R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

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『馬岡五社神社』 斜面の上には立派な神社があった。集落の規模と同様に大きな神社だ。建物はくたびれつつあるが、綺麗に手入れされていた。現住の方、或いは元住人の方が手入れされているのだろうか。その手間暇を考えると本当に頭が下がる。神社でお参りを済ませ、小祖谷集落を後にした。
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杉峰集落から4.5km地点に頑丈なゲートがある。車で入れるのは此処までで、先は歩くことになる。林道は未舗装だが、国有林が絡むためなのか、異様なくらいに立派である。また、岩獄山への登山道にもなっているので、所々に案内標識があり迷うことはない。約4kmほど歩くと、小俣集落への分岐が現れる。
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この一帯に住むのは僅かに6人。最奥の集落に至っては、お婆さん一人だ。それでもお婆さんは『私は元気よ。大丈夫』と仰って、栄養ドリンクを渡してくれた。先日の台風でこの地区は孤立した。最初は残っていたお婆さんも、町からの再三の要請で山を降りた。今の時代、山で暮らすことは容易ではないのだ
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ご存じの方、ご教示ください。1枚目の建物は何と呼べば適切でしょうか。社?祠??その他???次のスレッドのネタ元ですが、何と言えばいいのか悩んでいます…
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風花の舞う頃、大入集落へと向かった。集落の入口まで、開かずの県道(古真立佐久間線)を約6km歩く。花崗岩の渓谷は垂直に切り立ち、道路から河床までの比高は30~50mと恐ろしく深い。一方で、道路は荒れているものの、それほど酷い状態ではない。河川設備保守のために最低限整備されているのだろう。
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五木村は、平家の落人、或いは源氏一門が住み着いた村と言われる。嶽集落の始まりは分からないが、焼畑のために人が住み着いたと考えられる。その後、人々が集まり、この地に落ち着き、ムラ(集落)を作った。それから長い年月、嶽の人々は幾度の災害や厳しい環境の中で焼畑の暮らしを続けてきたのだ。
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美しき流れの球磨川。しかし、球磨川をはじめとして、大雨災害により全国各地で大きな被害が発生しました。被害を受けられた皆さま方に、謹んでお見舞い申し上げます。
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林鉄の通っていた伊尾木川沿い。美しい流れに沿って、今も多くの遺構が残る。しかし、この流域沿いにあった村は、林業の衰退により壊滅状態である。唯一のアクセス路にある多くの集落は殆どが無人だ。唯一、30km先の最奥の集落にのみ僅かな住人が残る。集落の消滅どころでは無い。地域の消滅が進行中だ
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以上で赤穂根島についてのツイートは終わりです。今回、お世話になりました船長、及びお話を伺わせていただいた町長ご夫人にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。
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車はないが船はある。車道はないが海路はある。その島は、多くの入り江で構成され、複雑な海岸線はまるで迷路のようだ。日本の有人離島は416。未だに情報の少ない島も多い。西彼町の『前ノ島』もそのうちの一つである。
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以上で高島についてのツイートは終わりです。今回ご協力いただいた島民の方々、益田市役所のKさん、船長、そして同行いただいた百島氏(@momoshima_jun)、及び鎌手地区自治会のTさん、他1名には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
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戦後、ムラは大きく変わった。ムラだけではない。ダンナとムラの人々の関係も、焼畑の暮らしも、その殆どが変わった。変わらないのは、ムラの記憶だけだ。『地図に描かれた神社記号』たとえ神社がなくとも、地図上の記号は無意味なものではない。そこにあったムラの姿を今に伝える大切な記号だった。
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『ネズコの巨木』 徳久保集落を見下ろすかのように、ネズコの巨木が聳えていた。樹齢は800年と言われ、鎌倉時代から徳久保の地を眺め続けている。ネズコの巨木を見学するために色々な人がやって来たそうだ。徳久保に住む人がいなくなっても、ネズコの巨木は何も変わること無く、この地に残り続ける。
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分岐からは、急に道が荒れ出した。車両が通った形跡は全く無い。その理由はすぐ先にあった。路面を支えていた鉄骨が落ち、道がごっそり無くなっているのだ。脇の斜面は急斜面で登れず、川床までは高さがあり降りることもできない。僅か数十メートル先に小俣への橋が見えている…万事休すか…
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一旦集落へ戻り、畑の方へ向かってみた。島の平坦地には葉タバコ畑が広がっていた…はずだが、それは過去のことである。今は、僅かな耕作地が残るのみで、殆どが耕作放棄地という名の荒れ地になっている。どうやら、航空写真(2008年)に見えた耕作地は、大部分が放棄されてしまったようだ。
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かつて、大入集落へ向かう道には、浦川からの尾根道と、東薗目からの山越え道があった。浦川道は馬も通れたが、東薗目からの道は『ゆーごーの吊り橋』という恐ろしい吊橋を渡る必要があった。S.29年に、県道の前身となる大入林道が開通したが、その頃には大入に住む人は殆どいなくなっていた。
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荒れ地にある轍を追ってみる。平坦地の先には断崖、そして海があるのだが、平坦地がどこまでも続いているような錯覚に襲われる。轍の終わりは小さな果樹園だった。ここまで来ると、集落内では消えていた波の音が聞こえる。荒涼とした風景が広がる。無人島化していく島の過程とはこのことだろう。
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以上で堂平集落についてのツイートは終わりです。今回お聞きしたお話について、リンク先に纏めます。最後に、いろいろお世話をいただいたKさん、お話を伺わせていただいた長谷寺、堂平関係者の方々、畑山のお婆さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。 drive.google.com/file/d/1EHTlRV…
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『落ちたら死ぬ』 急斜面を下る迂回路。人一人がやっとで通れる幅だ。眼下には小俣川が轟々と流れる。高さがあり、落ちてしまえば登り返すことはできない。それでも、トラロープや足元の丸太など、転落防止にはならないが通行できるように整備されている。車道の崩落後に造られた迂回路のようだ。
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『落ちたら死ぬ』 波の砕ける轟音が響く。海面までの高さは約100メートル。断崖に伸びる道は限りなく頼りない。高さのある道路は全国各地に存在する。しかしこの高さで、遮るものはなく、幅員は極めて狭く、下は荒れた海というシチュエーションはなかなか無い。一言で言えば『落ちたら死ぬ』だ。
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午後になる頃から海風が吹き出し、波が出てきた。港には、午前中に無かった自家用船が係留されていた。島民の方は、この船で本土との間を行き来されている。既に櫃島に常住する人はいない。ここにあるのは住民票だけだ。港でしばらく待っていると迎えの渡船がやってきた。
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先日の豪雨被害で母屋が倒壊してしまいました… 阿賀の国指定重文・五十嵐家住宅が倒壊、豪雨の土砂崩れで|新潟日報デジタルプラス niigata-nippo.co.jp/articles/-/981…
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国道371号 高野龍神スカイラインが崩土のため通行止めです。迂回路はありますが、山道に慣れていない人にはオススメできません。 twitter.com/nanzanbou/stat…
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『船引き場』 迎えの船で、船長が『船の引き上げ場だった』と教えてくださる。島でも唯一断崖の切れる辺りに、小さな防波堤で守られた船引き場があった。有人時代、高島には船を寄せる箇所が3箇所あった。船着き場、ワニノウチ、そしてこの船引き場で、船を引き上げることができるのはここだけだった。
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以上で大入集落についてのツイートは終わりです。大入訪問にあたり、大変お世話になりました東栄町教育委員会様、お話を伺わせていただいた東薗目地区のOさん、そして花祭に関して色々ご教授いただいた花祭りだのんさん(@kawagggg)には、この場をお借りしてお礼申し上げます。