最悪なことを最悪だと言うことに困難さがあるのは異常だし、他人の嫌悪感や不快感や傷を「これは我慢できるはず」とか「言うほどじゃない」とか品評しようとする人も気持ち悪いなと思います。それはあなたの傷じゃない。 #文学界に性暴力のない土壌を作りたい
生まれて初めてつくった俳句 @東京マッハ
仙台パルコで詩が旗に
嫌われることはふつうに仕事の一部なので、その分、自分の仕事を自分がちゃんと好きでなくてはならず、それは自分のファンになるとかではなくて(私は私の作風は好みではない)、自分の畑の作物を今年はよくできたって思えるかどうかみたいな意味で好きになるのが大事だと思っている。
ツイッターは俺のお気持ちを聞け!!!の世界だから悲しみ発信していく 負けない 躊躇なく発信する 永遠にやり続ける 悲しい!!!!悔しい!!!!虚しい!!!!よし!明日も叫ぶぞ!!!!
そもそも都合のいい作り手でい続けてくれるという期待がおかしいのではないか。作る人間が永遠に変わらないのはめちゃめちゃやばいことであるし(変わらないなら作らなくていいから)。変わっていくのは当たり前なのに、ただ合わなくなったではなく、作り手の心が云々な言い方をするのは消費じゃないの
作詞しました 「透明稼業」 作曲 水野良樹さん 歌 崎山蒼志さん 編曲 長谷川白紙さん 作詞 最果タヒ 24時間限定先行公開です youtu.be/v_q3gyInUZs
「言いたいこと」を「うまく」なんて言いたくないのである
愛は気持ち悪くていいと思うよ、気持ち悪いからこその愛だよ、でもその気持ち悪ささえも丸ごと愛だから受け止めてくれって愛した相手に求めることは、「愛する」とは逆のことだと思うよって話です。愛の気持ち悪さへの肯定を、愛の美しさと稀さを根拠に相手に請求するのは愛がないよ twitter.com/tt_ss/status/1…
ギネスビールさんとのコラボで、ビールを飲みながら読む詩の本を作りました。佐々木俊さんデザイン。蓄光インクで印刷してます。月をテーマにした作品です。 以下のクラウドファンディングで手に入ります。今日から受付開始です🍻(6月お届け予定) camp-fire.jp/projects/view/…
立ち直れない。こんなことになるぐらいなら仕事すっ飛ばして(だめ)見に行けばよかった、などと思う私は愚か者。仕事はとても大切、推しにとっての舞台も仕事だし、私も自分の仕事を頑張ることが最低限の礼儀、だと信じて頑張ります。何が言いたいのかは私も良く知りません、たぶん「つらい」です。
詩の観覧車からの景色。 (HEP FIVE 7階から乗れます)
4/7から丸善ジュンク堂書店さんにて「最果タヒ書店」をやらせていただきます。池袋と梅田にて〜。詩のパフェグラスとか、詩のグッズもたくさん作ることになりました!デザインは佐々木俊さんです。
オシャレ云々のこと昔書いたな〜と思って読み返そうと思ったらURLごと消えていた。いや本には収録されているんだが……なぜ著者までサイトで読もうとするのか、それはわからない。エッセイ集『コンプレックス・プリズム』収録です↓ 「わたしのセンスを試さないでください。」
2/1らへんに詩集が出ます! 『不死身のつもりの流れ星』 これまでの展示の詩なども入ってます。 デザインは佐々木俊さん。PARCO出版 。 🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠🌠
言葉を書く時に大事にしてるのは自分が誰よりもその言葉に確信を持つことです。メリークリスマスと書くなら本気で今はクリスマスだと思って書く。冬だろうが「夏だ、」と書き出した時は視線の先に夏の光が見えてなきゃいけない。
詩集『死んでしまう系のぼくらに』の重版が決まりました。10刷です。じゅっ……?すごいね……ありがとうございます。この本を作っている時(あんま売れる自信がなくて)これが最後の詩集になるかも、と思っていたんだよなあ……
私は自分が好きなものに対して、かなり心の全てを注ぎ込むのでそんなの絶対将来恥ずかしくてたまらなくなるとわかっているのですが、恥ずかしくない過去など一秒もいらんわと思ってしまうのです。過去の自分には別人にしか思えないぐらい突き抜けていてほしい。今も過去も支離滅裂に全力でいてほしい。
本物の愛なら、美しい愛なら、尊いのだから、愛された側はそれを受け入れなければならないなんて恐ろしい発想だなと思います。
自分のことを好きな人のことは好意的に見なければならない、という価値観、嫌いすぎて法で禁じてほしい。他人がそういうのにさらされているの見るだけで心臓がギュッてなる。
愛してるって気軽に言いたいな、このパンおいし……愛してしまう……などの文脈で。書き言葉ならともかく、話し言葉としてはあまり言わない感覚がある。対象を絞りすぎて鋭くなったこの言葉を取り戻したいなぁ、私はもっとたくさんのもの愛してるのになって思うから。
美しい言葉が口からこぼれたとしても、それが誰かの耳のところまで流れていくためには美しさだけでは許されない、風や鳥の力を借りて種子が運ばれていくように、人の息吹や、生活の名残りや、忘れられた怒りの力を借りることもあるだろう。同時代性というのもそうだし、季語もまたある一つの風だ。
舞台に立つ人たちの無念さについて考えるし、何よりそれがまず一番しんどいけど、それとは別に見たかったという観客としてのしんどさもあって、ファンとしての「心配だな」の気持ちとは別に、舞台を愛し舞台に日々を豊かにしてもらっていた人間としての大切なものが奪われた悲しみは、あるんですよね。
見てて思い出した。「風立ちぬ」について昔書いたエッセイ。『「好き」の因数分解』という本に収録されてます。
才能云々の話が好きだったのは17歳ぐらいまででそれからはこういう類の話には「うるせえな空は才能で青いのかよ」と思うようになった。