R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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かつて萩六島(大島、羽島、肥島、櫃島、尾島、相島)は、いずれの島にも住人がいた。しかし、羽島、肥島、尾島の3島からは住人が消え、島は人が住む以前の姿に戻りつつある。そして今、櫃島も同じ道を辿ろうとしている。『一枚の航空写真』に隠されたもの。それは徐々に消えゆく島の姿だった。
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午後になる頃から海風が吹き出し、波が出てきた。港には、午前中に無かった自家用船が係留されていた。島民の方は、この船で本土との間を行き来されている。既に櫃島に常住する人はいない。ここにあるのは住民票だけだ。港でしばらく待っていると迎えの渡船がやってきた。
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荒れ地にある轍を追ってみる。平坦地の先には断崖、そして海があるのだが、平坦地がどこまでも続いているような錯覚に襲われる。轍の終わりは小さな果樹園だった。ここまで来ると、集落内では消えていた波の音が聞こえる。荒涼とした風景が広がる。無人島化していく島の過程とはこのことだろう。
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一旦集落へ戻り、畑の方へ向かってみた。島の平坦地には葉タバコ畑が広がっていた…はずだが、それは過去のことである。今は、僅かな耕作地が残るのみで、殆どが耕作放棄地という名の荒れ地になっている。どうやら、航空写真(2008年)に見えた耕作地は、大部分が放棄されてしまったようだ。
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『八幡宮』 樹齢数百年のリュウキュウエノキに囲まれて社殿が立つ。御神体は既に無く、もぬけの殻であった。島民の方によると『(御神体は)既に移動した』ということだった。それにしても倒木が直撃したのだろうか、悲しいくらいの荒れ方だ。見捨てられた神社は見守る人もなく、このまま朽ちていく…
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『櫃島分校』 萩市立大島小学校櫃島分校(S.40年廃校)。市内の浜崎町に寄宿舎が整備されたことにより廃校となった。集落の家屋に比べて建物の傷みは少ない。近年は倉庫等として利用されていたようだ。島からは人がすっかりいなくなってしまったが、桜は何事もなかったかのように咲いていた。
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程なくして島民の方が来られたので、ご挨拶させていただいた。先のツイートで『櫃島の人口は2名』と書いたが、実は櫃島に常住者はいない。島民の方は、耕作のために本土から通っておられるのだ。これが『櫃島が無人島になるのも間近い』とされる所以である。無人島に限りなく近い島、それが櫃島だ。
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島の数箇所には井戸がある。水源の無い櫃島は水に乏しく、天水、井戸を利用している。また、電気・電話は海底ケーブルにより確保されているが、以前は燃料発電機による時間限定給電であった。そのような厳しい環境、及び定期船すら来ない利便性の悪さから、ここ20年で人口が急激に減少してしまった。
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廃屋が立ち並ぶメインストリート。どことなく風鈴の音が聞こえてくる。どの家屋も立派な造りをしているが、その殆どが荒れ、無住化してからの月日を感じる。また、多くの蔵には乾燥機があり、葉タバコ栽培が盛んであったことが窺える。人影は無く、唯一真新しい櫃島交流施設だけが異彩を放っていた。
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『集落』 島の内陸には果樹園が広がっていた。木々には多くの甘夏が実っている。果樹園は今も手入れされているようだ。その先にはいくつかの家屋が見える。賑やかだった波の音は聞こえなくなり、周囲は静まり返っている。ここが海に囲まれた島であることを忘れてしまうような情景だ。
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早速、集落へ向かう。道の入口には、ナンバーの無い軽トラが停まっていた。この軽トラは、港と集落間の荷物運搬用として島民の方が使用している。道は軽トラ程度の道幅しか無いが、他に通る車がないのでこれで十分だろう。港から約800m、木々のトンネルを抜けると、目の前が明るくなってきた。
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港から島を見上げる。断崖に一本の道路が延びる。これが内陸への唯一の道だ。櫃島に人が住み始めたのは、平安時代とも、室町時代とも言われるが、明確な時期は分からない。ただ、少なくとも500年以上の歴史がある。それにしても、この島の祖先はどのようにしてこの断崖を登っていたのだろうか。
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『櫃島』 大きさの関係で渡船は港に入れない。渡船の舳先からテトラポッドに飛び移る。小さな港だが、多い時でも100人程度の島民を支えるには十分だったのだろう。船の引揚げ場には数隻の船が放置され、脇にある倉庫は朽ちていた。この光景だけでも、櫃島に住む人は極少であることが容易に想像できた。
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櫃島を目指して北上する。渡船は、羽島、肥島、大島の脇を通っていく。いずれの島も溶岩台地であり、テーブルのような平たい形状をしている。また、今では大島以外は無人島化してしまったが、以前は有人島であったという共通点も持つ。萩漁港から20分ほど走ると、目の前に櫃島が迫ってきた。
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過去から現在に至るまで、櫃島へ向かう定期船は無い。故に、櫃島へ向かうためには、個人の船、渡船等を利用しなければならない。島民の方は、今も昔も自家用船で行き来している。今回は萩漁港から渡船を利用した。渡船の船長は『今日は人が多い』と仰る。その言葉通りに、彼方此方に釣り人を見かけた。
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櫃島(ひつしま)は、萩市街地から約10km、一番近い有人島の大島から約1.5kmの位置にあり、萩市沖にある6つの島、いわゆる萩六島のうちの一つである。東京ドーム17個分の面積を有しており、島の周囲には断崖が続き、内陸には平坦地が広がっている。その形状は何とも不思議な形をしている。
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スレッドにします。 『一枚の航空写真』そこに写る島は、周囲を断崖に囲まれながらも、内陸に整然とした耕作地といくつもの家屋が存在する。一見、華やかそうに見えるが、現在の人口は僅か2名という。華やかな写真の先はどうなっているのか。現状を確かめるために、萩市の『櫃島』に行ってみた。
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いくつもの家屋が立ち並ぶ島。しかし、その島にあったのは、時間が止まった集落だった。既にこの島に住む人は無く、元島民が通うのみだ。萩市の沖には、平らな6つの島がある。かつてはいずれの島にも住人がいたが、3つの島は無人島化した。そして今、4つ目の無人島が誕生しようとしていた。
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標高1000mを超える峰々に囲まれた県道の終端。現在の地理院地図上には、何も描かれていない場所だ。かつて、ここには人の営みがあった。しかし、とある出来事がきっかけで、住人達は潮が引くようにいなくなった。今では、ここに残るものは何も無い。ただ沈黙だけが存在する。
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以上で小俣集落についてのツイートは終わりです。この場をお借りして、小俣集落について問い合わせさせていただいた浜松市春野協働センターの方々、お話を伺わせていただいた杉峰集落の方、そして石切集落のお婆さんにはお礼申し上げます。
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長い歴史を誇り、今も多くの人を魅了する小俣集落は、朽ち果て、土砂の下へ埋もれようとしていた。今後も背後斜面の崩落が続くことが予想され、集落が埋め尽くされるのも時間の問題だ。そう遠くない未来、小俣集落は名実ともに『幻の集落』となり、伝説の一つとして語り継がれていくことだろう。
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それでは、小俣集落についての情報を纏める。小俣が無住化したのは約50年前。その後も元住人の方が通われていたが、それもH.19年に途絶えた。H.19年に背後斜面の大崩落に巻き込まれ、以降集落は土砂に埋もれつつある。今では車道も崩落し、辿り着くのが困難な状態になってしまったのだ。
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かつては小俣京丸の拠点でもあり、賑わいのあった石切集落。小俣京丸からはとうの昔に人がいなくなり、石切自体も風前の灯となっていた。美しく咲く桜は、人影のない静かな集落を眺めていた。
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87歳のお婆さんはこう仰った。『現在の石切は三世帯四名。営林署があった頃は三十世帯あった』、『茶畑と林業をやっていた。営林署にも手伝いに行った』、『お爺さんは先生で、石切の学校にも行っていた』、『子供は街に出た。今は一人で暮らしてる』、『体に気をつけて、元気にしないといけないだに』
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『石切集落』 当然ながら小俣集落に住人はいない。それならばと、帰り際に石切集落に寄って小俣についての聞き取りを行った。見事な桜が咲くお宅があったので声をかけてみた。すると、お婆さんが出てこられた。『亡きお爺さんの育てた木で、今も大切にしているだに』(画像は許可をもらって撮影)