R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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『島が無人になる時』、その時は人知れず訪れます。五島の黒島が無人化しました。ぽつんと一軒家で放送されていた島です。 在りし日の島影(26)四半世紀前に写した黒島の光景に時の流れを振り返る【寄稿|島旅作家・斎藤 潤】 ritokei.com/voice/26474 @ritokeiより
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この集落は本当によく雨が降る。麓で晴れていても、集落では雨が降っていることが多い。その雨が豊かな森林資源を生み、沢山の人たちが暮らしていた。しかし、それは全て過去のことだ。
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2人になった集落で行われるささやかな祭礼。このような小さな祭礼には、何故か惹かれるものがある。
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先日の豪雨被害で母屋が倒壊してしまいました… 阿賀の国指定重文・五十嵐家住宅が倒壊、豪雨の土砂崩れで|新潟日報デジタルプラス niigata-nippo.co.jp/articles/-/981…
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『臥蛇島(がじゃじま)』 絶海の孤島。その言葉はこの島のためにある。島の地形、環境はあまりにも厳しい。それでも、長年暮らし続けてきた人々がいたのだ。S.45年集団離島。百島さん@momoshima_junツイートにあるリンク先のPDF資料(十島村作成)は必見です。この資料は本当に素晴らしい。
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『地図に道が書かれていても、そこに道があるとは限らない』
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『何故ここにバス停があるのか』 人気のない山の中にバス停がある。しかも、乗り降りする人がいないような場所だ。山中の道路を走っているとき、このような場面に出くわすことは多い。では、何故バス停があるのか。その答えは険しい谷間の先に隠れていた。
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『鹿も猿も来なくなった』のだと。時代とともに集落から人が減り、それとともに耕作地も減っていった。ついには、集落にご夫婦だけとなり、作物は作られなくなった。すると、動物達は集落に来なくなったというのだ。
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『集落を見下ろすように冬季分校が立つ』 S.40年代まで、この集落は雪で外界から隔絶された。集落内には家屋が立ち並ぶも、住むのは老夫婦の1世帯のみだ。緩斜面に広がる耕作地は、その殆どが放棄されている。獣害が酷いのだろうか。そう老夫婦にお尋ねした。すると意外な答えが返ってきた。
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こっそりお教えします。 『ヤマビル対策にはサラテクト!!』 これを足元に「ブシュー」っとスプレーします。「プシュ」ではなく「ブシュー」です。足元がベッタリするくらい思いっきり吹き付けます。すると不思議、ヤマビルが近寄らなくなるのです。
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この立派な家屋は五十嵐家住宅。宝暦9年建築。現在は重要文化財に指定されています。集落はS.47年に閉村しましたが、その後も無積雪期には住人の方が戻ってきていました。それにしても実川集落の祖は、よくぞこの場所に住み着こうと思ったものです。
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『実川集落』 会津風土記には『飯豊・高森等の高山東北に峙ち寒早く暑遅く、双びなき幽僻の地にて本郡東北の村落ここに窮る』と書かれる。集落へ至る道は険しく、谷も恐ろしく深い。それでもS.31年には31戸200人近い住人がいた。近年は発電所を雇用の場としていたが、発電所自動化により閉村に至る。
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まさにこの地形の集落だ。東北でも有数の険しさを誇る渓谷沿いにあり、冬季になれば雪で交通は遮断される。遥かに奥深いこの地で、800年近い歴史を持つ集落であったが、S.47年に人々は山を降りた。今でも僅かに残る建物が当時の姿を想像させる。
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『何故ここに建物があるのか』 地理院地図に建物の記号が一つ描かれている。たったそれだけのことだが、こんな立地では気になって仕方がない。
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蒼い海と小さな島。島の分校が休校になってから12年。分校は再開されることなく廃校となった。今、島に住むのは4人。島の現状は、島のあちこちで感じ取ることができる。それでも、島民の方々はとても明るく、優しかった。この島にあったのは寂しさでも侘しさでもない。『小さくも美しい島の姿』だった
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石切集落が無住化してしまいます。いずれこうなると感じていましたが… twitter.com/kendou774/stat…
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今回、トラックは富山県側から入って脱輪しています。去年も、トラックが富山県側から入って脱輪しています。確か、富山県側には大型車通行不能の看板が無かったような・・・いずれにせよ、この場所は谷底まで高低差があり、落ちたら死にます。脱輪で済んだのは不幸中の幸いだったと思います。
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この辺りで脱輪しています。楢峠区間で最も険しい箇所です。
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酷道471・472号の楢峠。去年に続いて、今年もトラックが突っ込み脱輪してしまう。現在通行できませんのでご注意を。 twitter.com/hirokun_shisho…
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『小さな小さな猫の島』 60匹を超える猫達が気ままに過ごす。漁業で栄え、かつては300人あった人口も、現在では13人。定期船もなければ、観光スポット的な場所もない。島には静かな時間が流れ、時折猫の鳴き声が響く。何も無い島という人もいるけども、この島には『純粋な島の魅力』が溢れているのだ。
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『対岸に描かれた集落』 豊富な雪解け水が流れる大河。この大河を挟んだ100m先には集落があるはずだ。しかし、対岸に渡る橋は無い。どのように集落に向かうのか。その謎を紐解くうちに見えてきたのは、川と共にあった暮らしと、消えた祭祀の存在だった。
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以上で尾島についてのツイートは終わりです。大変お世話になりました船長、お話を伺わせていただいた萩市の方々、及び上陸を許可いただいた尾島の所有業者様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。(今回の尾島上陸にあたり、所有業者様に上陸許可をいただきました)
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島民たちが尾島を売却するに至った要因は多々あるが、その発端は『子供たちが島を出た』ことだった。更に言えば、寄宿とはいえ、子供たちが島から出た時、尾島の運命は決まったのだ。『売られた有人島』緑に覆われた尾島の姿。それは子供たちが出ていった島の『未来の姿』だった。
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島民たちが尾島を出たことについて、民俗学者の宮本常一氏はこう書かれている。『子供たちが教育のために島から出てゆき、もう再び島へ帰らないとすれば、親たちもこの島でいつまでも苦労する必要はない。そこでついに全員、島を離れる申し合わせをしたいという』(宮本常一著『私の日本地図13』より)
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様々な想いの中、島民は尾島を売却し、本土に移住することを決めた。島民は、島の市・県による買収、買い手の斡旋などを市に要望し、S.47年10月全島民が島を出た。その後、島は入札を経て、7600万円で落札された。尾島は現在も開発されていない。落札した業者によれば、今後も開発予定はないという。