R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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『道が無い』 嶽集落まで距離はあるが、車であれば時間はかからないだろう。そう思っていた矢先、目の前の道が無い。道が綺麗に落ちていた…まだ1kmしか進んでいないが、早くも嶽への訪問は断念なのか。冷静になって周囲を見渡す。やはりあった。危なげな法面の上に、はっきりとした足跡が続いている。
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45年前、嶽集落に車道は無かった。しかし、最近の航空写真では真新しい林道が見える。この道を辿れば、嶽に向かうのは難しくなさそうだ。国道445号から林道に入る。舗装はすぐに途切れ、ダート路面が続く。真横を流れる横手谷は激しく荒れ、砂防ダムに大量の土砂が堆積している。一体何があったのか。
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『五木の子守唄』の発祥地として知られる五木村。熊本県の南部、川辺川沿いに位置する。現在の人口は、490世帯1025人。村全体が山岳地帯のため、村内の集落は川沿いの僅かな平地、または緩斜面上に存在している。目指す嶽集落は、村の中央部、入鴨谷から標高差で300m上方の山上にある。
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何故ここに神社記号があるのか。地図を見てそう思うことがある。この神社記号もそうだった。山上の神社記号を過去の航空写真、古地図と照らし合わせる。すると、『嶽(たけ)』という集落が現れた。現在の地図では集落が消え、神社だけが残されているのだ。現状を確認すべく、嶽集落へと向かった。
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スレッドにします。 『地図に描かれた神社記号』それは必ずしも神社を示すとは限らない。九州山地の奥深く、かつて33人のダンナ衆が大きな影響力を持っていた村。この村の人里離れた山上にある神社記号は、今は無きムラの姿を示すという。山上の神社記号を確かめるため、『五木村』へ行ってみた。
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『衰退から消滅へ』 地図に描かれた建物の記号。ここに描かれた全てが無住だ。S.35年1008世帯4175人いた住人は、現在39世帯59人。村の中心はダムで沈み、地域を支えた基幹産業は時代と共に消えた。今、この地域に残るのは僅かな暮らしだけだ。もはや地域の衰退ではない。地域の消滅である。
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こんな場所に集落があると、気になって仕方がない。
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『集落が一つ消えた』 2本の巨木がその歴史を物語る。古くは交通の要衝として番所が置かれ、その後は林業で栄えた集落。しかし、林業の衰退とともに人は去り、ついに集落は終焉を迎えた。今も残る集落の姿は、いずれ消えゆく運命にある。
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『焼畑のムラ』傷んだ観音堂の中には、500年前の十一面観音像が祀られている。そして、裏の急斜面を登った先、鍾乳洞の中には弁財天が祀られている。これほど魅力的な場所でも、観光客は殆ど来ない。次のスレッドのために、再度この村を訪れました。7月初旬~中旬ツイートまで暫くお待ち願います。
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モノレールを辿って小さな集落へと向かう。そこに人が住んでいるのか、いないのか。これだけ便利な世の中でも、現地でなければ分からないことは数多く存在する。
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『日本三大酷道』を検証してみた。 国道418号線、425号線、439号線は、日本三大酷道と呼ばれることがあります。実際にそうなのでしょうか。まずは、数値で考えてみました。
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岐阜県側、集落跡の標識を登っていくと、熊野神社跡があります。話は変わって、『日本三大酷道』という言葉があります。R418、R425、R439と言われてきましたが、時代とともに道路整備が進み、そろそろ見直しの時期に来ていると思います。個人的には、このR471・472も三大酷道に入れたいところです。
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これでも天下の国道か。長らく『開かずの国道』と言われてきた国道471・472号線の楢峠。今年も冬季閉鎖が解除されました。楽しい峠道ですが、これが国道と言うから、酷道・険道属性の方には堪らないのです。もちろん、落ちたらただじゃ済みません。どうぞお気をつけて。
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遠い昔、村の中心だったという集落。その面影はどこにも無い。集落内に人影はなく、鶏だけが鳴き続けていた。次のスレッドは、山の上にある集落になります。今から準備を始めますので、7月初旬~中旬にツイート予定です。
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1975年と2014年の航空写真。あまりの変わりように驚いた島がある。熊本県牛深市(現・天草市)中心部の西方に位置する大島。『うしま』とも呼ばれ、多い時には400人近くの人口があった。しかし、S.49年12月5日を境に、大島に住む人はいなくなった。過去の航空写真に写る町並みはどこに消えたのか。
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スレッドにします。 『無人島の半世紀』緑が生い茂るこの島に、多くの暮らしがあったことは想像できるだろうか。立ち並ぶ家屋、広がる畑、学校と校庭、過去の航空写真に見える暮らしの姿は、何処にも残っていないのだ。人々が集団離島してから半世紀を迎える無人の島。牛深市『大島』の今を記録する。
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そこに暮らしは残るのか。便利になった現代においても、たったそれだけのことが分からない。信州の山中にある集落に、人の姿を見かけることはなかった。
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酷道・険道における理想と現実とは。
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ご存じの方も多いと思いますが、熊本県牛深の烏帽子坑跡です。熊本県は、山も海も素晴らしく最高です。
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明治30年に造られた『海底への入口』。丁寧に造られたものは、何年経ってもその姿が残る。
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集落の神社は地理院地図に載っていない。雰囲気が素晴らしい。
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『素晴らしい集落内の道』 十津川村の奥まった場所にある集落。現住は2世帯。空き家も多いが、美しい山村の風景が残っていた。
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地理院地図に見える神社のマーク。そこには一体何があったのか。 今回は大入集落のスレッドをご覧いただきありがとうございました。次のスレッドを何処にするのかは決めていませんが、5月中を目処にツイートする予定です。しばらく先になりますが、どうぞお待ち願います。
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今回の大入資料中で触れた行方不明の【太刀(菊一文字)】について補足します。Oさんの本には、『戦後刀剣類の提出を免れるために山中に隠す(盗掘される)』とあります。しかし、元東栄町長は、本の序文でこう書かれています。
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以上で大入集落についてのツイートは終わりです。大入訪問にあたり、大変お世話になりました東栄町教育委員会様、お話を伺わせていただいた東薗目地区のOさん、そして花祭に関して色々ご教授いただいた花祭りだのんさん(@kawagggg)には、この場をお借りしてお礼申し上げます。