R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

251
『有料道路はダート道』 有料道路だからといって、舗装されて綺麗な道路とは限らない。奈良市を見下ろす山の中には、こんな楽しい有料道路が存在する。
252
以上で赤穂根島についてのツイートは終わりです。今回、お世話になりました船長、及びお話を伺わせていただいた町長ご夫人にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。
253
国内には有人離島が416島存在する。農業で暮らす島、漁業に生きる島、観光で賑わう島、過疎に悩む島、そして住人のいない島、それぞれの島の事情は大きく異なる。ただ、"島の可能性"があるという点は、共通しているのではないだろうか。『人口2人』の赤穂根島。そこには、島の可能性を探る姿があった。
254
今、赤穂根島に常住する人はいなかった。出作りが行われていた耕作地も、殆どが放棄地へと変わっていた。それでも、町長ご夫妻が家畜の世話のために通われている。過去、ご夫妻は赤穂根島に住み、有機無農薬の自給自足農業に取り組まれていたが、現在は町長職もあり、島からは離れられているのだ。
255
牛達の邪魔にならないように、そそくさと島を去る。常住者のいない赤穂根島は、そのうち完全な無人島になるのだろうか。それは分からない。というのも、上島町には本州・四国に接続する上島架橋構想が存在し、車道が赤穂根島を通る可能性もあるのだ。実現した暁には、赤穂根島は変化するに違いない。
256
来た道を戻り、更には島の南端へと向かう。荒れたゴカイ養殖場を横目に先を急ぐと…黒い物体が見えた。赤穂根島の住人だ。牛達は、島の保全を目的に飼い始められた。以前はロープで繋いでいたそうだが、今は放し飼いされている。美味しい物を求めて島を彷徨い、自分で小屋に帰ってくる利口な住人だ。
257
教えていただいた内容を画像に纏める。町長ご夫妻は、無人化していた赤穂根島に住み、「赤穂根学舎」という自給体験施設を立ち上げられた。その後、諸事情もあり島を離れたが、完全に離れたわけではない。"有人化"、"無人化"、"人口2人"この3つのキーワードは、町長ご夫妻の活動を示していたのだ。
258
実は、『人口2人』というのは上島町の町長ご夫妻であり、この方が町長ご夫人なのだ。ご夫妻は、赤穂根島で有機無農薬の自給自足農業に取り組まれていたのだ。島について伺いたい旨をお話すると、町長ご夫人は赤穂根島に関わる多くの内容を教えてくださった。
259
道は海岸沿いを離れ、山間部へと入っていく。すると、荒れたビニールハウスと数軒の小屋、先程まで使われたようなワゴン車が現れた。小屋の方に人影が見えたので声をかけてみる。すると、小屋の中から女性の方が出てこられた。
260
道路脇に放置された数台の廃車。岩城島から見えた複数の車両は、この廃車群だった。これらは、かつて赤穂根島で出作りが盛んだったことを意味している。海岸に目をやると、小さな波止場があり小舟が浮かんでいた。それにしても、小舟があるということは、この島に誰か来ているのだろうか。
261
赤穂根島には戦国時代に砦があり、S.26年頃までは数世帯の居住もあった。居住者がいなくなった後も出作りが続けられていたが、今は人の気配がしない。沿道にある果樹園や田圃は、いずれも荒れ地と化している。S.55年からは出作り用に週一程度でフェリーがあったが、とうの昔になくなったようだ。
262
25の離島から構成される愛媛県の上島町。赤穂根島は、この上島町に属している。赤穂根島は元々岩城村であったが、平成の大合併により、現在は上島町となった。上島町は、しまなみ海道の直ぐ側にある町だが、他の市町村に繋がる橋は存在しない。要は、船以外の手段では辿り着けない離島の町なのである。
263
日本の島ガイドの代表ともいえるSHIMADAS(日本離島センター編集)を眺めていた時だった。『人口2人』の島がある。その項には、"有人化"、"無人化"、"人口2人"と書かれている。この3つのキーワードを結ぶものは何なのだろうか。その答えを確かめるために、赤穂根島へと向かった。
264
スレッドにします。  『人口2人』瀬戸内海に浮かぶその島は、僅かな建物があるくらいで、誰も住んでいないように見える。更に、40年前の航空写真にある耕作地は殆ど消えている。それでも、最近の国勢調査では2人を数えるという。今、この島はどうなっているのか。上島町の『赤穂根島』に行ってみた。
265
『ドライブ依存症』 あなたはドライブ依存症を知っていますか?一度かかってしまうと、治療困難な厄介な依存症です。ここでは、その症状を紹介します。
266
『地方ブロック別でみると、今後「10 年以内に消滅」あるいは「いずれ消滅」と予測されている集落の割合が最も高いのは四国圏である』 それは、あながち間違っていないだろう。
267
奥三河に位置する東栄町。養蚕と林業を中心とした産業は落ち込み続け、1万人を超えていた人口は、現在約3000人。それでも、町に元気を取り戻そうと活躍される方々がいる。この体験会は、東栄町の地域おこしの一環として2015年から行われ、鉱山見学は毎週第2土曜日に開催されている。
268
三遠南信に残る生きた鉱山の『三信鉱工』。手作業で敷設した5kgレールが伸びる。大規模な鉱山ではないため、多くの作業は手作業なのだ。
269
山の中にひっそりと佇む観音堂。この地に住む人はいなくなった。四国東部。市街地から約30km離れた深い山の中。1300年前から槙寺の存在していた由緒ある地。時代とともに消えゆく姿がここにはあった。
270
島から消える耕作地。人の手によって造られた美しい緑色は、荒れた緑色へと変わった。国内の有人離島は416島。この島もそのうちの一つなのである。
271
某巨大掲示板の酷道・険道リスト時代から、約15年ほど酷道・険道を纏めてきました。最近では動画でほぼ全ての険道が網羅され、すっかり便利になりました。なお、pdfデータは後日配布となります。転記、再配布等に制限は設けません。ご自由にお使いください。それでは、どうぞ安全運転で!
272
終了にあたり、今までのデータはpdf化して配布させていただきます。現在、配布準備をしていますので、しばらくお待ち願います。
273
お知らせです。Neverまとめ終了に伴い、【実走!酷道・険道のまとめ】についても、終了させることにしました。2013年以来、約7年間のご利用有難う御座いました。道路ネタについては、引き続きツイートしていきます。どうぞ、宜しくお願いします。matome.naver.jp/odai/213854649…
274
40年という月日。それは、集落を消滅させるには十分な時間なのだ。緑に呑まれた集落へと向かう。気がつけば、夏草の中からお地蔵様がこちらを見ていた。
275
スレッドにします。 『ダム湖に架かる大きな吊橋』多くの吊橋が存在する紀伊山地。連なる山々に深く刻まれた谷間には、大小様々な吊橋が架かる。このダム湖にも大きな吊橋が架かるが、その先は生い茂る緑の中へと消えている。吊橋の行き着く先を求めて、大塔村の『小麦集落』に行ってみた。