R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

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スレッドにします。 長崎県中央部に位置する大村湾。外海とは針尾瀬戸によって僅かに繋がるのみで、あたかも巨大な湖のようである。その湾内には多数の離島が存在するが、情報極少の謎多き離島は少なくない。そのうちの一つ、僅かニ世帯の有人島である『竹ノ島』に行ってみた。
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かつて、萩市の沖合には、6つの島で構成された六島村(ろくとうそん)という村があった。6つの島のうち、尾島を45年前の航空写真で眺めた。海岸近くに身を寄せ合うかのように家屋が立ち、内陸には青々とした畑が広がる。鮮やかな色彩を持つ島は、何故売却されたのか。令和4年春、尾島に渡った。
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バス停で待ち続ける案山子たち。しかし、このバス停にバスが来ることはない。S.55年に13世帯35人あった集落の人口は、現在2世帯2名。地域に押し寄せる過疎化の波。今ではこの地域の人口を合わせても、案山子の数より少なくなってしまった。一体、地域はどこへ向かってしまうのか。
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『何故ここにバス停があるのか』 人気のない山の中にバス停がある。しかも、乗り降りする人がいないような場所だ。山中の道路を走っているとき、このような場面に出くわすことは多い。では、何故バス停があるのか。その答えは険しい谷間の先に隠れていた。
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『鶴江の渡し』こと『市道 浜崎鶴江線』 水の都・萩に残る手漕ぎの渡船。橋のない地区を結ぶ、地区住民の大切な足だ。生活に密着した渡船で、且つ手漕ぎの渡船は、国内に殆ど残っていない。しかも、渡船と言っても市道扱いなので料金はかからないのだ。
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『日本三大酷道』を検証してみた。 国道418号線、425号線、439号線は、日本三大酷道と呼ばれることがあります。実際にそうなのでしょうか。まずは、数値で考えてみました。
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島から消える耕作地。人の手によって造られた美しい緑色は、荒れた緑色へと変わった。国内の有人離島は416島。この島もそのうちの一つなのである。
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田丸集落への訪問は困難だと思っていた。しかし、半年前、"とある方"にコンタクトを取らせていただいてから話は進んだ。"とある方"とは、御主人が田丸出身のRさんである。今回Rさんから伺った内容、更に後日、西祖谷山村の方々から伺った内容について、リンク先に纏めます。 drive.google.com/file/d/1WNHEHs…
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石鎚村からは人の営みが消えた。今回訪れた黒川集落がそうであったように、住人のいなくなった集落はただ朽ち果てるのを待つばかりだ。村民の方々は、村の衰退を食い止めるために色々な努力をした。しかし、それも叶わなかった。過疎化の先に待つ未来。石鎚村は、その未来に辿り着いたのだ。
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キリシタン集落にあった失われた教会。多くのキリシタン集落がそうであったように、集落は険しい地形にあり、耕地には恵まれなかった。そのため、高度経済成長期の人口流失は激しく、昭和50年代に集落は消滅した。今では教会は崩れ去り、ここが教会だと知る人は殆どいない。
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人里から遥か離れた奥山。樹齢800年とも言われる大木の下には小さな集落があった。地図からは消え、人の記憶からも消えようとしている集落。住人はいなくなってしまったが、今も森の主が住んでいた。
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それでも、最近になって島の再生を目指して若い方が移り住まれた。待ち受けるのは苦難の道かもしれないが、島の未来を切り開くのは若い力だ。行き着く先は無人の島か、それとも島の再生か。『八島』は今、正念場を迎えている。
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『滑走路のあった島』 約100年前、僅か4日で滑走路が作られ、飛行機が飛び立った島。この小さな島のどこから飛び立ったのか。航空写真に写る緑の島からは想像できない。多くの人が暮らし、キャンプ地として賑わった過去もあるが、今は住む人もなく、波の音だけが聞こえる静かな無人島だ。
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『相島小・中学校 尾島分校』 朽ちゆく校舎。M.18年開校、S.40年廃校。S.40年、萩市は僻地教育の欠陥を補う目的で、市街地に寄宿舎を創設した。親たちも理解を示し、島の分校は廃止され、子供たちは寄宿のために島を出た。このことが島売却の引き金になるとは、誰にも想像できなかった。
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高島訪島は終わった。しかし、これで終わることはできない。聞き取り会での内容を纏め、記録として伝えなければならない。そう思い、一つの資料を作成した。リンク先にアップしたので、そちらを参照ください。(見れない方はご連絡ください) drive.google.com/file/d/179GoG3…
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『何故、人々はその島に住み続けたのか』その謎を追いかけるために、小さな孤島へと渡った。島の姿は小さいかもしれないが、島に込められた元島民の方々の想いはとてつもなく大きかった。
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以上で石鎚村の『黒川集落』についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、お話を伺わせていただいた東之川出身の方にはお礼申し上げます。なお、石鎚村については、今回の訪問では時間が足りなかったため再訪する予定です。
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スレッドにします。 三遠南信自動車道の青崩峠トンネル(仮称)の見学会に行ってきた。青崩峠トンネル(4998m)は、長野県側は小嵐トンネル、静岡県側は池島トンネルの名前で建設が進められている。今回は、長野県側の見学会に行ってきた。
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『赤瓦の美しい家屋が立ち並ぶ』 航空写真で見つけた山中に孤立した集落。現住は一世帯二名。しかし、集落は多くの人に支えられ、昔ながらの姿が残る。航空写真、ネット上では分からない風景がそこにはあった。
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スレッドにします。 紀伊半島の山の中、小さな村の小さな団地。航空写真で見る限り、同じ一軒家が立ち並んでいる。そして、その約8km上流の山奥に位置する集落。急峻な谷間にいくつかの家屋が点在している。それらは共に"瀬戸"という。何故二つの"瀬戸"があるのか。川上村の『瀬戸集落』に行ってみた。
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酷道471・472号の楢峠。峠付近は、紅葉が最盛期を迎えています。峠の気温は2℃。冬はすぐそこまで来ていました。
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『闇へと伸びる吊橋』 その吊橋は見るからに頼りなく、できることなら渡りたくない。しかし、渡らなければ闇の中は分からない。闇に向かって一歩を踏み出す。
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『実走!酷道・険道のまとめ』を大幅改訂しました。リンク先にアップしましたので、どうぞご利用ください。(Googleドライブ:22MByte) drive.google.com/file/d/1X6jIW6…
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『衰退から消滅へ』 地図に描かれた建物の記号。ここに描かれた全てが無住だ。S.35年1008世帯4175人いた住人は、現在39世帯59人。村の中心はダムで沈み、地域を支えた基幹産業は時代と共に消えた。今、この地域に残るのは僅かな暮らしだけだ。もはや地域の衰退ではない。地域の消滅である。
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河口集落から約800メートルの場所にある『虎杖(いたずり)集落』。僅かな期間、この集落には石鎚村の役場があった。いわゆる村の中心部であったのだが、今は住む人もおらず、怨念に満ちた農協跡が残るのみだ。ここから黒川集落への車道は無いため、登山道とも言える山道を辿ることになる。