R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(新しい順)

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平家の落人伝説が残る祖谷地方。どこまでも続く山々と険しい谷間、そこに息づく人の営みからは、落人伝説を連想せずにはいられない。西祖谷山村(現・三好市)は、全域が深い谷間にあり、急な斜面に僅かな耕作地と、昔ながらの家屋が点在している。田丸集落は、村中心部から近い場所に位置するのだが…
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西祖谷山村の田丸(たまろ)集落。地理院地図を見た時、立地の凄まじさに驚いた。集落は深い谷間に囲まれ、背後に国見山が聳える。集落へ至る道は、祖谷川左岸の廃道か、対岸の祖谷街道から100m下って300m登る山道しかない。しかも、ネット上にあるのは僅かな情報だ。田丸はどうなっているだろうか。
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スレッドにします。 『落人の隠れ里』恐ろしく深い谷間の祖谷渓。崖っぷちに有名な小便小僧が立つ。しかし、この対岸に集落があったことは知られていない。それもそのはず、地図には集落が描かれているが、実際には姿が見当たらないのだ。地図上に残るが姿は消えた『田丸集落』の今を確かめてみた。
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少々早いですが、今年のツイートはこれを最後とさせていただきます。今年一年、ツイートをご覧いただき、有難う御座いました。また、ツイートの頻度低下・返信が遅くなり申し訳ありませんでした。来年は早々に田丸集落のスレッド、酷道・険道pdfの改訂版配布を予定しています。それでは良いお年を。
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地理院地図の航空写真でも上位に入る美しさ。その美しさに惹かれて、現地へと向かう。集落には多くの家屋が立ち並ぶが、住人数は5戸5人。住人数の減少により村営バスは廃止され、多くの耕作地が放棄されていた。航空写真に写っていたのは、厳しい現実だった。
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島民数13人の美しい島。島内にある大きな家々は、移住した人たちの仕送りで建てたのだという。しかし、その多くは荒れ果てた。島の区長は仰る。『もし病気になった時、誰かの船で行く。今までは若かったから時化でも船を出した。歳を取るとそれができなくなる。口で言うもんじゃない。現実は厳しい』
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四国の素晴らしさを4枚の地図で表してみる。
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スレッドにします。 『道路はないが、モノレールはある』険しい谷間に位置する村に、道路を造ることは容易ではなかった。故に、村内の集落には索道が発達し、それはモノレールへと姿を変えた。昔の航空写真に写るこの集落にも、モノレールが通っているという。一宇村『大横集落』の今を訪ねてみた。
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素人質問ではありますが、ご教示ください。地理院地図において、無人になっても記載が残る集落があります。その一方で、地図上の記載すら消滅している集落もあります。無人となった集落を地図に残す、残さないの基準はあるのでしょうか。
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深いV字谷の続く祖谷渓。その途中に、ケーブルカーで行く露天風呂が有名な祖谷温泉がある。谷間に立つ一軒家の周囲には、深い山々が広がるばかりだ。しかし、それは表向きの話である。とても想像できないが、かつてこの深い山々の中には集落があった。そして、今も人の営みの跡が残っているのだ。
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酷道・険道における『かもしれない運転』とは。
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無人の集落をモノレールが行く。四国山地の『モノレール村』こと、旧・一宇村。40年前の航空写真にあった多くの家屋と耕作地は、その殆どが姿を消していた。村内にある32集落のうち、19集落はいずれ無住化するという。この集落は一足先に消えていたのだ。
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かつて、一つの村だったこの地域の人口減少率は99.99%。立ち並んでいた家屋、広がっていた耕作地は、森の中に姿を消した。多くの参拝客と豊富な山の恵は、村に賑わいをもたらした。しかし、今、この村は名実ともに消えようとしていた。
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以上で堂平集落についてのツイートは終わりです。今回お聞きしたお話について、リンク先に纏めます。最後に、いろいろお世話をいただいたKさん、お話を伺わせていただいた長谷寺、堂平関係者の方々、畑山のお婆さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。 drive.google.com/file/d/1EHTlRV…
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『こういう(堂平のように続ける)ところはなかなか無い』長谷寺の和尚さんはそう仰る。国内の過疎地域において、H.27年以降に消滅した集落は140。そのうち18の集落で伝統的祭事・伝統芸能等が放置されているという。どれだけ長く続く伝統であっても、受け継ぐことがなくなった時、その伝統は消える。
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スレッドにします。 『物部の山奥にある小さな集落』40年ほど前の航空写真では、数軒の家屋と耕作地が見える。そして現在の航空写真。集落まで車道が延びているが、既に住む人はいないという。山奥にある小さな集落には何が残されているのか。集落の今を記録するために、『堂平集落』へと向かった。
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かつては、この航空写真以上に家屋が立ち並び、耕作地が広がっていたそうです。今は、全て廃屋と荒れ地です。
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この集落までの道は崩れていました。ご注意を。
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『人がいなくなる』 たったそれだけのことで、集落の荒廃は加速度的に進む。2017年無住化。多くの家屋が立ち並んでいた集落は、廃屋が立ち並ぶ集落と化していた。かつては2路線のバスが乗り入れ、どの便も大勢の乗客がいたという。無住化して僅か3年。それは、あまりに無残な荒廃ぶりだった。
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ご存じの方、ご教示ください。1枚目の建物は何と呼べば適切でしょうか。社?祠??その他???次のスレッドのネタ元ですが、何と言えばいいのか悩んでいます…
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どこまでも続くお墓。この島に多くの人が住んでいたことの証だ。現在の住人は13人。その殆どが70歳以上。緑は生い茂り、大きく立派な家々を呑み込む。それでも、この島に悲壮感はない。明るく、優しく、素晴らしい島だった。
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『実走!酷道・険道のまとめ』について、NAVERまとめ終了に伴い、9月27日に削除します。今までのデータの保存用として、pdf版を作成しました。 リンク先に置きましたので、どうぞご自由にお使いください。drive.google.com/file/d/1B9c-gw…
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山上にある集落の小さな縁日。この日ばかりは集落に賑わいが戻る。住む人はいなくなったが、今も続けられる縁日。一度失われると、取り戻すのは容易ではない。続けていくことが大切なのかもしれない。
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多くの方がバスを待っていました。林業で賑わったこの地域ですが、今では無住化した集落が多くなりました。今回は、雨が酷くて聞き取りもできませんでした。いずれ再訪します。
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高知・徳島県境にある小さな集落。バス停では、住人達が来ることのないバスを待っていた。集落の住人数は3世帯5名。この先にある2つの集落からは住人が消えた。多くの場合、集落は末端部から消えていく。生い茂る夏草は、集落を緑で埋め尽くそうとしていた。