R774@まとめ屋(@kendou774)さんの人気ツイート(いいね順)

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以上で高島についてのツイートは終わりです。今回ご協力いただいた島民の方々、益田市役所のKさん、船長、そして同行いただいた百島氏(@momoshima_jun)、及び鎌手地区自治会のTさん、他1名には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
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西日本最高峰の石鎚山に代表される石鎚山脈。中央構造線沿いに石鎚断層崖を形成し、平野部から見たその姿は屏風のようだ。石鎚村はこの屏風の麓にあった。村に平地は無く、ほぼ全域が加茂川の形成した深い谷間に位置した。そして、村内にある集落の殆どがいわゆる"山岳集落"であった。
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『高島に行く』それは簡単ではない。島へ渡る手段も、島の現状も全く分からないのだ。夏の盛り、その糸口を掴むために益田市役所に問い合わせた。後日、市役所のKさんから連絡をいただいた。なんと、元島民(以降、島民とします)の方と取り合っていただき、聞き取りの機会を設けてくださったのだ。
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『山峡の集落に日が昇る』 急な斜面に家屋が密集し、谷底には奇跡の清流と称される河川が流れる。耕作地は綺麗に手入れされ、集落背後の山の頂には神社が立つ。理想的な美しさを持つ山岳集落が四国山地にあった。
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遠い昔、村の中心だったという集落。その面影はどこにも無い。集落内に人影はなく、鶏だけが鳴き続けていた。次のスレッドは、山の上にある集落になります。今から準備を始めますので、7月初旬~中旬にツイート予定です。
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スレッドにします。 天竜川の支流の中でも最高の清流として知られる万古川。その下流部、蛇行を繰り返す場所に気になる集落がある。一番近い駅の飯田線為栗駅からは遠く、車道からも随分離れている。更にネット上の情報も少ない。長い歴史を誇り、落人が興したとも言われる『万古集落』へ行ってみた。
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探しものは身近にあることが多い。しかし、それに気づけないことも多々ある。七百年を超える歴史を持つ集落。その存在を確かめるために集落に向かった。しかし、目的のものは見つからなかった。が、写真で見ると写っていた……遅くなりましたがスレッドの準備が整いました。日曜日にツイートします。
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地図に示す急斜面に、人の暮らしがあると言われても俄に信じ難い。そのような場所でも人の暮らしがある四国山地の奥深さ。かつては1300人いた住人が、今では1人になった村の集落。昭和の終わりに集落は無住となった。それでも信仰の跡はいつまでも集落に残る。
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それでも、最近になって島の再生を目指して若い方が移り住まれた。待ち受けるのは苦難の道かもしれないが、島の未来を切り開くのは若い力だ。行き着く先は無人の島か、それとも島の再生か。『八島』は今、正念場を迎えている。
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『山中にあった不夜城』 「発電機でできる電気が使いきれないので、村中に電球を付けまわり夜中でも延々と照らした結果、不夜城と呼ばれた」という話が印象に残る集落。気象環境が厳しく、高度成長期に離村。今、不夜城の姿は影も形もない。
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海からほど近い集落。時代の変化に取り残された集落から人は去っていった。離村しても、人の手が入れば集落の姿は残る。それは、人の手が入らなくなった時、集落が消えていくということでもある。今、残っていた家屋は次々と倒壊している。そんな集落の終焉をお地蔵様は静かに眺め続けていた。
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バス停で待ち続ける案山子たち。しかし、このバス停にバスが来ることはない。S.55年に13世帯35人あった集落の人口は、現在2世帯2名。地域に押し寄せる過疎化の波。今ではこの地域の人口を合わせても、案山子の数より少なくなってしまった。一体、地域はどこへ向かってしまうのか。
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『過疎』という言葉が生まれた町の今。広がっていた耕作地の殆どは緑に埋もれた。製鉄、林業、農業、そのいずれもが衰退してしまった。50年前に120人いた住人は、現在1人を残すのみだ。『匹見町七村集落』
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『臥蛇島(がじゃじま)』 絶海の孤島。その言葉はこの島のためにある。島の地形、環境はあまりにも厳しい。それでも、長年暮らし続けてきた人々がいたのだ。S.45年集団離島。百島さん@momoshima_junツイートにあるリンク先のPDF資料(十島村作成)は必見です。この資料は本当に素晴らしい。
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『逆潮と時雨も合点 島渡舟』、『昭和五十年三月 高島より土田に移転』 夏の終り、高島を望む丘にある団地にやって来た。高見と呼ばれるこの団地には、高島からの集団離島時、島民の方々が移り住まれたのだ。団地の片隅には一つの石碑が建てられていた。島民の菩提寺である明光寺の句であるという。
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聞き取り会は、団地の集会所で開かれた。団地取りまとめ役のNさんをはじめとして、多くの島民の方々、更に市役所のKさんが集まってくださった。聞き取り会では、高島での暮らし、出来事、島への想いなど、多岐に渡るお話を聞かせていただいた。(お聞きした内容については後のツイートに纏める)
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以上で赤穂根島についてのツイートは終わりです。今回、お世話になりました船長、及びお話を伺わせていただいた町長ご夫人にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。
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『一人になっても島を守る』 島民の結束力が強いことで知られていた島。災害をきっかけに島民は急激に減少し、ついに一人になった。それでも残る島民の方は、島の再生を目指して孤独な戦いを続けている。
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『くぐれない鳥居』 大部分がダムに沈み、主要産業であった鉱山が消えた地域。今、地域に残る人は、ほんの僅かだ。その地域で山の中を彷徨うこと2時間。そこに現れたのは、人々の記憶から消えた神社だった。
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『奇跡の清流』四国の山中にそう呼ばれる渓谷がある。今では名の知られた渓谷で、この滝にも多くの観光客が訪れる。しかし、滝の先に集落があったことを知る人は殆どいない。人里から離れること15km。電気も電話も通じることはなかった。それでも昭和50年代まで、人の営みがあったという。
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何故ここに神社記号があるのか。地図を見てそう思うことがある。この神社記号もそうだった。山上の神社記号を過去の航空写真、古地図と照らし合わせる。すると、『嶽(たけ)』という集落が現れた。現在の地図では集落が消え、神社だけが残されているのだ。現状を確認すべく、嶽集落へと向かった。
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『残された太鼓』 飯田線の"とある"駅から急な斜面を登ること30分。知る人の無い小さな集落がある。進む過疎化により、地域にあった集落の多くは無人化した。この集落も例外ではなかった。ぽつりぽつりと立つ家屋は、ただ朽ちていくの待つ。集落が森に消えゆく中で、神社は当時の面影を残していた。
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かつて、一つの村だったこの地域の人口減少率は99.99%。立ち並んでいた家屋、広がっていた耕作地は、森の中に姿を消した。多くの参拝客と豊富な山の恵は、村に賑わいをもたらした。しかし、今、この村は名実ともに消えようとしていた。
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『巨石』 物凄い大斜面が目の前に広がる。大斜面にあった集落へ向かった。集落の場所が分からず山の中を彷徨っていると、巨石が現れた。巨石前には石段と祠跡があり、平場もある。祀られていたことは間違いないが、後で周辺地区で聞き込みしても、皆さん知らないと言う。この巨石は一体何なんだろう🤔
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『小さな小さな猫の島』 60匹を超える猫達が気ままに過ごす。漁業で栄え、かつては300人あった人口も、現在では13人。定期船もなければ、観光スポット的な場所もない。島には静かな時間が流れ、時折猫の鳴き声が響く。何も無い島という人もいるけども、この島には『純粋な島の魅力』が溢れているのだ。