R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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『山の暮らし』 それは大都市のそばにもあった。近年まで東京都に存在したモノレール集落。ここでは長い年月、山の暮らしが営まれていた。しかし、時代とともに人々は集落を去り、遂には無人の集落と化した。住人の大事な足であったモノレールも撤去された。今、山の暮らしは急速に失われつつある。
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今回Tさんにお聞きした内容、更に周辺地区で聞き取りした内容は、大変貴重なものでした。それら内容がツイートに収まりきらないので、リンク先のPDFファイルに纏めます。ご覧になれない方は連絡をお願いします。(PDFファイル:101MByte) drive.google.com/file/d/1ku72IF…
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スレッドにします。 『八軒以上に増えない集落』それは姫の怨みだとも伝えられる。愛媛県の奥深く、既に住む人はなく、最新の航空写真からも姿が消えた集落がある。しかし、今も地図に残るその集落は、かつての街道沿いにあり、長い歴史を誇るというのだ。伊予三島市『元之庄』集落の今を記録する。
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探しものは身近にあることが多い。しかし、それに気づけないことも多々ある。七百年を超える歴史を持つ集落。その存在を確かめるために集落に向かった。しかし、目的のものは見つからなかった。が、写真で見ると写っていた……遅くなりましたがスレッドの準備が整いました。日曜日にツイートします。
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『闇へと伸びる吊橋』 その吊橋は見るからに頼りなく、できることなら渡りたくない。しかし、渡らなければ闇の中は分からない。闇に向かって一歩を踏み出す。
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『これでも都道だ』 人口1396万の大都市 東京都。日本の中心とも言える東京都の道路であっても、それが立派とは限らない。
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潰れた茅葺き家屋。電灯は無人の集落を照らす。炭焼き、養蚕を業合としてきた山間の集落。集落が無人になったのは5、6年前という。首都から僅か60km。それでも人はいなくなった。
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この後、近隣地域での聞き取り中、赤い三連星に追いかけられました。何処に行っても、動物に追いかけられている気がします・・・
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『くぐれない鳥居』 大部分がダムに沈み、主要産業であった鉱山が消えた地域。今、地域に残る人は、ほんの僅かだ。その地域で山の中を彷徨うこと2時間。そこに現れたのは、人々の記憶から消えた神社だった。
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今回のスレッド作成にあたり、ご協力いただきたいことがあります。この画像に書いてあることが何となくしか分からないのです。具体的に何と書いてあるのか解読いただけないでしょうか。
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スレッドにします。 険しい山峡に位置する飯田線の大嵐駅。この大嵐駅を航空写真で眺めた時、駅からそう遠くない場所に、二軒の家屋らしきものが見えたのだ。古地図には『西山』とあるが、最新地図に表記は無く、一棟の建物だけが描かれている。『最新地図に表記の無い集落』の今を確かめてみた。
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『山中にあった不夜城』 「発電機でできる電気が使いきれないので、村中に電球を付けまわり夜中でも延々と照らした結果、不夜城と呼ばれた」という話が印象に残る集落。気象環境が厳しく、高度成長期に離村。今、不夜城の姿は影も形もない。
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早川町にある『落ちそうで落ちない』稲又川橋が堆砂で埋まったようです。上流に崩壊地があるとはいえ、川床を数メートルも上昇させる土砂の量は物凄い。twitter.com/kendou774/stat…
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ご存じの方、ご教示願います。大嵐駅と小和田駅の間の徒歩道、ZENRIN地図にはトンネル?が描かれています。このトンネルは実在するのでしょうか。20年近く近隣地図を眺めてきましたが、先日になって気がつきました。山と地図さん(@Yama_Chizu )の全国Q地図(とても便利!)にも載っていませんでした
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バス停で待ち続ける案山子たち。しかし、このバス停にバスが来ることはない。S.55年に13世帯35人あった集落の人口は、現在2世帯2名。地域に押し寄せる過疎化の波。今ではこの地域の人口を合わせても、案山子の数より少なくなってしまった。一体、地域はどこへ向かってしまうのか。
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酷道・険道走行の4原則とは
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中井侍集落。飯田線の中井侍駅として有名だが、それ以上に、集落遠望が素晴らしすぎるのだ。緑の美しい茶畑に、斜面に切り開かれた感、家屋の配置、整然としたガードレールの傾き具合など、これだけ整った山村風景は少なくなりつつある。
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『残された太鼓』 飯田線の"とある"駅から急な斜面を登ること30分。知る人の無い小さな集落がある。進む過疎化により、地域にあった集落の多くは無人化した。この集落も例外ではなかった。ぽつりぽつりと立つ家屋は、ただ朽ちていくの待つ。集落が森に消えゆく中で、神社は当時の面影を残していた。
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数年ぶりに、紀伊半島を堪能できるとして知られる酷道425号が全線通行可能になりました。全線走破するならお早めにどうぞ。(時間帯通行止めがあります。また、12/20から一部区間が冬季閉鎖されます)
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スレッドにします。 『炭を焼くと黄金ができた』高知県幡多地域に伝わる炭焼き又次郎の伝説。全国各地に存在する炭焼き長者伝説の一つだ。いくつもの山道が描かれた地図。この何処かに、又次郎の炭窯があったという。伝説の炭窯を確かめるために、又次郎ゆかりの地である『城の川』集落に行ってみた。
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酷道471・472号の楢峠。峠付近は、紅葉が最盛期を迎えています。峠の気温は2℃。冬はすぐそこまで来ていました。
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その集落に近づくと、深い霧に包まれた。集落は昭和の終わりに無人となり、朽ちた家屋が僅かに残る。それでも、集落内には立派な石碑や祠が立つ。一つや二つではなく、数多く立っているのだ。何故これほどまで多くの石碑や祠を建てるのか。そう不思議に思ったが、長居できる雰囲気ではなかった。
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素人質問となりますが、ご存じの方、教示願います。地理院地図には徒歩道表記があります。この徒歩道表記を載せる基準はあるのでしょうか。また、徒歩道が廃道の場合もあります。何故、今も記載が残っているのでしょうか。
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『一軒家の残る集落』 富山県の或る集落を2年ぶりに訪れた。美しい集落の姿は、2年前のままであった。常住する人はいないが、今も元住人の方が通われる。応仁2年、祖先が飛騨国高原郷から移住し、この地を拓いた。集落は一軒だけになってしまったが、550年とも言われる歴史は途絶えることなく続く。
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スレッドにします。 『離れ島』農地が広がる小さな島。今から45年前、この島の人口は約100人だった。19年前、島が新聞に取り上げられた時、人口は16人になっていた。そして最近の国勢調査で、遂に人口は1人となった。本島から僅か300mの距離にある離島の現状を確かめるために、『横島』に行ってみた。