R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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石鎚村は、愛媛県の東予地方、石鎚山の麓にあった。元々は千足山村と呼び、S.26になって『石鎚村』へと改称されたのだ。その後も、S.30に小松町に合併され、更にはH.16年に西条市に合併されて今に至っている。
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色々調べていくうちに、その集落は『黒川集落』と呼び、既に住人がいないこと、そしてこの地域にあった『石鎚村』も、住民が僅か1人になっていることが分かった。現在の石鎚村、そして黒川集落はどうなっているのだろうか。今回は、石鎚村にあった集落のうちで、『黒川集落』へ行ってみることにした。
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それは40年前の航空写真を眺めていた時だった。山の中に不思議な集落があることに気がついた。集落は尾根筋に存在し、いくつもの家屋が綺麗に密集していた。それにも関わらず、現在の地理院地図、航空写真の双方からその存在が消えているのだ。この集落は一体何なのか。
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スレッドにします。 『村が消えた』緑に覆われる山々。そこに人の営みは見られない。しかし、ここには村があった。多い時には1300人を数えた住民は、今はたったの1人だ。消えた村の現状を確かめるために、『石鎚村(現・西条市)』へ行ってみた。
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『狭すぎる険道』 ネットやメディアには、酷道・険道の難易度に関する情報が溢れている。しかし、そのような情報に惑わされてはいけない。酷道・険道の難易度を決めるのは自分自身だ。
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集落から子供たちの声が消えて随分経つ。四国山地でも特に険しいこの地域。現在の住人は僅かに2世帯3人。子供たちの声だけでなく、いずれ住人の姿も消えるだろう。
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まるで神殿の様に、斜面の上方まで石垣が聳えていた。愛媛県の山の中。多くの人が行き交った参拝道。その沿道に集落はあった。多くの参拝者で賑わった集落は、ロープウェイができたことで運命が決まった。今、この集落に住む人はいない。ただ朽ち果て、『無』になるのを待つばかりだ。
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スレッドにします。 山梨県の山奥にある"落ちそうで落ちない橋桁"。元々ここにあった橋は度重なる土砂災害で埋没し、結局は橋桁だけが絶妙なバランスで残った。この橋は林道用であったが、トロッコが通っていたという未確認情報もある。その情報を確かめるために早川町の『硯島地区』に行ってみた。
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【山間部の道路標識】 一般の人には不安を煽るアイテムでも、酷道・険道ユーザーにとっては安心させられるアイテムなのだ。寧ろ、何もない方が怖い。
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スレッドにします。 『無双連山』地理院地図を眺めていた時、かっこ良すぎる山名が目に留まった。更に、その山の麓には小さな集落があるではないか。人里からは遠く離れ、深い谷間に位置する集落は、まるで隠れ里のようだ。どのような集落か確かめるために川根本町の『小猿郷集落』へ行ってみた。
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スレッドにします。 三遠南信自動車道の青崩峠トンネル(仮称)の見学会に行ってきた。青崩峠トンネル(4998m)は、長野県側は小嵐トンネル、静岡県側は池島トンネルの名前で建設が進められている。今回は、長野県側の見学会に行ってきた。
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スレッドにします。 紀伊半島の山の中、小さな村の小さな団地。航空写真で見る限り、同じ一軒家が立ち並んでいる。そして、その約8km上流の山奥に位置する集落。急峻な谷間にいくつかの家屋が点在している。それらは共に"瀬戸"という。何故二つの"瀬戸"があるのか。川上村の『瀬戸集落』に行ってみた。
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林鉄の通っていた伊尾木川沿い。美しい流れに沿って、今も多くの遺構が残る。しかし、この流域沿いにあった村は、林業の衰退により壊滅状態である。唯一のアクセス路にある多くの集落は殆どが無人だ。唯一、30km先の最奥の集落にのみ僅かな住人が残る。集落の消滅どころでは無い。地域の消滅が進行中だ
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山の中へと車を走らせる。次々と現れる集落。しかし、そのいずれもが無住の集落だ。学校も、郵便局も、商店も、全てが無用の長物と化していた。一時間ほど走った頃、ようやく人の気配のする集落に辿り着いた。それでも住む人はごく僅かだ。過疎化の進む地域は多いが、これほど酷い地域はなかなか無い。
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スレッドにします。 長崎県中央部に位置する大村湾。外海とは針尾瀬戸によって僅かに繋がるのみで、あたかも巨大な湖のようである。その湾内には多数の離島が存在するが、情報極少の謎多き離島は少なくない。そのうちの一つ、僅かニ世帯の有人島である『竹ノ島』に行ってみた。
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車はないが船はある。車道はないが海路はある。その島は、多くの入り江で構成され、複雑な海岸線はまるで迷路のようだ。日本の有人離島は416。未だに情報の少ない島も多い。西彼町の『前ノ島』もそのうちの一つである。
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この一帯に住むのは僅かに6人。最奥の集落に至っては、お婆さん一人だ。それでもお婆さんは『私は元気よ。大丈夫』と仰って、栄養ドリンクを渡してくれた。先日の台風でこの地区は孤立した。最初は残っていたお婆さんも、町からの再三の要請で山を降りた。今の時代、山で暮らすことは容易ではないのだ
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こうして地図にしてみると、紀伊山地、四国山地、三遠南信等、国内でも『秘境』と呼ばれる地の多くは、中央構造線沿いに位置することが分かる。
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『集落を離れるのか、それとも集落に残るのか』集落は揉めに揉めた。多くの人が集落を離れたが、僅かな人が集落に残った。時が経ち、集落から人は消えていた。川上村で最も山深い集落とも言われる『瀬戸集落』
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『過疎』という言葉が生まれた町の今。広がっていた耕作地の殆どは緑に埋もれた。製鉄、林業、農業、そのいずれもが衰退してしまった。50年前に120人いた住人は、現在1人を残すのみだ。『匹見町七村集落』
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『大鶴津・小鶴津集落』 大海原の圧倒的な力強さに対して、その存在はあまりにも小さかった。結局、両集落とも無住化した。しかし、無住化後の両集落は対照的であった。例え無住化しても、人の手が入り続ければ集落の姿は残る。言い換えれば、人の手が入らなくなった時、集落の姿が消えていくのだ。
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恐怖の道はまだまだ続く。転落防止設備が全く無いわけではない。最近補修した跡もある。それでも、眼下で砕け散る波の轟音が安心感を打ち消すのだ。晴れた日にこの状態では、風雨の日はさぞ恐ろしい状態だろう。恐怖の道を2キロほど進んだ頃、断崖の先に"波消しブロックに守られた平地"が見えてきた。
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断崖絶壁に無理やり作られた恐怖の離合スペース。峠から先、離合できる箇所は極めて少ない。更に、転回できる場所となると殆ど無い。この道に入ったら最後、ひたすら前に進むしかないのだ。道もいたるところで崩れている。そのような状態でも、真新しい轍が残る。轍の主は一体誰なのだろう…
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『落ちたら死ぬ』 波の砕ける轟音が響く。海面までの高さは約100メートル。断崖に伸びる道は限りなく頼りない。高さのある道路は全国各地に存在する。しかしこの高さで、遮るものはなく、幅員は極めて狭く、下は荒れた海というシチュエーションはなかなか無い。一言で言えば『落ちたら死ぬ』だ。
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大鶴津・小鶴津集落へ向かうにあたり、志和集落で聞き込みを行った。色々な方にお話を伺った中で、漁師の方から『大鶴津・小鶴津へは、峠で分かれる道で向かえばいい。車はダメだが、歩いてなら行ける』、『大鶴津は5、6年前まで住んでいた。小鶴津はそれよりも前にいなくなった』と教えていただいた。