R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

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今、赤穂根島に常住する人はいなかった。出作りが行われていた耕作地も、殆どが放棄地へと変わっていた。それでも、町長ご夫妻が家畜の世話のために通われている。過去、ご夫妻は赤穂根島に住み、有機無農薬の自給自足農業に取り組まれていたが、現在は町長職もあり、島からは離れられているのだ。
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中井侍集落。飯田線の中井侍駅として有名だが、それ以上に、集落遠望が素晴らしすぎるのだ。緑の美しい茶畑に、斜面に切り開かれた感、家屋の配置、整然としたガードレールの傾き具合など、これだけ整った山村風景は少なくなりつつある。
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以上で徳久保集落についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、徳久保について調べてくださった水窪協業センターのご担当の方、及びお話を伺わせていただいた区長ご夫妻にはお礼申し上げます。
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三遠南信の航空写真を眺めていた時、はるか山奥に何かが見えた。よく見ると建物のように見えるが、地図には見当たらない。その立地から山小屋程度に考えていたが、調べてみると、ここには集落があったというではないか。徳久保(とっくぼ)と言われる集落は、一体どのような集落だったのだろうか。
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赤穂根島には戦国時代に砦があり、S.26年頃までは数世帯の居住もあった。居住者がいなくなった後も出作りが続けられていたが、今は人の気配がしない。沿道にある果樹園や田圃は、いずれも荒れ地と化している。S.55年からは出作り用に週一程度でフェリーがあったが、とうの昔になくなったようだ。
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古地図に描かれた大入集落の一軒家。続報がありました。やはり家屋跡があったようです。しかし、あの険しい大入集落から更に山の中に、何故一軒家があったのでしょうか。何か理由があったのかもしれません。 chunichi.co.jp/article/445241
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恐怖の道はまだまだ続く。転落防止設備が全く無いわけではない。最近補修した跡もある。それでも、眼下で砕け散る波の轟音が安心感を打ち消すのだ。晴れた日にこの状態では、風雨の日はさぞ恐ろしい状態だろう。恐怖の道を2キロほど進んだ頃、断崖の先に"波消しブロックに守られた平地"が見えてきた。
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前回のスレッドのツイートから随分間隔が空いてしまいました。現在、山の集落と、離島のスレッドを並行して準備中です。5/21ツイート目標で進めています。他、各地の現地調査も進めています。順次スレッド化していきますので、今しばらくお待ち願います。