R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

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15日間で29m掘り進みました。残り95mです。
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出生数1の自治体ともなれば、これだけ増える。平谷村や笠置町の出生数の少なさは意外だった。
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S.38年、未曾有の水害によって前述の横手谷は大崩壊を起こし、多くの人命を飲み込んだ。その後も災害は続いた。S.50年、五木村は防災・利便性向上を目的に白水団地を作り、中道、入鴨、嶽集落を集団移転しようとした。中道、入鴨では集落に留まる人がいた。一方で、嶽は全戸移転したのだった。
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『小祖谷集落』 中祖谷の中心的集落である小祖谷集落。しかし、多くの家屋は廃屋と化し、住人の姿はない。そもそも、今も中祖谷に残る住人は極めて少ない。少なくとも、小祖谷、坂瀬以外の集落は全て消滅集落と化している。幸いにも、"とある"お宅でお婆さんにお話を伺うことができた。
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断崖絶壁に無理やり作られた恐怖の離合スペース。峠から先、離合できる箇所は極めて少ない。更に、転回できる場所となると殆ど無い。この道に入ったら最後、ひたすら前に進むしかないのだ。道もいたるところで崩れている。そのような状態でも、真新しい轍が残る。轍の主は一体誰なのだろう…
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集落の神社は地理院地図に載っていない。雰囲気が素晴らしい。
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1975年と2014年の航空写真。あまりの変わりように驚いた島がある。熊本県牛深市(現・天草市)中心部の西方に位置する大島。『うしま』とも呼ばれ、多い時には400人近くの人口があった。しかし、S.49年12月5日を境に、大島に住む人はいなくなった。過去の航空写真に写る町並みはどこに消えたのか。
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『狭すぎる険道』 ネットやメディアには、酷道・険道の難易度に関する情報が溢れている。しかし、そのような情報に惑わされてはいけない。酷道・険道の難易度を決めるのは自分自身だ。
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更に時は過ぎ…春の初め、再び高見の団地にやって来た。高島で撮影した写真を島民の方々にお渡ししたいと思い、団地取りまとめ役のNさん宅を訪ねたのだ。しかし、残念ながらNさんは不在であった。とりあえず写真は置いてきたが、また団地を訪れることにしよう。団地の桜は美しく咲いていた。
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『入鴨谷』 嶽集落からの帰路、聞き込みのために入鴨谷へ向かった。入鴨谷沿いの集落群はどこも空き家が多く、土砂に埋もれた家もある。いずれの集落にも人影はなく、聞き込みすることはできなかった。それならばと村役場を訪ねたところ、嶽は白水団地へ集団移転したと情報を得ることができた。
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県道に戻ってきた。この急斜面の先に集落があったとは全く想像できない。何故、険阻な渓谷の真っ只中に住む必要があったのか。確かに、昔は山の恵を求めて山奥に住むことが珍しくなかった。それでも、これほどの険しい場所に住む必要はないだろう。何かしら大きな理由があったのではないか。
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『大鶴津・小鶴津集落』 大海原の圧倒的な力強さに対して、その存在はあまりにも小さかった。結局、両集落とも無住化した。しかし、無住化後の両集落は対照的であった。例え無住化しても、人の手が入り続ければ集落の姿は残る。言い換えれば、人の手が入らなくなった時、集落の姿が消えていくのだ。
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奥三河に位置する東栄町。養蚕と林業を中心とした産業は落ち込み続け、1万人を超えていた人口は、現在約3000人。それでも、町に元気を取り戻そうと活躍される方々がいる。この体験会は、東栄町の地域おこしの一環として2015年から行われ、鉱山見学は毎週第2土曜日に開催されている。
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R168の『天辻峠』が快適になる。現在、新道建設への準備が着々と進められている。トンネル3箇所(一番長いトンネルで4969m)、橋梁3箇所になる予定だ。紀伊半島の入口とも言える天辻峠。完成した暁には、紀伊半島中央部へのアクセスが向上する。完成するのはまだまだ先だが、今から期待が持てる。
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モノレールを辿って小さな集落へと向かう。そこに人が住んでいるのか、いないのか。これだけ便利な世の中でも、現地でなければ分からないことは数多く存在する。
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牛達の邪魔にならないように、そそくさと島を去る。常住者のいない赤穂根島は、そのうち完全な無人島になるのだろうか。それは分からない。というのも、上島町には本州・四国に接続する上島架橋構想が存在し、車道が赤穂根島を通る可能性もあるのだ。実現した暁には、赤穂根島は変化するに違いない。
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標高760mの嶽集落からは、遠くの山並みがよく見える。電気が通じたのはS.39年。高所ゆえ、水は少なかったという。そのような環境下で、6戸は協力して焼畑の暮らしを営んでいた。南向きの立地で農作物がよく育ち、周辺の集落からは羨ましがられた。それでも、嶽の人々は山を下りざるを得なかった。
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足場の悪い斜面を登り切ると、旧来の山道が現れた。現在の地図からは消えているが、東薗目地区から大入集落へ向かう道だ。当時の面影を残す山道は、尾根を回り込みながら高度を上げる。周囲の地形は険しい。標高470m付近で痩せ尾根上を通ると、一息つける平場に出た。集落まであと僅かのはずだが…
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『トラバース』 平場の先が核心部だった。実に頼りない踏み跡が急斜面を横切っている。足元は切れ落ち、体を支えるものも無い。足を踏み出すと、とにかく足元が滑る。おまけに、倒木が邪魔をする。まさに恐怖のアスレチックだ。距離にして100m程であるが、斜面に体重を預けながら慎重に進んだ。
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25の離島から構成される愛媛県の上島町。赤穂根島は、この上島町に属している。赤穂根島は元々岩城村であったが、平成の大合併により、現在は上島町となった。上島町は、しまなみ海道の直ぐ側にある町だが、他の市町村に繋がる橋は存在しない。要は、船以外の手段では辿り着けない離島の町なのである。
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天まで続く石垣。過去には、彼方此方で見ることができたであろうこの光景。その多くは森へと還り、今ではすっかり少なくなってしまった。
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某巨大掲示板の酷道・険道リスト時代から、約15年ほど酷道・険道を纏めてきました。最近では動画でほぼ全ての険道が網羅され、すっかり便利になりました。なお、pdfデータは後日配布となります。転記、再配布等に制限は設けません。ご自由にお使いください。それでは、どうぞ安全運転で!
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『島が無人になる時』、その時は人知れず訪れます。五島の黒島が無人化しました。ぽつんと一軒家で放送されていた島です。 在りし日の島影(26)四半世紀前に写した黒島の光景に時の流れを振り返る【寄稿|島旅作家・斎藤 潤】 ritokei.com/voice/26474 @ritokeiより
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崩れた場所はここです。関西圏から十津川へ向かうには広域迂回が必要になります。
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地理院地図に見える神社のマーク。そこには一体何があったのか。 今回は大入集落のスレッドをご覧いただきありがとうございました。次のスレッドを何処にするのかは決めていませんが、5月中を目処にツイートする予定です。しばらく先になりますが、どうぞお待ち願います。