R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(リツイート順)

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『柵に囲まれた島』 人口8人の島。島の集落を囲むように柵が二重に立つ。猪から集落を守るためだ。10年前まで猪のいない島だった。しかし、今は猪が爆発的に増加し、畑を荒らし、人に危害を与えている。以前お聞きした話を思い出す。『昔は猿や猪を檻に入れて見世物にした。今は人間が見世物になった』
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『野武士の墓と甘藷塚』 灯台へ向かう道の脇には、野武士の墓と言われる観音岩と、芋代官の井戸正朋を尊う甘藷塚がある。高島のルーツには、出羽武士の亡命説、出雲馬木城武士の漂流説、茶臼山城水軍の逃亡説の3つの謂れがある。何れにせよ、戦国時代に逃げ落ちた武士が住み着いた説が有力である。
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かつて萩六島(大島、羽島、肥島、櫃島、尾島、相島)は、いずれの島にも住人がいた。しかし、羽島、肥島、尾島の3島からは住人が消え、島は人が住む以前の姿に戻りつつある。そして今、櫃島も同じ道を辿ろうとしている。『一枚の航空写真』に隠されたもの。それは徐々に消えゆく島の姿だった。
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島民数13人の美しい島。島内にある大きな家々は、移住した人たちの仕送りで建てたのだという。しかし、その多くは荒れ果てた。島の区長は仰る。『もし病気になった時、誰かの船で行く。今までは若かったから時化でも船を出した。歳を取るとそれができなくなる。口で言うもんじゃない。現実は厳しい』
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カーナビ、スマホがなかった時代の酷道・険道走行とは。
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ご存じの方も多いと思いますが、熊本県牛深の烏帽子坑跡です。熊本県は、山も海も素晴らしく最高です。
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『一体の狛犬』 集落の神社は潰れ、一体の狛犬が取り残されていた。もう一体の狛犬は何処へ行ったのか。約40年前に無住化した大きな集落。どの家も立派な作りで、豊かな集落だったと想像できる。しかし、豊かさがあっても時代の流れには敵わなかった。今も残る家々は辛うじて当時の姿を留めていた。
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高知県東部。人口減少の激しい地区にある立派な神社。知名度はそれほど高くないのだが、巨木と荘厳な雰囲気が素晴らしい。このような素晴らしい神社が気取ることなく地域に溶け込み、地域住人の方々から大切にされているのが高知県のいいところだ。
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ご存じの方、ご教示願います。大嵐駅と小和田駅の間の徒歩道、ZENRIN地図にはトンネル?が描かれています。このトンネルは実在するのでしょうか。20年近く近隣地図を眺めてきましたが、先日になって気がつきました。山と地図さん(@Yama_Chizu )の全国Q地図(とても便利!)にも載っていませんでした
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その存在を示すかのように、小さな祠を日が照らす。かつて、ここには神社があった。集落から人が離れて50年。離村後に植えられた木々は、集落を覆い隠すかのように大きく成長した。当時は車道もなく、交通手段は川舟だった。そのような地であっても、元住人の方はこう仰るのだ。『ここは宝の山だった』
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地理院地図の航空写真でも上位に入る美しさ。その美しさに惹かれて、現地へと向かう。集落には多くの家屋が立ち並ぶが、住人数は5戸5人。住人数の減少により村営バスは廃止され、多くの耕作地が放棄されていた。航空写真に写っていたのは、厳しい現実だった。
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この立派な家屋は五十嵐家住宅。宝暦9年建築。現在は重要文化財に指定されています。集落はS.47年に閉村しましたが、その後も無積雪期には住人の方が戻ってきていました。それにしても実川集落の祖は、よくぞこの場所に住み着こうと思ったものです。
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生徒達が走り回っていた校庭には木々が生い茂っていた。教員は2人、生徒は多い時で30人ほどだった。このような僻地では、教育環境を本土並みに整えることは困難であった。それでも、教員の方々は少しでも良い教育を受けさせようと奮闘した。そして、子供達はどこまでも純粋であった。
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『櫃島分校』 萩市立大島小学校櫃島分校(S.40年廃校)。市内の浜崎町に寄宿舎が整備されたことにより廃校となった。集落の家屋に比べて建物の傷みは少ない。近年は倉庫等として利用されていたようだ。島からは人がすっかりいなくなってしまったが、桜は何事もなかったかのように咲いていた。
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船着き場に戻り、迎えの船が来るまでの間、本土を眺めた。不思議なことに、本土から見る高島はとても遠くに見えるが、高島から見る本土はすぐそこに見えるのだ。高島の伝承として有名な『お伊勢物語』にある通り、泳いで渡れると思った"おイセ"の気持ちがよく分かる。近くて遠い島。それが高島なのだ。
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『八幡宮』 樹齢数百年のリュウキュウエノキに囲まれて社殿が立つ。御神体は既に無く、もぬけの殻であった。島民の方によると『(御神体は)既に移動した』ということだった。それにしても倒木が直撃したのだろうか、悲しいくらいの荒れ方だ。見捨てられた神社は見守る人もなく、このまま朽ちていく…
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今回、トラックは富山県側から入って脱輪しています。去年も、トラックが富山県側から入って脱輪しています。確か、富山県側には大型車通行不能の看板が無かったような・・・いずれにせよ、この場所は谷底まで高低差があり、落ちたら死にます。脱輪で済んだのは不幸中の幸いだったと思います。
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『高島分校』 コンクリートブロック造りの校舎は無残な姿を晒していた。木造の講堂にいたっては姿を消していた。全島民の離島時に廃校となった益田市立鎌手小学校・中学校の高島分校。元々は集落の入口にあった2階建ての民家を校舎としていたが、老朽化によりこの校舎がS.37年に建てられた。
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終了にあたり、今までのデータはpdf化して配布させていただきます。現在、配布準備をしていますので、しばらくお待ち願います。
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お知らせです。5/21(日)に小値賀町六島で草刈りボランティアが開催されます。現在、参加していただける方を募集中です。人口僅か一人の島ですが、島民の方は、島の起こしのために日々頑張っておられます。そんな島起こしのお手伝いとなります。DM、返信をいただければ、詳細を連絡させていただきます。
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工事期間が妙に長いので、もしかすると・・・と思って確認したところ、未舗装区間は今年度工事で全て舗装するとのことでした。国道から未舗装路がなくなりますが、都道府県道にはまだまだ未舗装路があります。引き続きお楽しみください。
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暗闇の中、渡船3隻が並んで高島へと向かう。これら渡船の船長は高島関係者でもある。乗船した船の船長からはこう伝言される『灯台のそばに梅の木がある。どうなっているか見てきてくれ』 ※高島には高島関係者以外、無断で上陸することはできません。また、危険な箇所も多数あります。
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この後、近隣地域での聞き取り中、赤い三連星に追いかけられました。何処に行っても、動物に追いかけられている気がします・・・
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以上で小俣集落についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、小俣集落について問い合わせさせていただいた浜松市春野協働センターの方々、お話を伺わせていただいた杉峰集落の方、そして石切集落のお婆さんにはお礼申し上げます。
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廃屋が立ち並ぶメインストリート。どことなく風鈴の音が聞こえてくる。どの家屋も立派な造りをしているが、その殆どが荒れ、無住化してからの月日を感じる。また、多くの蔵には乾燥機があり、葉タバコ栽培が盛んであったことが窺える。人影は無く、唯一真新しい櫃島交流施設だけが異彩を放っていた。