R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

76
『龍宮城は物語の中にだけ存在する』それは間違いだ。ここで、兵庫県が誇る龍宮城をご覧ください。
77
スレッドにします。 天竜川の支流の中でも最高の清流として知られる万古川。その下流部、蛇行を繰り返す場所に気になる集落がある。一番近い駅の飯田線為栗駅からは遠く、車道からも随分離れている。更にネット上の情報も少ない。長い歴史を誇り、落人が興したとも言われる『万古集落』へ行ってみた。
78
三遠南信に残る生きた鉱山の『三信鉱工』。手作業で敷設した5kgレールが伸びる。大規模な鉱山ではないため、多くの作業は手作業なのだ。
79
『無人島』 美しい海岸線の先に深い緑が生い茂る。しかし、過去の航空写真には、学校、グランド、そして多くの家々が立ち並ぶ。島の姿はどこに消えたのか。それらは全て緑の中に消えたのだ。
80
『国道とは』 国道とは、国が政令で指定した道路である。そうなんです。
81
『この道使うべからず』そう言わんばかりに、標識の行き先が消されている。R471・472の楢峠の冬季閉鎖が解除された。早速行ってみると、沿道は釣り客で賑わっていた。
82
『出生数0の自治体』 国内の総人口が減少している中、出生数0の自治体も出てきている。特に、野迫川村にいたっては、2019年、2020年、2021年と3年連続出生数0だ。このままでは自治体が消滅してしまう。子供がいなければ、未来は築けない。
83
島民たちが尾島を売却するに至った要因は多々あるが、その発端は『子供たちが島を出た』ことだった。更に言えば、寄宿とはいえ、子供たちが島から出た時、尾島の運命は決まったのだ。『売られた有人島』緑に覆われた尾島の姿。それは子供たちが出ていった島の『未来の姿』だった。
84
それは40年前の航空写真を眺めていた時だった。山の中に不思議な集落があることに気がついた。集落は尾根筋に存在し、いくつもの家屋が綺麗に密集していた。それにも関わらず、現在の地理院地図、航空写真の双方からその存在が消えているのだ。この集落は一体何なのか。
85
スレッドにします。 『小さな火山島』その島は時間厳守の島として知られ、六島憲法とも呼ばれる島の掟のもと、勤勉で団結力のある島だった。今、人口減少により島の人口は1人となったが、故郷の島の再生を目指し、島おこしに励む姿がある。小さな火山島の今を記録するために、『六島』を訪れてみた。
86
潰れた茅葺き家屋。電灯は無人の集落を照らす。炭焼き、養蚕を業合としてきた山間の集落。集落が無人になったのは5、6年前という。首都から僅か60km。それでも人はいなくなった。
87
『素晴らしい集落内の道』 十津川村の奥まった場所にある集落。現住は2世帯。空き家も多いが、美しい山村の風景が残っていた。
88
無人島に描かれた『行くあてのない道』 これは一体何を示すのか。島には、戦前は要塞、戦後は戦争孤児の施設が作られた。そして、地図に描かれた道は軍道であり、トンネルは弾薬庫等の軍事施設だったのだ。今ではウミネコが飛び交う自然豊かな無人島だが、地図には今も戦争の記憶が記されている。
89
素人質問ではありますが、ご教示ください。地理院地図において、無人になっても記載が残る集落があります。その一方で、地図上の記載すら消滅している集落もあります。無人となった集落を地図に残す、残さないの基準はあるのでしょうか。
90
日本有数の巨大ダムである佐久間ダム。S.31年に完成した際、富山村中心部より下流の集落は全てダムに沈んだと思っていた。それは間違いだった。ダム湖面より上の集落は沈まずに済んだのだ。地図に示す場所にも沈まずに済んだ集落があった。しかも、今も神社が残り、集落出身の方が時々来ているという。
91
国道168号、十津川村長殿地区で土砂崩れです。迂回路はありません。ドライブ、ツーリングの方はご注意ください。 twitter.com/XulPTjMQqb3CSk…
92
『過疎』という言葉が生まれた町の今。広がっていた耕作地の殆どは緑に埋もれた。製鉄、林業、農業、そのいずれもが衰退してしまった。50年前に120人いた住人は、現在1人を残すのみだ。『匹見町七村集落』
93
『集落を見下ろすように冬季分校が立つ』 S.40年代まで、この集落は雪で外界から隔絶された。集落内には家屋が立ち並ぶも、住むのは老夫婦の1世帯のみだ。緩斜面に広がる耕作地は、その殆どが放棄されている。獣害が酷いのだろうか。そう老夫婦にお尋ねした。すると意外な答えが返ってきた。
94
以上で尾島についてのツイートは終わりです。大変お世話になりました船長、お話を伺わせていただいた萩市の方々、及び上陸を許可いただいた尾島の所有業者様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。(今回の尾島上陸にあたり、所有業者様に上陸許可をいただきました)
95
こうして地図にしてみると、紀伊山地、四国山地、三遠南信等、国内でも『秘境』と呼ばれる地の多くは、中央構造線沿いに位置することが分かる。
96
山の中にひっそりと佇む観音堂。この地に住む人はいなくなった。四国東部。市街地から約30km離れた深い山の中。1300年前から槙寺の存在していた由緒ある地。時代とともに消えゆく姿がここにはあった。
97
『たったの10年』で住人は随分と少なくなった。紀伊半島南部、古座川町最奥部にあたる小森川集落。現在の住人数は高齢者が3名。神事を行うことすら困難になった。美しい川の流れに、風格ある神社。そして人々の営み。深い山奥に残るこの美しい風景も、いずれは過去のものになっていく。
98
『地方ブロック別でみると、今後「10 年以内に消滅」あるいは「いずれ消滅」と予測されている集落の割合が最も高いのは四国圏である』 それは、あながち間違っていないだろう。
99
島民たちが尾島を出たことについて、民俗学者の宮本常一氏はこう書かれている。『子供たちが教育のために島から出てゆき、もう再び島へ帰らないとすれば、親たちもこの島でいつまでも苦労する必要はない。そこでついに全員、島を離れる申し合わせをしたいという』(宮本常一著『私の日本地図13』より)
100
『八妙神社』 変わった形の鳥居…ではなく、鳥居は崩れかけていた。これでは、鳥居が崩れるのも時間の問題だろう。その先にある『八妙神社』も無残な姿を晒していた。人の手が入らなくなってから久しいようだ。この荒れ方からすると、既に他の神社に合祀されているのかもしれない。