R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

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薄明かりに高島の島影が見えてきた。まるで人を拒絶するかのような断崖に囲まれている。何とも恐ろしい島だ。断崖は、島の南側で10m、北側にいたっては40mもの高さがある。かつてこの島には人の営みがあった。それが事実だと分かっていても、ここに広がる風景からは全く想像することができない。
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『船着き場』 船の舳先から巨岩に飛び移って高島に上陸する。高島に港はない。あるのは小さな船着き場だけだ。現在の船着き場は集団離島後に整備されたもので、それ以前は更に小さな船着き場だった。S.41年の灯台建設前は船着き場すらなく、波のタイミングを見て岩場に飛び移るしかなかった。
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長い歴史を誇り、今も多くの人を魅了する小俣集落は、朽ち果て、土砂の下へ埋もれようとしていた。今後も背後斜面の崩落が続くことが予想され、集落が埋め尽くされるのも時間の問題だ。そう遠くない未来、小俣集落は名実ともに『幻の集落』となり、伝説の一つとして語り継がれていくことだろう。
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『小俣集落』 確かに、小俣集落は崩壊していた。正確に言えば、背後斜面の崩壊により、多くの家屋が土砂に埋まっていたのだ。今も家屋の残る小俣。その殆どは木々に覆われてしまったが、比較的最近まで手入れされていた土地もあった。しかし、流れ込んだ土砂は、その土地をも埋め尽くしてしまった。
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深いV字谷の続く祖谷渓。その途中に、ケーブルカーで行く露天風呂が有名な祖谷温泉がある。谷間に立つ一軒家の周囲には、深い山々が広がるばかりだ。しかし、それは表向きの話である。とても想像できないが、かつてこの深い山々の中には集落があった。そして、今も人の営みの跡が残っているのだ。
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日本の島ガイドの代表ともいえるSHIMADAS(日本離島センター編集)を眺めていた時だった。『人口2人』の島がある。その項には、"有人化"、"無人化"、"人口2人"と書かれている。この3つのキーワードを結ぶものは何なのだろうか。その答えを確かめるために、赤穂根島へと向かった。
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倒壊してから間もない家屋。集落内は、ほぼ全ての家屋が倒壊し、一軒の蔵だけが残っていた。家屋跡を見る限り、どの家も立派な作りをしている。集落の環境は厳しくとも、暮らしは豊かだったようだ。離村後、山の手入れで通われる方もいたが、今では通う人もなく、集落の痕跡は静かに消えつつある。
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教えていただいた内容を画像に纏める。町長ご夫妻は、無人化していた赤穂根島に住み、「赤穂根学舎」という自給体験施設を立ち上げられた。その後、諸事情もあり島を離れたが、完全に離れたわけではない。"有人化"、"無人化"、"人口2人"この3つのキーワードは、町長ご夫妻の活動を示していたのだ。
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かつて祭礼時に『当渡し』という行事がありました。神社の祭の当家四人と、次の当家四人が集まり、当渡しを行います。その際、ゆでた葉っぱを重箱に入れ、二人ずつお椀に酒をついで飲む。これを3回繰り返します。今では、集落の過疎化で行事は廃れ、行事のことを知るのはお婆さん1人になっています。
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『五木の子守唄』の発祥地として知られる五木村。熊本県の南部、川辺川沿いに位置する。現在の人口は、490世帯1025人。村全体が山岳地帯のため、村内の集落は川沿いの僅かな平地、または緩斜面上に存在している。目指す嶽集落は、村の中央部、入鴨谷から標高差で300m上方の山上にある。
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『石切集落』 当然ながら小俣集落に住人はいない。それならばと、帰り際に石切集落に寄って小俣についての聞き取りを行った。見事な桜が咲くお宅があったので声をかけてみた。すると、お婆さんが出てこられた。『亡きお爺さんの育てた木で、今も大切にしているだに』(画像は許可をもらって撮影)
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多くの方がバスを待っていました。林業で賑わったこの地域ですが、今では無住化した集落が多くなりました。今回は、雨が酷くて聞き取りもできませんでした。いずれ再訪します。
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石切集落が無住化してしまいます。いずれこうなると感じていましたが… twitter.com/kendou774/stat…
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素人質問となりますが、ご存じの方、教示願います。地理院地図には徒歩道表記があります。この徒歩道表記を載せる基準はあるのでしょうか。また、徒歩道が廃道の場合もあります。何故、今も記載が残っているのでしょうか。
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階段を登った先には、緑のトンネルが待ち受けていた。それは未知なる島への入口のようであった。緑のトンネルは、深い木々によって薄暗く、その中を道が続いていた。草が刈られているところを見ると、灯台の保守のために使用されている道のようだ。脇には空き瓶が転がっていた。
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『天狗の降りる木』 神社の脇に栂の巨木が倒れていた。倒れてから時間が経ち、苔生している。この木では飯塚八天狗が翼を休めたという。それ以外にも、花山天皇が御自作したと言われる木像、元々神社のあった古屋敷の謎など、大入にはいくつもの伝説が存在している。更には、花祭とも深い関係がある。
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『実川集落』 会津風土記には『飯豊・高森等の高山東北に峙ち寒早く暑遅く、双びなき幽僻の地にて本郡東北の村落ここに窮る』と書かれる。集落へ至る道は険しく、谷も恐ろしく深い。それでもS.31年には31戸200人近い住人がいた。近年は発電所を雇用の場としていたが、発電所自動化により閉村に至る。
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小俣集落に1時間ほど滞在した後、帰路に就く。対岸の林道から小俣方向を眺めると、小俣が土砂に埋もれた原因が見えた。集落背面の稜線直下で大崩壊が発生し、大量の土砂が集落内に流れ込んでいたのだ。この様子は航空写真でもはっきりと見ることができる。
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ご存じの方、ご教示ください。この樹皮剥ぎは熊でしょうか? (明日スレッドをツイートします。少々お待ちください)
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小俣集落は、春野町(現・浜松市)を流れる気田川の支流、小俣川沿いに位置する。近隣に集落は無く、一番近い人里からは約4km離れている。先の京丸集落にいたっては、約8kmも離れている。小俣川の形成する谷間は深く険しく、地理院地図を見るだけでも、小俣の隔絶性を容易に想像することができる。
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少々早いですが、今年のツイートはこれを最後とさせていただきます。今年一年、ツイートをご覧いただき、有難う御座いました。また、ツイートの頻度低下・返信が遅くなり申し訳ありませんでした。来年は早々に田丸集落のスレッド、酷道・険道pdfの改訂版配布を予定しています。それでは良いお年を。
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時は過ぎ…秋の初め、夜明け前の大浜漁港に4人のメンバーが集まった。百島氏(@momoshima_jun)、鎌手地区自治会のTさん、他1名、そしてR774。渡船は大浜から出る。高島は磯釣りのメッカであり、平日であるにも関わらず、多くの釣り客がいる。この釣り客に混じって高島へと向かった。
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87歳のお婆さんはこう仰った。『現在の石切は三世帯四名。営林署があった頃は三十世帯あった』、『茶畑と林業をやっていた。営林署にも手伝いに行った』、『お爺さんは先生で、石切の学校にも行っていた』、『子供は街に出た。今は一人で暮らしてる』、『体に気をつけて、元気にしないといけないだに』
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島の至るところに大きな穴が空いている。オオミズナギドリ(ウガチ)の巣穴だ。高島には様々な動物が住み着いていて、巨大な蛇を見た人がいるという。有人時代は、犬、兎、鶏、ヤギなどを飼っていた。もちろん、猫もいた。今でも山猫が住んでいて、岩場に子供を生んでいるそうだ。
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島に平坦地はないが、灯台の西側にヘリコプターが着陸できるくらいの開けた場所があり、畑が広がっていた。しかし、今では緑に埋め尽くされて見る影もない。そして、船長から頼まれた梅の木も探し出すことができなかった。人の手が入らなくなった土地は、緑に侵食されてしまう運命なのだ。