤の続き)今回話題となった日経新聞の広告は、最高裁第三小法廷昭和63年12月20日判決(いわゆる「囚われの聴衆」事件判決)の事案よりも「囚われ」の度合いが弱いですし、あるいは「囚われ」の状態があると認定できるのかも議論がありうるでしょう。よって環境型セクハラと同じ事案と捉えるのは問題です
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ちなみに、上記の「囚われの聴衆」事件判決(最高裁判所第三小法廷昭和63年12月20日判決集民155号377頁・商業宣伝放送差止等請求事件)の伊藤正己裁判官の補足意見がとても参考になるので、同補足意見に関する以下のツイート・ツリーも、ぜひご一読いただけますと幸いです。 twitter.com/YusukeTaira/st…
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さらに⑤と関連することを補足すると、長谷部恭男ほか編『憲法判例百選第7版』(有斐閣、2019)45頁〔紙谷雅子教授〕は、「囚われの聴衆」事案における情報の送り手(受け手ではなく)の表現の自由について「聴衆の探索」という非常に重要な意義がある旨の指摘をしています これは非常に重要なポイントです
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以上より、①低価値表現・営利的広告にすぎない、②ゾーニング・TPOの話にすぎない、③自主規制、④私人間効力の話、⑤職場でのハラスメントと同じ、などといった各意見は、 今回の日経の広告の件が「表現の自由」の問題ではない、という主張を基礎づける合理的な理由となるものではありません
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他の方のツイートで流れてきて知ったのですが、このようなまとめサイト(の一種?)↓があるようです 平先生のゾーニングと表現の自由講座 togetter.com/li/1869267 #Togetter
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①国連女性機関「UN Women 本部」は日経新聞に「覚書などへの違反を指摘」し、月曜日のたわわの全面広告を「容認できない」と抗議 ②UN Women 日本事務所の石川所長「UN Women は…この…広告を掲載することに反対」 →①と②同時公表による“キャンセル・カルチャー”ですね huffingtonpost.jp/entry/story_jp…?
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キャンセル・カルチャーについて憲法学の観点から詳細な検討を加えた玉稿として、志田陽子「『表現の自由』のワインディング・ロード 『自由』をめぐる、ねじれと理路」現代思想50巻3号(2022年)65-79頁 今後日経への広告掲載が困難となれば、作品の著者は聴衆(読者)探索の機会を奪われることになる
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志田先生の論文では、法的・憲法的な観点からキャンセル・カルチャー(CC)の当てはめの類型的な分析のようなものはないので、結局は個別具体的な判断にはなるが、当てはめの一応の類型化の必要性が高くなってきたと感じる。少なくとも作品を書くなと言っていないからCC不該当だというのは不合理だろう
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作品を書いちゃダメとは決して言っていない、だからどうぞ自由に書いてね、などと言いながら、他方で、法的には禁止されていない表現内容について、覚書(漠然不明確かつ過度広汎な規定内容)を理由に、著者の表現を公衆に伝達する機会を事実上大幅に奪うよう働きかける行為は、CCと言うべきではないか
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さらに本件の疑問点だが、覚書違反と言いつつも、(覚書というのは契約だと思われるところ)覚書=契約に違反したと一方当事者が認めた場合には、当該一方当事者は、マスコミに公表し、インタビューに自由に答えて抗議できる、という内容の覚書なのか?違反の場合の効果の規定はどうなっているのか…
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客のクレームを受け安易に案内板表示を隠した例が分かりやすいですが、法とは異なるルール(SDGsもそれ)は、一部の思想・利益集団のクレームに引っ張られることがあるので、法より危うい面があるんですよ JR東日本 駅のロシア語案内板 覆い隠すも批判受けて元の状態に | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/2022…
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さらに、SDGs、人権DDという観点をあえて強調するとしても、表現の自由はSDGs、人権DDで無視・軽視されていいのか?という視点を忘れてはならないはず 表現の自由というのは地下に穴を掘って穴に叫ぶ自由ではない。多くの人に表現内容を伝達する自由なので、ゾーニングも表現の自由を制限するものです
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日経とUN Womenとの「覚書」の適用の問題にすぎないんだから……という意見もあるが、もし他の新聞等(朝日読売毎日産経、他の地方紙等)も同様の「覚書」を締結していくと、憲法で保障され法律で何ら制限されていない表現の自由を、私人が契約で自主規制でき、事実上の検閲ができることになるのですが…
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憲法で保障され、法律や条例で規制されていない・ゾーニング(場の)規制も一切ない表現の自由(憲法21条1項)について、法律・条例とは別のルールで、その自由を制限することは、逆に「多様な人々が共生する社会」を否定するものでは? (参考)宍戸常寿ほか編『法学入門』(有斐閣、2021)4頁〔宍戸常寿〕↓
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関連するツイート・ツリーはこちらです↓ twitter.com/YusukeTaira/st…
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特定内容の広告のゾーニング推進論の問題は「不愉快に思う人がいることが想定されるか」という漠然不明確で過度に広汎な基準。これでは(国家でもない)私人の主観によって、表現行為の場が広く奪われ、表現の自由が事実上制限されることになる 瀬地山角『炎上CMでよみとくジェンダー論』(2020)143頁参照
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①UN Women「本部」が日経に「覚書」等の違反を指摘し、特定の広告を容認できないと抗議した、というのは真に事実なのか?  ↓そうだとして、 ②抗議の事実を関係者が当然に公表(オープン)していい覚書等なのか?  ↓そうだとして、 ③「日本事務所」の所長が公表することを「本部」は了解したのか?
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①の抗議を当事者間で(公表しないで)行うことだけでも、(政府そのものではないとはいえ)権威のある「国連」機関が一私企業に対してする行為なのだから、事実上相当の圧力がある その上、これを②マスコミに公表し、全世界に知らしめる行為は、①とは次元が違い、より強い圧力をかけるものといえる
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また、②覚書等は、覚書等の違反があった(と一方当事者だけが認定する)場合に、抗議の事実を関係者が当然に公表(オープン)してOK!、という内容になっていたのか? もしそうなっていないとすれば、③「日本事務所」の所長が、日経新聞の名誉・信用に関わる事項を、勝手に公表したことにならないか?
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加えて、③UN Women「本部」は、同「日本事務所」所長がマスコミに「公表」(→全世界に拡散)することを了解していたのだろうか? 公表するとより強度の圧力になるので、権威ある国連機関として特に慎重に検討する必要がある。つまり、本当に、日本事務所所長が独断で公表する権限があったのだろうか?